およそ9ヶ月前。
この頃、仕事の手詰まり感がどうしても拭えないと感じていた頃、某研究所の研究員の公募をたまたま(本当にたまたま)見つける。今の仕事にやり甲斐はある。しかし、このまま残り10年か続くかなみたいなそういう感じがずっと引っかかっていてあまり良い感じではなく。
で、ダメ元でこれまでの少ない研究実績と仕事の実績まとめて書類送ったら、面接においでと言われる。
想定外と言えば想定外で、一次の書類選考通るだけで十分で、面接に行くことなんて考えてなかったが。
でもまて、行かずに止めるというのはどうなんだろう、と。
募集の記事を見つけたのが1ヶ月前に亡くなっていた1号の誕生日だったというのは。偶然ではないような気がして。
行くと仕事に穴を空けるというのも充分分かっていた。とりあえずできるところまでやった上でバトンを渡した。
家族の同意は得られていないまま。
期間は一週間なかったが、急いでANAの宿泊パック取って。
仕事を終えてそのまま横浜のビジネスホテルへ。
あっという間に当日の朝。面接は午後だが落ち着かないので出る。
街を歩く。
蕎麦を喰う。
駅に着く。早すぎる。
で少し走る。
駅で着替え、バスで指定された時刻を狙って。バスは狭い路地を走る。研修でここに来たときは乗ったことがなかったな。
そして、面接へ。昼ご飯は食べていない。いつものこと。それより近くに店がないことで、遠くに来た感があった。
待ち時間2時間の面接時間30分。プラス理事長面接まであった。気分はふわふわしたままだった。待ち時間の間に、久里浜の海がきらきらしていて、でこの建物の異様な静けさと心地よさと圧迫感とが同時に押し寄せてきて、何とも云えない感じのまま、面接官や理事長と話をした。普段通りの気持ちで話をしているようで、結構相手のペースにかき回された(そりゃ当たり前か)。威圧感があって、こりゃ全然太刀打ちできんわと。真剣と新聞紙で作った模造刀ぐらい開きがあった。
帰り道は、バスを選択せずに歩いて帰る。西日一歩手前。寒くはない。歩きながら仕事のこととか生活のこととかいろいろ考えた。本気だったがどこか人ごとのようにも感じていた。それが面接の受け応えには出ていた気がする。新聞紙でぽんと頭を叩くぐらいの受け応えぐらいしたかったが、全然無理。甘い。
経験するまで分からないというのはどう考えても阿呆だが、来たから分かった気がついたということはたくさんあった。仕事場に迷惑かけてまで来た甲斐はあった。
この翌日もいろいろ飛び回り、ハードな2月の一週間だった。
で、不採用通知貰う前に自分から取り下げの電話をした。納得できなかったらまだ燻っていたと思う。だから、行って良かった。今考えると恥ずかしいレベルだったが。
でも、研究所の図書館から見た久里浜の海のきらきらと駅までのわんこと会ったくねくねと細い住宅街の道でいろいろなことを考えることができた。
もう一つ思うのは、万が一(?)4月からここの研究員になっていたら、9月に倒れた時に、多分この世にいなかったか今よりも酷い後遺症抱えていたと思う。それは確信している。
今、そんなことを思う。
この頃、仕事の手詰まり感がどうしても拭えないと感じていた頃、某研究所の研究員の公募をたまたま(本当にたまたま)見つける。今の仕事にやり甲斐はある。しかし、このまま残り10年か続くかなみたいなそういう感じがずっと引っかかっていてあまり良い感じではなく。
で、ダメ元でこれまでの少ない研究実績と仕事の実績まとめて書類送ったら、面接においでと言われる。
想定外と言えば想定外で、一次の書類選考通るだけで十分で、面接に行くことなんて考えてなかったが。
でもまて、行かずに止めるというのはどうなんだろう、と。
募集の記事を見つけたのが1ヶ月前に亡くなっていた1号の誕生日だったというのは。偶然ではないような気がして。
行くと仕事に穴を空けるというのも充分分かっていた。とりあえずできるところまでやった上でバトンを渡した。
家族の同意は得られていないまま。
期間は一週間なかったが、急いでANAの宿泊パック取って。
仕事を終えてそのまま横浜のビジネスホテルへ。
あっという間に当日の朝。面接は午後だが落ち着かないので出る。
街を歩く。
蕎麦を喰う。
駅に着く。早すぎる。
で少し走る。
駅で着替え、バスで指定された時刻を狙って。バスは狭い路地を走る。研修でここに来たときは乗ったことがなかったな。
そして、面接へ。昼ご飯は食べていない。いつものこと。それより近くに店がないことで、遠くに来た感があった。
待ち時間2時間の面接時間30分。プラス理事長面接まであった。気分はふわふわしたままだった。待ち時間の間に、久里浜の海がきらきらしていて、でこの建物の異様な静けさと心地よさと圧迫感とが同時に押し寄せてきて、何とも云えない感じのまま、面接官や理事長と話をした。普段通りの気持ちで話をしているようで、結構相手のペースにかき回された(そりゃ当たり前か)。威圧感があって、こりゃ全然太刀打ちできんわと。真剣と新聞紙で作った模造刀ぐらい開きがあった。
帰り道は、バスを選択せずに歩いて帰る。西日一歩手前。寒くはない。歩きながら仕事のこととか生活のこととかいろいろ考えた。本気だったがどこか人ごとのようにも感じていた。それが面接の受け応えには出ていた気がする。新聞紙でぽんと頭を叩くぐらいの受け応えぐらいしたかったが、全然無理。甘い。
経験するまで分からないというのはどう考えても阿呆だが、来たから分かった気がついたということはたくさんあった。仕事場に迷惑かけてまで来た甲斐はあった。
この翌日もいろいろ飛び回り、ハードな2月の一週間だった。
で、不採用通知貰う前に自分から取り下げの電話をした。納得できなかったらまだ燻っていたと思う。だから、行って良かった。今考えると恥ずかしいレベルだったが。
でも、研究所の図書館から見た久里浜の海のきらきらと駅までのわんこと会ったくねくねと細い住宅街の道でいろいろなことを考えることができた。
もう一つ思うのは、万が一(?)4月からここの研究員になっていたら、9月に倒れた時に、多分この世にいなかったか今よりも酷い後遺症抱えていたと思う。それは確信している。
今、そんなことを思う。