続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

孫の心配。

2014-06-09 06:48:45 | 清一朗
 息子の所へ電話をすると、すぐに出た孫のキヨちゃん。
 開口一番
「おばあさんは今どこにいるの?」と妙なことを聞いた。
「ここにいるよ」
「どこ?」
「ここ、横須賀のおうち」
「ええっ、じゃあ、おじいさんはどこにいるの?」と畳み込んで聞いてきた。
「ここ、すぐそばにいるよ」
「・・・」少し間を置いて
「ふうん、お母さんがね、スマホで横須賀を見ていたよ、がけ崩れがあったって」(ああ、そういえば・・・5才の幼心、がけ崩れは横須賀全域にあったと思ったのね。)

 心配してくれてありがとう。


「がけ崩れってなに?」
「がけが崩れてお家や車がぺしゃんこになって、人が死んでしまう場合もあるの」
(ええっ、恐いなぁ、横須賀のがけ崩れって・・・それじゃあ、おじいさんとおばあさんはどうしたんだろう、もう死んじゃったのかな)小さな頭で考える、ああ、今ごろは・・・。

 そこへ、おばあさんであるわたしの電話、孫の開口一番「今どこにいるの?」が理解できる。
《ありがとう、心配してくれて・・・ありがとう》

母の日。

2014-05-12 06:38:27 | 清一朗
 昨日は孫に花を持たせて息子一家が来訪。
「ベトナムへ行ったんだよ」と孫。
「楽しかった?」
「うん、疲れた」と、感想もそこそこ。でも(今はどこへでも気軽に行く時代なんだなあ)と、しみじみ。横須賀から一歩も出たことのないわたしなんかはただ呆然。(東京ですら臆していて戸惑いがある)

 母親に「おばあちゃんは500と500を足すと線になるって言うけどおかしいなあ」と言っていた孫も5才の誕生日を向かえ、「50と50を足すと100になるんだよ」と、しっかり把握。

 ほんの二時間あまりの滞在・・・でも、用意した紙にお絵かき。

  

 母親の実家に帰る時の渋滞の様子を描いたらしい。「周りは壁(高速道路)だから、何も見えないんだよ」と。

混乱。

2014-03-24 07:04:16 | 清一朗
(どっち?)小さな頭の中で混乱が起きる。

 孫のキヨちゃんは、わたしを「おばさん」と呼び、間違えに気づいて「おばあちゃん」と言い直す。それでも、すぐに「おばさん、おばさん」とわたしを指して言う。

《何で?》

 多分こういうことではないか。
 孫の居住地において、わたし達(嫁の母親はわたしより4歳年下)おばあちゃんと同じような年恰好の人を「おばあちゃん」と呼んで、母親に慌てて咎められたのではないか。《あの人は、おばあちゃんではなく、おばさんなのだ》と。

 孫の頭の中では混乱が起きる、あの人はおばさんで、横須賀と菊川のあの人たちはおばあちゃんなのだから、区別して呼ばなくてはいけない。
 近所のおばあちゃんを決して、断じておばあちゃんなどと呼んではいけないらしい。(ううん、難しいな)

 そこで孫は考える。お婆ちゃんがいけないなら、皆おばさんと呼べば、この問題はクリアーできるのではないかと。
 無意識のうちにも、「おばさん」と呼んでいれば母親の驚愕は避けられるに違いないと感じたのかもしれない。

「おばさん」「おばさん」と呼ぶたびに、「おばあちゃんでしょ」と、おばあちゃんは言い直している。(この人はどうやら「おばあちゃん」でいいらしい)

 混乱、日本語は難しい。こんな小さなうちから、その微妙さを習得していかねばならない。

「確か、ここにはもっと入っていたはず・・・」など、表現力が付いてきた孫だけど、道はまだまだ遠い、頑張ってね。

孫の到来。

2014-03-23 06:38:27 | 清一朗
 息子から電話があり「四時ごろに行くけどいい?」「もちろん、もちろん」

 ひっくり返ってTVを見ていたわたし、やおら起き上がり、さて・・・。


 結局「何も無くてごめんね」
「で、何か用?」「ううん、別に」(そう、孫の顔を見せに来てくれたのね、ありがとう)

 二人の孫、元気にスクスク。
 キヨちゃんは、保育園の友達の名前を沢山言えるようになったし、弟のハルちゃんは食欲旺盛になり劇的変化。大変な時だけれど、よく頑張っている。息子もいつの間にかお父さんの顔・・・。

