最近読むエッセイと言えば五木寛之さんの本に偏っているので、少しは別の作者のものをと思い、いつも利用している図書館の書架で見つけました。
遠藤周作さんのエッセイは、どうやら15年ほど前「ボクは好奇心のかたまり」を読んで以来のようです。
昭和49年(1974年)7月から昭和50年(1975年)12月にかけて毎日新聞に連載されたコラムを書籍化したもので、ひとつの諺や名言、格言をとり上げては、それを材料に遠藤さんが思うところを語った小文集です。
さすがに “エッセイの名人” だけに、読んでいて硬く凝り固まった頭が程よくほぐれてきますね。
半世紀前に書かれたものなので、時折、時代の隔たりから現在の人権意識では相応しくない主張(表現)がみられるのは避けがたいのですが、それでもユーモアに溢れる秀逸なエッセイばかり、それらの中から特に私の印象に残ったところをいくつか書き留めておきましょう。
まずは、「おのれをツネって、人の痛さを知れ」とタイトルされたコラムから。
(p129より引用) いずれにしろ、近頃は人を裁くことで自分が正しいと思う正義の味方が日本にあまりに多くなった。あの自分が正しいと思う心理、人を裁ける心理には何ともいえぬギゼンの臭いがしてならない。自分はそんなに正しいのか。自分はそんなに立派なのか。
遠藤さんは、TVのワイドショーでの “人民裁判” 的な企画コーナーを例に、こうコメントしているのですが、この手の態度は、新型コロナ禍期の自粛警察の活動や昨今のSNSでの匿名投稿でもみられていますね。
コラムの掲載は1974年~75年、本書の第1刷は1978年なので、こういった “他人に対する非難や誹謗中傷” は、新型コロナ禍下の特殊な社会環境やネット社会の進展がもたらした故の風潮ではなく、少なくとも50年近く生き続けている “人の精神傾向” だったようです。
もうひとつ、「学ぶに上下なし」と題された小文より。
(p162より引用) 少なくともこの日本で、それを望む青年が大学までは経済的な心配をそれほどせずに進学できる日はいつ来るのであろうか。それからあとは競争でよい。能力、努力によって差ができてよい。しかし青年たちが社会に出るスタート線だけは同一にしてやりたいと思うのは私の「夏の夜の夢」なのであろうか。
こちらも、今でもなお遠藤さんの夢は実現されていません。むしろ、昔よりさらに“格差”が拡大しているようにすら感じます。
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