アメリカの情報機関は、戦後日本の基本的枠組みを規定する重要な決定プロセスに深く関与していました。
たとえば、天皇制存続における戦時情報局を中心とした動きです。
当時、国務長官代理として戦時情報局に大きな影響力を有していたグルーは、戦後の日本統治の枠組みを戦略的に構築しようとしていました。
そのアクションプランのひとつが米国政府および米国国民の世論形成でした。グルーの頭の中には、無条件降伏を突きつけられて、国民が絶望的抵抗へと動いたドイツの姿がありました。
(p75より引用) グルーは、日本はそうならないように、早く無条件降伏の定義を明らかにしたいと思ったのだ。つまり、無条件降伏とは軍事的なものであって、政治的なものではないということ、国民の生命や尊厳を奪うものではないということだ。
グルーはこのように日本人の無条件降伏に対する恐怖心を和らげておいて、いよいよ日本に天皇制存置を盛り込んだ宥和的幸福条件を提示しようとした。
このグルーの計画は、後の国務省の不同意により、そのままの形では遂行されませんでした。
しかしながら、その方針はポツダム宣言を経て、終戦後の象徴天皇制存置という結果に連なっていったのでした。
そのほか、日本の戦後史に大きな影響を与えたアメリカ軍の組織としては、いわゆる「参謀二部」があります。
参謀二部は、もともと心理戦を行う部局であり「諜報、保安、検閲など」を担っていました。
(p156より引用) 占領期において、参謀二部は民政局と日本の占領政策において、日本改造において激しい主導権争いを演じた。
とくに政治の分野では、民政局は左翼勢力を支援し、片山哲や芦田均を政権につけた。一方、参謀二部は保守勢力に肩入れし、左翼政権の前後に吉田内閣を実現させた。日本の戦後体制はこの二つの勢力のぶつかりあいのなかで形づくられたといっていい。
戦後日本の保守主流の政治潮流は、「参謀二部」の政治的成果の表れとも言えるようです。
(p163より引用) 軍事戦で勝利しただけでは、政治的目的は達成できない。政治戦と心理戦によって敗戦国をコントロールしなければ、政治的成果は得られないし、それは永続的なものにならない。参謀二部は正力や岸や重光を自らの政治戦のコマに使ったのだ。
さらに、有力新聞や放送網も押さえたメディア・コントロールの枠組みは、占領後も根強く残り続けたと著者は指摘しています。
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