哀歌 翔よ!! (3)
夜空
久しぶりに夜空を仰ぎ見る。
寝る前のひと時に眺めるこの習慣を私は、あの日以来、止めてしまった。
同じように、窓際のペットに横たわりながら、カーテンを少し開けて、
遠くに点在する街の灯やネオンのまたたきを眺めることもしなくなった。
翔を亡くしたことは、あまりに辛く、日常生活の歯車の全てが停止し、
感情もまたあの日を境に凍りついたままだ。
萎(しお)れた花のように水の切れた花瓶のなかで生気を失い、
時間の暗闇の中で私は過ごしてきた。
年の瀬は泣き暮れ、正月は〆飾りも用意せず、
「ゆく年くる年」の番組を見るともなしに眺め、
百八つの煩悩を払うこの鐘の音も、「もう彼には届かないのだ」と思えば、また涙がこみ上げてくる。
仰いだ冬空に、
1600光年の遙か彼方にオリオン座やオオイヌ座、コイヌ座、冬の大三角がまたたいている。
彼がまだ小さかった時、
安曇野の夜空を仰ぎながら、
「ウルトラマンが生まれた星はどこにあるんだろうね」などと、
この小さな少年の情緒が豊かになることを願って、星の話をした。
散歩が好きな私は、孫たちの道案内で、安曇野の田圃道をよく歩いた。
「じいちゃん、荘平おじちゃんはお空の星になっちゃったの?」
見上げると、抜けるように青い空にトンビが、餌を求めて何羽も旋回していた。
私は、数ヶ月前に食道ガンで兄を亡くしていた。
小さな彼には、私の兄のイメージなぞなかったのかもしれないと思う。
私のところから300kmも離れた安曇野で、こんな小さい子供にも肉親の死を話題にし、
「お空の星になった」と話をしてくれた、この子の若い母親に私は、胸の内で感謝した。
黙って夜空を仰ぎ見る私たち老夫婦。
「翔はどの星になったんだろうね」妻がぽつりとつぶやいた。
寒さに震えながら、満天の星を仰ぎ、
帰らぬ「翔」の面影を探していた。
(2014.1月)