柳氏は、自分の足で全国各地をくまなく歩き、実物に触れ、日用の安価なものであっても手間を惜しまない正直な仕事を拾い上げています。
(p82より引用) 羽後の国にはたった一ヵ所だけ焼物の窯場があります。神宮寺という駅から少し南に行ったところに楢岡と呼ぶ村があります。ここにわずか一基の窯があって親子水入らずの仕事であります。・・・最も貧しい窯の一例でありますが、出来るものを見ますと誠に立派で活々した仕事であります。雑器のこと故、極めて無造作に作りはしますが、中から選べば、名器と呼ばれてよいものに出会います。・・・貧しい安ものを焼く小さな窯でありますが、東北第一と讃えても誤りはないでありましょう。
各地に残る正直な仕事は、無名の職人の手によります。手仕事には心がこもります。私が作ったものだという自負です。
(p186より引用) 仕事をする人たちも、自分の名誉にかけて作る風が残り、・・・古鍛冶に見られるような銘を刻むことを忘れません。伝統が今も続いていることが分ります。このような品物は、いわば職人気質が残っていて、粗末なものを作るのを恥じる気風があって、仕事の裏に一種の道徳が守られているのを感じます。
世の美術家は名を売ります。「署名(銘)」により作品に残します。
巷の職人は、決して「名」で仕事はしません。
(p228より引用) 彼らにも仕事への誇りがあるのであります。ですが自分の名を誇ろうとするのではなく、正しい品物を作るそのことに、もっと誇りがあるのであります。いわば品物が主で自分は従なのであります。・・・彼らは品物で勝負をしているのであります。物で残ろうとするので、名で残ろうとするのではありません。・・・この世の美しさは無名な工人たちに負うていることが、如何に大きいでありましょう。
(p87より引用) 荒屋新町などの仕事で眼を引くのは絵附けであります。銀杏だとか桃だとか富士山だとか、三、四の定まった模様が古くから伝わり、今も描き続けます。慣れているので筆がよく運び、絵に勢いがあり、新柄のものに比べて段違いに活々したところがあります。伝統の力で模様に成り切っているので自由さがあるのだと思われます。
時に「伝統」は窮屈なものとして捉えられます。伝統は「ある種の制約を課するもの」のように考えられるのです。
しかしながら、柳氏は、一見「制約」とみえることが、実は「理に適った道」であると説きます。
(p232より引用) 実は不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場からする嘆きであって、自然の立場に帰って見ますと、まるで違う見方が成立ちます。用途に適うということは、必然の要求に応じるということであります。材料の性質に制約せられるとは、自然の贈物に任せきるということであります。手法に服従するということは、当然な理法を守るということになります。人間からすると不自由ともいえましょうが、自然からすると一番当然な道を歩くことを意味します。・・・美と用とは叛くものではありません。用と結ばれる美の価値は非常に大きいのであります。
伝統は決して「停滞」ではありません。
積極的な姿勢です。
(p225より引用) もとより伝統を尊ぶということは、ただ昔を繰り返すということであってはなりません。それでは停滞を来したりまた退歩に陥ったりしてしまいます。伝統は活きたものであって、そこにも創造と発展とがなければなりません。・・・吾々が伝統を尊ぶのはむしろそれを更に育てて名木とさせるためであります。
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