この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

九州国立博物館の特別展『台北 國立故宮博物院 神品至宝』に行ってきました。

2014-10-11 21:26:27 | 日常
 今日は九州国立博物館の特別展『台北 國立故宮博物院 神品至宝』に行ってきました。
 ぶっちゃけあんまり乗り気ではなかったんですよね。
 と言っても別にまったく興味がなかったというわけではないのです。
 ただ、特別展開始第一週目で、しかも三連休初日であれば来場者も半端なく多いだろうなと思ったんです。観に行くのはある程度客足が落ち着いてからでよいだろう、そう考えてました。
 それが今日観に行くことになったのは一つには自分の山口行きが中止になったからというのと、もう一つはお袋が今日行くことを希望したから、です。
 というのも特別展の特別展示品である【肉形石】が10/20までの展示で、今日観に行かなければおそらく観れないだろうと思われたんですよね。
 そんなわけで早起きして(というほど早起きではないけど)大宰府まで出かけてきましたよ。
 来場者は思ったほど多くはなかったです。それでも開場するまで三十分近くは待ちました。

 で、実際【肉形石】を見ての感想です(写真は当たり前ですがありません。撮影禁止だったので。)。
 自分は【肉形石】ってたまたま採れた鉱物が肉にソックリだった、スゲェ!みたいなものを想像していたんですよ。
 でもそうじゃなくて、実際は【肉形石】には染色、加工が為されてるんですよね。
 実も蓋もないことを言ってしまうと、肉に見えるように色を塗った石が肉に見えるのは当たり前なんじゃないかと思ったりして、、、中国四千年の美術の一品にケチをつけてゴメンなさい。汗。

 さらに言っても詮無いことを言いますが、この特別展では係りの人から歩きながらの鑑賞を求められたんですよ。
 それは来場者が多かったので仕方のないことではあるのですが、歩きながらの鑑賞で感動するってことはあり得ないですよね。
 感動するってことは、つまり魂を奪われるってことじゃないですか。魂を奪われ、息をすることさえ忘れそうになる。視線を動かすことままならず、身動きすることすら出来ない。
 それが感動するってことじゃないでしょうか。
 それを、「はい、歩きながらの鑑賞をお願いしま~す」なんて言われてせっつかれたら、感動は出来ないですよね。
 自分はそれが美術史史上最高の芸術品であっても、歩きながらの鑑賞では感動しない自信があります。
 感動しようがないですもん。

 そんなわけで自分はこの特別展では特別感動はしなかったんですが、それはひとえに自分が捻くれ者であるからかもしれません。
 審美眼に自信がある方や、一般の人は行ってもいいと思いますけどね。
 自分はカボチャドキア国立美術館の方がはるかに感動しましたが…。
コメント (3)
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