幼児虐待・被害者が加害者になる
(ことの葉散歩道 №32)
子どもに暴力を振るう親に出会ってしまった子どもには、さまざまな問題が生じてきますが、そのひとつが攻撃性の問題です。親の攻撃性に直面しながら育った子どもは、「不安と怒りを調節する能力」の発達が悪くなりますから、当然攻撃的になります。これが「犠牲者が加害者になる道」といわれるものです。 |
欲しいおもちゃは、力ずくで奪う。
まるで、奪うことだけが目的のように、無理やり奪ったおもちゃはすぐに放り出してしまう。
力ずくで解決の糸口を見つけようとする。
暴力にさらされた幼児は、なかなか信頼関係を築くことができない。
本来最も信頼でき、優しいはずの親に虐待を受けた子供は、
正常な人間関係を築くことができなくなってしまう。
親だけでなく、自分を取り巻く人間すべてに不安や不信感を持ってしまう。
やがてこの不安や不信感は、暴力性へと発展していく。
泣く、暴れる。
なかなか児童指導員や心理士に心を開かない。
あるいは、部屋にこもる、プレイルームの片隅で一人で遊ぶ姿をしばしば見かける。
人と接することそのものに不安を感じているのかもしれない。
自分の世界を作り、そこが一番安全な世界と思うのかもしれない。
攻撃することが、自分の感情表現の一つになってしまう。
この攻撃性は、他者に向かうとは限らず、自分自身に向かう場合もある。
女性の場合、リストカットなどの自傷行為や拒食症、過食症などで自分自身を痛めつけてしまう。
この繰り返しがストレスの原因になり、うつ病を発症し自殺行為にも発展しかねない。
一方男性の場合は他者への暴力行為に発展する。
成人し結婚してできた子供に再び、自分が幼児に体験したような暴力行為をしてしまう。
暴力の連環現象が起きてしまう。
児童虐待に走る親たちの多くが自分の児童期に親から虐待されていた子どもであったことが報告されており、
「被害者が加害者になる」ケースです。
虐待児童に救いの手を差し伸べることはできても、
親をケアすることはなかなか難しいようです。
だから親子分離して、子どもを施設で保護するケースが多いのです。
親子関係の改善が最善の「ケア」なのです。
親子が一緒に暮らし、その中から改善の糸口を見つけていく。
そんな施設があればいいのですが、
この方法だと人手も、お金も沢山必要になり、
実現が難しい。
憲法で第25条で保障されている、最低限の生活とは、
親子が安心して一緒に生活できる環境を保証するということではないだろうか。
(2016.11.5記)