早速、妹から「杖デビューしたって?」との挨拶。
ブログは身内が読んでいることなど念頭になく、不特定多数(少数?)の方を思って書いている。ところが…である。
ああ、そうだった。惨状などは世間にばれても、身内には内緒にしておきたいと、日常に関しては極力避けている。なのに・・・。
まあ、いいか。杖を使用したこと、人生初めての記念日だもの。年を重ね、経年劣化を楽しんで行く覚悟。面白くもおかしな終活にしたい。
早速、妹から「杖デビューしたって?」との挨拶。
ブログは身内が読んでいることなど念頭になく、不特定多数(少数?)の方を思って書いている。ところが…である。
ああ、そうだった。惨状などは世間にばれても、身内には内緒にしておきたいと、日常に関しては極力避けている。なのに・・・。
まあ、いいか。杖を使用したこと、人生初めての記念日だもの。年を重ね、経年劣化を楽しんで行く覚悟。面白くもおかしな終活にしたい。
膝痛が急速に進み、どこへも行かれない状態。もちろん整形にお世話になっているが、ヒアルロン注射か湿布を提案される程度の治療。
日増しに悪化している感じ・・・ひょこひょこ歩いている。
十年も前、サークルの先輩A氏に手作りの杖を頂いた。A氏のお葬式の時に手作りの杖を二本頂き、合わせて三本を傘立てに収納している。趣味で拵えた杖をA氏自身は使うことなく旅立ってしまった。
これを使わせてもらおうか・・・高さを見て使用、背筋が伸びていい感じ!
昨日買い物で杖デビューを果たした。
「おつえを」と呼び止められ、果て(おつえ)とは、と考える間もなく杖の置忘れに気づいた。
「今日初めて持ったんです」と照れ笑い。
まだ杖の正しい持ち方が分からないけど「転ばぬ先の杖」を胸に刻んでいく。
近所のKさんは百歳である。いつも元気で彼女に会うと元気をもらう。
犬の散歩で急に走り出した犬に気づかず転倒した時も「今日は、うまく転べたよ」とにっこり。
二人で買い物に出かけた時も「あんた重そうだね、持ってあげようか」と年上のKさんに気遣われたこともある。(彼女は80代わたしは50代)
「ちょっとそこまで」というので付いて行ったら、こちらはくたくた・・・豆の蔓を延ばすのに細い竹が要るとのことで、スリッパを脱ぎ捨てて藪の中へ果敢にも入って行った時の驚き(だって、90才にも近いころの話)
息子さんを見かけたので「お母さんお元気ですか?」と挨拶をしたら、「はい、元気にしています。デイサービスで送られドアの中に入っても、ヘルパーさんが帰る車の前まで再び出てきて手を振るんですよ」という。
そしてこの9月にはめでたく101歳になるとのこと。
「毎日ね、毎日喧嘩していますよ、大きな声で」と笑った。
それから去年、入院中に院内感染でコロナにかかったという、コロナも恐れをなして逃げたのかも。スゴイよ、Kさん。百歳万歳! Kさん万歳!
小さな川…このあたりは子供のころ「雨が降って水位が上がると、ウナギが捕れたんだ。蛍も笹竹でさっとはいただけで、捕れたし…」と、懐かしそうに話す地の高齢者。
今はコンクリートで固められた小川、だけど、川の淵にはいろんな草木が生えている。
カラスザンショウ、この葉にアゲハチョウの卵が産み付けられるからと、葉をひっくり返して眺めたり、「ああ、これは野茨」バラの原種・・・小学校のときの山歩きを思い出す。博物館の生物探索も楽しかった。でも、もう無理・・・足元不如意のおばあさんと化したわたし、近所の草木を眺めているのが無難。
衰えていく体調ではあるけれど、その時々それなりに自然に触れ合える楽しみに感謝している。
隅っこ、コンクリートのほんの隙間、四十年目にして突然芽を出したデイジー。雑草かと思い抜こうとして「?」と躊躇った。やがて、葉が、そして花が、びっくり!!こんなところに咲くなんて、わたしも負けられないね。
くよくよしないで元気に行く、気分だけでも。
運動嫌い、外出もぎりぎり躊躇う。一日中、座っている、床が抜けるほどに…。
そんなわたし、ラジオ体操だけは《行かねばならぬ!》と決行。一歩前へ出る、二歩進む…、何枚目かのカード(80回)終了。
これを喜ばずして、他に何の喜びが、という淋しい日常。花である、ブログに記すべき花一輪をここに掲げたい。
俳句は文字に慣れ親しむくらいの感覚でぼんやり眺めていたけれど、飯島晴子を知ってその深さに驚愕。恐れ多い気持ちで接している。
滅多に本を読まない、本に付いていけない読書熱の低いわたしであるけれど、『反骨無頼の俳人たち』(村上護 編)を読んで、鈴木しづ子、藤木清子を新たに知ることができた。
わくわく感、体中の血が沸き立つような歓喜、こみ上げてくるものがある。
わたしは本当の自分を隠そうとして、人の作品を借りて自分の思いを書く癖がある。彼女たちの裸には、年をとっても自分をさらけだすことに躊躇している臆病かつケチな人間にはない堂々とした誇りがある。
(いいね)を軽く超越する歓喜!頼りなく歩いている白髪の老婆(みすぼらしいかもしれない)にも、こんな素晴らしい奇跡の出会いがあるなんて!
