ある人気映画ブログのコメント欄が閉鎖されました。
表向きの理由はレスを返す時間がないから、ということだそうですが、その人のツイッターを見るとそれだけじゃないっぽい…。結局のところ真相はよくわかりませんけどね。
ブログを長くやっている人なら(ときには始めたばかりの人であっても)、コメント欄の閉鎖を一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
コメント欄があることのメリットはそのブログを読んでくれる人との交流が挙げられると思いますが、コメント欄は同時にトラブルの温床にもなりうりますからね。
トラブルは避けたい、と思う心理もわからないではありません。
ちなみに自分はコメント欄を閉鎖しようと思ったことは一度もありません。
などと書くとコメント欄でトラブルが一度もなかったのかとか、荒らしがやってきたことが一度もないのかとか思われる方がいるかもしれませんが、そんなことはなく、というかむしろ逆で自分のような偏屈な人間のブログは往々にしてその手の荒らしを、、、荒らしという言葉に弊害があるなら相手をするのが面倒臭い人を呼び込むことがあるようです。
例えば、、、以前記事の中でたまたま話の流れで大学は国立と私立をそれぞれ二校ずつ合格したと明かしたことがあるんですよ。
それは自慢というより個人的にはあまり思い出したくもない過去の栄光なのですが。
そしたらある人が国立大学を二校合格するのは制度上無理なはずだって言いがかりをつけてきたんですよ。
嘘をついたことを認めろってしつこくて閉口しました。
もし自分が嘘をついていたなら、嘘をついてゴメンなさいと謝罪も出来るんですが、自分が大学を四校受かったことは本当なんです。だから嘘をついたと認めることも謝罪も出来ません。
でも、その人があまりにしつこかったので、嘘の自白をしようかってふっと思いましたよ。
自白の強要をされた冤罪被害者の気持ちがわずかながらわかりました。
その人と縁を切ることが出来たときはほっとしましたよ。
嘘の自白をしなくてよかったです。
姪っ子に課題図書を与えて、その本を何冊読んだかでお年玉をいくらあげるか決めようと思ってます、という内容の記事を書いたときも面倒臭い人たちがやってきましたよ。
お年玉に条件をつけるなんて非常識だとか何とか。
あのですね、お年玉を無条件に与えることが悪い、とは言いませんよ。それはそれでいいでしょう。
でも課題を与えることの何が悪いんです?
課題を与えるってことはつまりは課題をクリアすればするほど多くのお年玉をもらえるってことであり、より多くのチャンスを与えるってことです。
姪っ子にチャンスを与えることの何が悪いというのか、自分にはわかりませんね。
その面倒臭い方々にもどうにか退場していただきましたが…。
最近では、漫画を貸してくれなかった営業担当には注文を入れたくない!というようなことを書いたら、「困ったもんだ」というタイトルでコメントをしてくれた人がいましたよ。以下全文です。
趣味の漫画の貸し借りを原因に今後の仕事の取引をお断りするか・・・
クレバーに考えれば北川が阿呆なのは言うまでもないが、それとは切り離した観点で、あんたは自分のご機嫌で取引業者を切ったりつないだりするいやーなやつになってるよ。
嫌な思い出は脳内でどんどん脚色されていくもの。
本当に「嫌です。重いし、面倒臭いし。自分で買ってください」って言ったのか?
「今はたくさんの巻数でていますし、いっぺんに貸すとなると重いですよ?」「運ぶのとかもきっと大変でしょうし…」とかそんなニュアンスだったんじゃないの?
まぁ、こっちも想像でしかないが未だかつて「嫌です。重いし、面倒臭いし。自分で買ってください」なんて言い方する人間なんて本かネットの中でしかあったことないのでね。つい疑い深くなってしまう。許せ。
とりあえずは自分で書いた文章を冷静な目でもう一度読んでみることをお勧めする。
言葉には、正しいか、正しくないかとは別に重さがある、と思っています。重さとは資格と言い換えてもよいですが。
例えば、十二人の人間を殺した殺人鬼が「人の命は大切だ」と言ったとしても、説得力がないですよね。お前が言うな!と思うだけで。
初対面の相手から、上から目線で言われては、その言葉がどんなに正しかったとしても、自分はそれを認められるような器の人間ではないのです。
このコメントに対する自分のレス。以下全文。
いやはや、とらじさん、あなたは何と潔癖な人か。
おそらく生まれてから公私混同をされたことがただの一度もないのでしょうね。
心から尊敬します。
出来たらあなたのような人に政治家になってもらいたい。
そうしたら何もかもがクリーンになるでしょうに。
いっそのこと今から政界に打って出ては如何でしょう?
