パパママ おねがいゆるして ②
強要された「ごめんなさい」
もうパパとママにいわれなくても |
おそらく原文は結愛ちゃんの自筆で書かれてあったのでしょう。
原文(自筆)そのものはおそらく発表されなかったのでしょう。
だから活字体による発表になったのでしょう。
注意深く読めばわかることなのですが、
5歳の子どもがひらがなをマスターするのは練習(訓練)しだいで可能なことと思います。
しかし、覚えたひらがなを自分の気持ちを伝えるための手段として活用することが可能なことなのでしょうか。
最後の4行の表現は5歳の子どもには不可能と思われます。
これまでどれだけあほみたいにあそんでいたことか
あそぶってあほみたいなことやめるので
もうぜったいぜったいやらないからね
ぜったいぜったいやくそくします
明らかに大人の作為が感じられる文面です。
「あほみたいにあそぶ」なんて感覚は、5歳の子どもには絶対にありません。
よく考えて読んでみれば、文章全部が大人の作為に満ちた印象を免れません。
明らかに作為を持って書かされた文章です。
意味も解らないまま、書かされた文章。
口頭による強要なのか、見本を示されて書き写しを強要されたのかわかりませんが
5歳の子どもが「許しを請う」ために、自発的に書いた文章でないことは確かでしょう。
では、なぜこの文章を強要したのでしょう。
虐待が発覚した時しばしば目にする言葉は、
「虐待ではなく、躾(しつけ)」だったという自己保身による言い逃れです。
躾の裏付けとして証拠を強要して書かせたのではないかと推測しています。
自分の血を分けた子どもは病気になれば医者に連れていくが、
結愛ちゃんは医者にも連れて行かない。
灯りのない部屋に閉じ込める。意味のないひらがなの練習を強要する。
たとえ血のつながりが無くても、
縁あって一つ屋根の下で暮らすことになった幼児にどうして冷たく接するのでしょう。
なぜ母親は結愛ちゃんをかばうことができなかったのでしょう。
自己満足と身勝手な両親。
そうした卑劣な人間に躾などできるわけがない。
強要された文章を読みながら、
改めて結愛ちゃんのご冥福を祈ります。
追記: 朝日新聞では、「夢愛ちゃんが書いたノートの一部」という説明で、
作為とか強要されたという説明がなされていなかったから、
読者の中には「5歳の子どもがすごい!」と誤解した人もいたことでしょう。
これは明らかに報道の説明不足と言われても仕方がない。
念のため毎日新聞の関連記事を当たってみた。
表現は「反省文」としてあり、やはり作為、強要のにアンスを伝える記事は見当たらない。
しかし、5歳の子どもが書いたものと判断しても、
「反省文」という表現は適性を欠いています。
ただ、この残された文に対する後追い記事を丹念に掲載している。
同様に小さな子供を持つ母親に当たりインタビュー記事を詳しく掲載した、
街の声を拾っている。
また、児童相談所の対応についても詳しい検証記事が掲載され、
通り一遍の記事に差をつけている。
(つづく) (次回:児童相談所について)
(2018.6.21記) (児童虐待№5)
先日はあなたのお話を紹介させていただき、本当にありがとうございます。
もしよろしければ、今回、あなたが前回の続きをお話されている事のお知らせ、そして私が想った事を私のブログでお話させていただきたいと想いますが、よろしいでしょうか?。
ご承諾いただければ有り難いです。
「ごめんないい」の文章を、強要したのではないか、という推測をもとにして、私の考えを述べさせていただきました。
ご紹介、ありがとうございます。
光栄に思います。
「さくらさん」のブログを読みながら、また、私のブログを読みながら、読者の皆さんが何かを感じていただければ幸いです。
読んだ人それぞれが、「自分はどう感じたか、その時の憤りや哀しみ」を大切にしていただければ幸いです。
天候不順の季節です。健康に留意し、ご自愛ください。
先程、新しいお話をご紹介させていただきました。
今回は私の経験、自分の想いを含めてのお話もさせていただきました。
虐待という辛い、恐ろしい事が一刻も早く無くなる事を心から願うと共に、改めて結愛ちゃんのご冥福を心からお祈り致します。