嬉しくて、うれしくて、はしゃいでいる。
正月明け(7日)に行ったきり、春の彼岸明け(3月24日)まで休止・・・。
ラジオ体操以外まるで動かないわたしにとってラジオ体操に行く1000歩と5分程度の体操が唯一の運動(信じがたい怠慢)である。だからそれが無いと壊れかけの身体に拍車がかかるというもの・・・。
広場を幾周もする人や衣笠山を闊歩するような強者と比べてら、貧相この上ないけれど、まぁとにかくラジオ体操の再開は嬉しい!
馬堀の山(低山)を、子供をわきに抱え、上り下りする若いママを見かけた。驚いて「何か(運動を)なさっていたの」と聞くと「いえ、別に」という。不審そうにため息をついたら「陸上をしていました」と漏らした。
やっぱりねぇ、運動をしていた人との体力の差は歴然、人生の大半を引きこもり状態で過ごすわたしとは大違い!
今更悔やんでも始まらないけど、せめてラジオ体操だけは頑張りたい(笑止!)
とにかく出かけるのだ!という、それだけの気持ちで向かった「紙芝居サークル・定例会」。無事終了し、やれやれ~って感じ。
いつも逸見から大津まで徒歩で通う、という空ちゃんに、
「帰りも歩くの?」と聞くと、「朝は電車乗っちゃったから」と恥ずかしそうに言う。(恥ずかしくないよ、わたしなんか目的地まで夫の車だよ)
情けないわたし、意を決して
「一緒に歩いていい?」と、お伺いを立ててみた。
「JR横須賀駅まで?」というので「ううん、(京急)中央駅まで」と、とっさに口を突いて出た言葉。自分でも驚きながら、そう、中央駅まで約二駅、このくらい歩けないでどうするの!自分にはっぱをかけてみた出来心。
300メートルを渋るわたし・・・歩けば歩けるもんだね。
「階段、大丈夫?」「平気みたい」「下りは?」「全然平気みたい」(歩道橋で)
お調子者のわたし、友人の前では見栄も手伝って、まるで元気。
「歩こう会」を止めてから極端に自信喪失・・・でも大丈夫だったんだ…。
「空ちゃん、ありがとう!」空ちゃんって、空気じゃありません。ニックネームです。(50分近くかかったかもしれない)
歩けるってステキ! 空ちゃん、ありがとう!
どのくらい前だったか忘れたけど、学芸員(神奈川県立近代美術館)が「美術に関するブログを書いている人」を集めて会場をレクチャーしながら回るというイベントがあった。
(わたしレベルでよかったら)と、恐る恐る参加の意を伝えた当日、受付に行くと、即「ハマダセツコさんですね」と言う。「一番最後でしたか」と答えると、「いいえ」と・・・。
時間になるまで待っていると、やおらA先生が現れ「やぁ、昨夕はラジオでも呼びかけたんですけどねぇ」といい、参加者は、わたし一人だったことが判明。
恥ずかしいやら可笑しいやらで楽しい時を過ごさせていただいた記憶。
それにしても美術ブログなんて言うものは関心が薄くてブログに書く人なんか稀れだということが分かった。美術は書くものじゃなくて描くもの、造るもの、見るものに違いない。
希少(きわめてゼロに近い)のわたし、穴があったら入りたい心境でした。