間違いなく自分はあなたに一票投じます。約束しますよ!
その点、自分はまったくダメですね。
昔から公私混同の塊りみたいな奴です。
依怙贔屓しまくりです。
今でも同じ納期同じ価格であれば、営業担当の気が合う方に発注をしてしまいます。
仮にプライヴェートで一緒に映画に行くぐらい仲が良くなればそいつに出来るだけ注文を回してやろうなんて考えてしまいます。
あなたに言わせればそういうのも「悪」なんですよね。
自分はそれぐらいは融通を利かせてもいいか、と考えるのですが。
>とりあえずは自分で書いた文章を冷静な目でもう一度読んでみることをお勧めする。
読みました。
この文章を書いたやつは何ともセコくて器量の小さい奴だと思いましたが、まぁ自分がセコくて器量の小さい奴だということは充分認識していることなので、それ以上思うことは特にありませんね。
政界進出の件、是非ご一考ください。
何ていうか、我ながらよく減らず口を叩くものだなというか、もっと軽く流せばよかったかもしれないなとか、テキトーに論点をずらしているもんだなとか、思っちゃいますね。笑。
結局、言いたいのは、ブログをやっていれば、そしてコメント欄を開放していれば、いろんな人と出会って、いろんなことがあるってことです。
それでもコメント欄を開放していた方が、より多くの得るものがあると自分は思っています。そう信じたい、と言うべきかもしれませんが。
コメント欄を閉鎖しようと思ったことはないと言いましたが、ブログの閉鎖はしょっちゅう考えます。
記事のアップ数よりコメント数の方が少ないブログなんて存在する価値があるとも思えないんですよね。。。
表向きの理由はレスを返す時間がないから、ということだそうですが、その人のツイッターを見るとそれだけじゃないっぽい…。結局のところ真相はよくわかりませんけどね。
ブログを長くやっている人なら(ときには始めたばかりの人であっても)、コメント欄の閉鎖を一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
コメント欄があることのメリットはそのブログを読んでくれる人との交流が挙げられると思いますが、コメント欄は同時にトラブルの温床にもなりうりますからね。
トラブルは避けたい、と思う心理もわからないではありません。
ちなみに自分はコメント欄を閉鎖しようと思ったことは一度もありません。
などと書くとコメント欄でトラブルが一度もなかったのかとか、荒らしがやってきたことが一度もないのかとか思われる方がいるかもしれませんが、そんなことはなく、というかむしろ逆で自分のような偏屈な人間のブログは往々にしてその手の荒らしを、、、荒らしという言葉に弊害があるなら相手をするのが面倒臭い人を呼び込むことがあるようです。
例えば、、、以前記事の中でたまたま話の流れで大学は国立と私立をそれぞれ二校ずつ合格したと明かしたことがあるんですよ。
それは自慢というより個人的にはあまり思い出したくもない過去の栄光なのですが。
そしたらある人が国立大学を二校合格するのは制度上無理なはずだって言いがかりをつけてきたんですよ。
嘘をついたことを認めろってしつこくて閉口しました。
もし自分が嘘をついていたなら、嘘をついてゴメンなさいと謝罪も出来るんですが、自分が大学を四校受かったことは本当なんです。だから嘘をついたと認めることも謝罪も出来ません。
でも、その人があまりにしつこかったので、嘘の自白をしようかってふっと思いましたよ。
自白の強要をされた冤罪被害者の気持ちがわずかながらわかりました。
その人と縁を切ることが出来たときはほっとしましたよ。
嘘の自白をしなくてよかったです。
姪っ子に課題図書を与えて、その本を何冊読んだかでお年玉をいくらあげるか決めようと思ってます、という内容の記事を書いたときも面倒臭い人たちがやってきましたよ。
お年玉に条件をつけるなんて非常識だとか何とか。
あのですね、お年玉を無条件に与えることが悪い、とは言いませんよ。それはそれでいいでしょう。
でも課題を与えることの何が悪いんです?
