自分たちの村は自分たちで守るしかない(川内村の決意)
「原子力災害が解決された場合、帰郷するか」。
2011年5月に郡山市ビックパレットに設けられた仮役場で行われた村民アンケートの問いに
「はい」と84%が答えている。
遠藤村長にとっては、「帰村」に向けての心強い村民の意識であったと思う。
3.11から3カ月弱の村民の意識は、
「望郷の念」が強く、「帰りたい」と、帰村に関して積極的な意思表示が現れていた。
「故郷に帰りたい」。原発事故により全村避難を強いられた村民の心情としては、自然な感情の流れだ。
そして、帰村宣言(2012.1.31)からまもなく、
つまり原発事故から1年近く経ったときの村のアンケートは、
【帰る32.6%】【帰らない28.1%】【分からない34.1】と、村民の意識は三つに割れた。
【帰らない、分からない】と答えた人の多くがその理由に「避難先の便利性」を上げている。
村の仮設住宅は郡山市やいわき市の中心部に近いところにあり、店や病院、娯楽施設などがすぐ近くにある。
「仮設住宅は狭いけれど、不便な故郷へ帰ることにも躊躇する」し、
このことが帰村のネックになっているようである。
(私は数日前、川内村役場総務課に電話で帰村の遅れている原因を質問し、担当者も同じような答えをあげた)。
「もともと過疎化が進み、原発事故が追い打ちをかけた」とも。
しかも、帰村を拒む理由はこれだけではない。
国の基準をはるかに下回る放射線量で役場をはじめとする住宅地の安全は確保されたとはいえ、
川内村全体の90%を占める山林の安全性はまだであり、山林には警戒区域も残されている。
「被曝の危険性を過小評価してはならないが、恐れすぎることの害も深刻である」
勇気を以て「帰村」を考えて欲しいと、
櫻井よしこ氏は、週刊ダイヤモンド・2012年3月10日号で延べているが、
放射性物質への不安は簡単にぬぐい去れない。
特に幼児を持つ若い世代にとっては深刻な問題である。 (つづく)