やがてパソコンと共にゴミになるで、故N氏に感謝しつつここに紹介しておきたいと思う。
白老大滝線涼橋を過ぎ、トドマツ林道沿いに行ったところで、ホロホロ山山頂の東約1.9km、白老駅から約24km地点にある。
鉱山は新第三紀末の変朽安山岩化した両輝石が、硫黄ガス又は鉱液の交代作用によって生じたものと思われる。
広田幸松(東京)らは、昭和11年、東京旭企業(㈱と提携、採掘を開始し、鉱員約30名で日産約100tの生産を行った。
12年、松岡清次郎が譲渡を受け、白老硫黄鉱山㈱を設立し、本格的な開発準備を進めたが、鉱区が御料林内にあるため、精錬所は許可されず敷設した軌道施設を撤去した。
15年北沢産業㈱がこれを譲り受け、戦時中、細々と生産を続け、鉱石をダンコ馬や馬橇で運搬した。
昭和26年には日本鉱業(㈱と提携し、共同出資で北新硫黄鉱業㈱を設立、精錬所を建設し経営にあたったが
昭和30年に閉山した。冬期間運搬用道路の除雪費がかさんだのと、鉱石が低品位となったためといわれている。
2005/11/02 調査
林道の南側に沢の方向へ道らしき跡。
トロッコの車輪か。
硫黄が散乱している
レンガの破片も。
トロッコのレールの一部か。
レンガ作りの遺構
地面に溝が掘ってある。
溝に融けた硫黄を流し込むかの様に幾つか並んでいる。
煙突?? 鉱石の投入口??
「硫黄の出口?」の反対側に。硫黄鉱石を熔かすため火の焚口だろうか?
小さな沢があり
沢を渡ると、鉱石の採掘場らしい。
所謂ボタ山?
掘った鉱石を落とす木製のシューターか?
鉱石置き場か?
先は、溝状に掘れたところに木片が。
溝から更に上に詰める。
蝶番が付いた木片
更に登り詰めると、ここで鉱石らしき物は見えなくなった。
ボタ山の上からの景観
約1時間30分でトドマツ沢林道に戻る。
今でもそう変わらず痕跡は残っていると思われる。