課題を与えるってことはつまりは課題をクリアすればするほど多くのお年玉をもらえるってことであり、より多くのチャンスを与えるってことです。
姪っ子にチャンスを与えることの何が悪いというのか、自分にはわかりませんね。
その面倒臭い方々にもどうにか退場していただきましたが…。
最近では、漫画を貸してくれなかった営業担当には注文を入れたくない!というようなことを書いたら、「困ったもんだ」というタイトルでコメントをしてくれた人がいましたよ。以下全文です。
趣味の漫画の貸し借りを原因に今後の仕事の取引をお断りするか・・・
クレバーに考えれば北川が阿呆なのは言うまでもないが、それとは切り離した観点で、あんたは自分のご機嫌で取引業者を切ったりつないだりするいやーなやつになってるよ。
嫌な思い出は脳内でどんどん脚色されていくもの。
本当に「嫌です。重いし、面倒臭いし。自分で買ってください」って言ったのか?
「今はたくさんの巻数でていますし、いっぺんに貸すとなると重いですよ?」「運ぶのとかもきっと大変でしょうし…」とかそんなニュアンスだったんじゃないの?
まぁ、こっちも想像でしかないが未だかつて「嫌です。重いし、面倒臭いし。自分で買ってください」なんて言い方する人間なんて本かネットの中でしかあったことないのでね。つい疑い深くなってしまう。許せ。
とりあえずは自分で書いた文章を冷静な目でもう一度読んでみることをお勧めする。
言葉には、正しいか、正しくないかとは別に重さがある、と思っています。重さとは資格と言い換えてもよいですが。
例えば、十二人の人間を殺した殺人鬼が「人の命は大切だ」と言ったとしても、説得力がないですよね。お前が言うな!と思うだけで。
初対面の相手から、上から目線で言われては、その言葉がどんなに正しかったとしても、自分はそれを認められるような器の人間ではないのです。
このコメントに対する自分のレス。以下全文。
いやはや、とらじさん、あなたは何と潔癖な人か。
おそらく生まれてから公私混同をされたことがただの一度もないのでしょうね。
心から尊敬します。
出来たらあなたのような人に政治家になってもらいたい。
そうしたら何もかもがクリーンになるでしょうに。
いっそのこと今から政界に打って出ては如何でしょう?
間違いなく自分はあなたに一票投じます。約束しますよ!
その点、自分はまったくダメですね。
昔から公私混同の塊りみたいな奴です。
依怙贔屓しまくりです。
今でも同じ納期同じ価格であれば、営業担当の気が合う方に発注をしてしまいます。
仮にプライヴェートで一緒に映画に行くぐらい仲が良くなればそいつに出来るだけ注文を回してやろうなんて考えてしまいます。
あなたに言わせればそういうのも「悪」なんですよね。
自分はそれぐらいは融通を利かせてもいいか、と考えるのですが。
>とりあえずは自分で書いた文章を冷静な目でもう一度読んでみることをお勧めする。
読みました。
この文章を書いたやつは何ともセコくて器量の小さい奴だと思いましたが、まぁ自分がセコくて器量の小さい奴だということは充分認識していることなので、それ以上思うことは特にありませんね。
政界進出の件、是非ご一考ください。
何ていうか、我ながらよく減らず口を叩くものだなというか、もっと軽く流せばよかったかもしれないなとか、テキトーに論点をずらしているもんだなとか、思っちゃいますね。笑。
結局、言いたいのは、ブログをやっていれば、そしてコメント欄を開放していれば、いろんな人と出会って、いろんなことがあるってことです。
それでもコメント欄を開放していた方が、より多くの得るものがあると自分は思っています。そう信じたい、と言うべきかもしれませんが。
コメント欄を閉鎖しようと思ったことはないと言いましたが、ブログの閉鎖はしょっちゅう考えます。
記事のアップ数よりコメント数の方が少ないブログなんて存在する価値があるとも思えないんですよね。。。