本書は日露戦争を舞台としたかなりの長編小説なので、数多くの登場人物が描かれています。
全編を通しての主役は秋山好古・真之兄弟ですが、前編では、秋山兄弟と同郷、松山出身の歌人正岡子規が主要人物として登場します。後編は、まさに日露戦争の陸海の戦場が舞台となりますから、主役は軍人です。
それら多くの登場人物の描写の中で、私が関心を持ったところを1・2、ご紹介します。
まずは、陸軍大将児玉源太郎。
(五 p94より引用) 児玉にいわせれば、
(専門家のいうことをきいて戦術の基礎をたてれば、とんでもないことになりがちだ)
ということであった。・・・かれらの思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感していた。児玉はかつて参謀本部で、
「諸君はきのうの専門家であったかもしれん。しかしあすの専門家ではない」
とどなったことがある。専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。児玉は、そのことをよく知っていた。
この「専門家」に対する児玉の評価はまったく首肯できるものです。
「諸君はきのうの専門家であったかもしれん。しかしあすの専門家ではない」という台詞は鋭く本質を突いています。
もうひとり、当時の海軍の日本海海戦の先任参謀として当時の海軍の作戦策定の核を担った秋山真之。彼の思考をよく現している記述です。
(二 p206より引用) 明晰な目的樹立、そしてくるいない実施方法、そこまでのことは頭脳が考える。しかしそれを水火のなかで実施するのは頭脳ではない。性格である。
最後はやるかやらないか、真之は、一途に考え抜いた人だったようです。
さて、その他、この作品で印象に残ったくだりを二つ記しておきます。
ひとつは「革命」の現実の姿について。
(六 p199より引用) 人類に正義の心が存在する以上、革命の衝動はなくならないであろう。しかしながら、その衝動は革命さわぎはおこせても、革命が成功したあとでは通用しない。そのあとは権力を構成してゆくためのマキァベリズム(権謀術数)と見せかけの正義だけが必要であり、ほんものの正義はむしろ害悪になる。
もうひとつは「新聞」の堕落について。
(七 p218より引用) 日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。・・・新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争にまで日本を持ちこんでゆくことになり、さらには持ちこんでゆくための原体質を、この戦勝報道のなかで新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は自体の体質変化にすこしも気づかなかった。
日露戦争後、ロシアは帝政が崩壊し、日本は帝国主義に向かって疾走していきました。
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