 キヨちゃんの絵は、高速道路を走って来たという報告と魚釣り(「タコもいるんだよ」と、にっこり)4歳児に負けているわたし、頑張りようがない。


キヨちゃんの絵 ②

2014-01-03 07:19:25 | 清一朗
 キヨちゃんの描くものは立体的である。誰に教わったのでもなく横から、あるいは後ろから、そして斜め上からの図形を描く。作意もなくただ淡々とすらすら思うままに描く。子供の持つ特有な素直さなのだろうか。
 この絵はお母さんの実家(静岡県菊川)に帰るときに見える富士山も描いたという。

キヨちゃんの絵。

2014-01-02 10:33:03 | 清一朗
 孫は絵が大好き。息子が一昨年のクリスマスに与えた「お絵かき学校」と名づけたおもちゃに夢中。(描いたら即消せるというもの)

 こちらに来る時にもそれを持参してくるけど、やっぱり残したいので、わたしは紙を用意。
「キヨちゃんは、もうおばあちゃんより上手になっちゃた」と上機嫌。

(この年になるまでを懸けて《才能なし》を確認しているおばあちゃんのわたしは、大きく肯いたことでした)

 ちなみにこの絵は「家族みんなの絵で、ハイハイしている弟、キヨちゃん(本人)、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん」そしてドアの向こうには遊びに来ている女の子、窓の外には山、壁はレンガ(模様)で、手前には荷物があるの。虹も描いちゃった」とのこと。

祖父母会。

2013-11-14 07:10:29 | 清一朗
 今日は、孫の様子を観に相模大野にある「ののはな文京保育園」に行く。

 でも、かなり遠方・・・でも参観者のなかには他県の方もおられるから不平も言ってられない。

 
 小さな子供にも五分の魂、何でもよく承知している。周囲の空気も察知していて、自分はどう対処すべきかも学んでいる。小さな子供だからという扱いは許されない。
 小さな子供である孫を見るとき、わたしは一人の人間の世界に触れる、そんな気持で見ている。小さな身体の中に大きな蕾が芽吹いているのだから。

孫たちの到来。

2013-11-11 07:39:45 | 清一朗
 幼児の成長は著しい。少し見ないでいるうちにすっかりお兄ちゃんらしくなった四歳児。ゼロ歳児の頭をなでたりしているし、ゼロ歳児のほうはお兄ちゃんの姿がちょっとでも死角に入ろうものなら、即大泣き。

 息子夫婦が代々木までフィギュアースケートを観に出かけたので、二人を預かったのだけれど、ハルちゃんはすでに人見知りでなつかず、泣いてばかり。母乳で育てているので粉乳は手で払って受け付けず・・・ほとほと困惑。
 それでも息子からの電話には「大丈夫、元気元気」と。

 何やかやと時間は流れ、何とか無事お役目完了。帰ってしまえば、やっぱり淋しい・・・。
(キヨちゃんは絵が大好き、何枚も何枚も・・・)

次々に・・・。

2013-07-29 06:38:32 | 清一朗
 子供はあまり物を考えないで、思いつくままにどんどん描いていくのだろうか。
 車(自動車や新幹線/電車)が好きで車をよく描く。特に父親の乗る車がお気に入りで重ねて何枚も描いていた。

「じゃ、ほかのは?」
「・・・」とすらすらと描いたのがこの絵。
 お父さんとお母さんと、ぼくと弟の四人がテーブルを囲んで椅子に座っている食事の光景。キッチンには「レンジや洗い場があるんだ」と描き加えた。

 観察力がある。

「保育園より幼稚園がいいなぁ」ともらした。近所の子が通う幼稚園バスに魅かれているらしい。
「保育園のお友達は?先生のお名前は?」
「・・・」黙っている。ひらがなも書けるし言葉も達者な四歳児が黙っている。言いたくないのかもしれない・・・何かの軋轢を感じているのだろうか。(否、いえ、いえ・・・)

 いろいろあっても孫は息子夫婦の子供、余計な口出しは無用。全て役に立たない経験はないと信じ、(なるがまま)の日常から何かをつかみ会得していく。
 杞憂・・・両親の愛情をたっぷり受けている孫は、幸福である。

 子供たちの未来が光に満ちたものであることを期待している!

一家四人。

2013-07-28 15:40:11 | 清一朗
 この猛暑の中、次男一家四人が来訪。一晩泊まって行ってくれた。

 孫の顔を見るのは嬉しい、孫の成長も嬉しい。一月に生まれた孫も元気に首をもたげ忙しく寝返りを打つ。ニコニコ笑い、大人しい所は次男そっくり。下ばかり関心を持たれる上の子も自分を主張して饒舌になった。

 ラッシュに巻き込まれないうちにと早々に帰って行ってしまったけど、もう無事に帰りついた頃かな・・・。

 四才になった孫、次から次と絵を描きまくって「清ちゃんが描くとみんなが大喜びするから」と笑わせてくれた。

 自由闊達、絵や文字に反応するタイプ。新しい時代を切り拓いていく子供たち、頑張れよ!