とりあえず、転院5日目で漸く「お通じ」があったからか、気分的に落ち着く。
でこれまでの記録を整理した。とりあえず「55日目:11月14日(火)手術19日目・転院1日目」の記録を振り返りつつ、6日目(昨日の日曜日)までの様子で気付いたことを適度に加除修正して記す。項目毎にしたが、ボーダレスの部分もたくさんある。
1 転院の日
10時にK病院を出て介護タクシーに乗る。
運転手さんはいい人なんだが、少し要領を得ないのか早く行きすぎて、自動ドアは止めてしまうわ車に車椅子を乗せるときになって慌ててエンジン掛けるわ待っている間患者(儂)雨ざらしでそこそこ濡れるわで。
いつの間にか季節が変わっている。
介護タクシーでしか移動ができないから、当初は1人で転院手続きを進める予定だったが、結局ヨメさんが付いてきた。病院の支払いとか入ってからの説明とかとんとんと進んで手間がかからなくなったのは結果的に良かった。
で、病院に入り、レントゲンとって心電図とって、看護師、医師、ソーシャルワーカーとの面談を終える。いろいろと不安はある。やはりというか何というか、医師からはリハは制度上の最大日数150日をフルに使ってという言い方をされる。当然ではある。それでも、年度を跨ぐといろいろ面倒だし、病休は途中で終わって休職の期間に入るからお金のことを考えるとなるべく早く出たいし、そこは何とかしたい。儂の希望は伝えるだけ伝えたが、いかんせん、身体の状態が生活できるレベルにならなければどうにもならんのは確か。この話し合いで、ヨメさんと儂の描く「ゴール」地点が異なることも浮き彫りになった。仕方がないか。
その後、体重を測って貰ったら、50.15キロで前に比べてマイナス5キロ。
このマイナス5キロは禁酒の影響かもしれんが恐らくそうではなくてもろ脚の筋肉だろう。今後かなり厳しいと思った(因みに、10月6日にエコー検査したときのふくらはぎの太さは36センチだったが、11月15日にリハで測定したときは31センチだった)。
この後食事して初日からリハして、で、荷物の整理したりしながらあっという間に過ぎた。
まだ、背中が痛いのが気になる。動く範囲が増えたからか。リハ以外の移動は制限がなくなった(!)ので、事故せんように怪我せんようにしなければと思う。今日は10時前に車椅子に乗って19時半ぐらいまでそのままでいた。結構長時間頑張った。
初日の今日は昨日お腹が痛くて大騒ぎしたから、気分的に楽なのもあって頑張れたが、さて今後はどうなるか。
初日はこんな感じで過ぎた。
2 生活範囲の拡大と変化
転院2日目に採血。
スムーズにできたが、病院にいることを思い知らされた。
部屋は大部屋で東向きの窓際だった。窓際は有り難いが、明け方は結構ひんやりする。
冬に高速バスに乗ったときのような。
とはいえ、11月で随分寒くなっているが、相変わらず空調のお陰で長(袖)T(シャツ)のみで過ごしている。因みに前の病院のように、病衣は着用していない。これはリハではジャージ系が必要なので、ということ。
前の病院は基本ベッドの上だったこともあるが、ここはそうではなくて、朝、車椅子に移ると12時間から13時間そのままでいる。
当たり前かもしれないが、御飯は食堂で食べるし、歯磨きは洗面所。日によっては入浴とかもある。排泄のときはもっといろいろ大変になる(がしばらくはオムツ対応)。
食事については。
朝7時50分。
昼11時50分。
夜17時50分。
内容は前の病院とそんなに変わらない感じがした。
リハで動くことを考えて御飯は前の病院での100グラムではなく200グラムにした。さらに3日後には主菜を1.5倍にしてもらうことができた。ここまでくると食べ過ぎかどうだろうか。糖質は多いのは確かか。前の病院も多いなと感じたが、御飯と焼き蕎麦という昔の給食のようなメニューもここではあった。野菜も多い、これはいい。周りのじいちゃんは結構野菜を残しているのにびっくりする。
それから、お茶が出る。9時半と14時と19時の3回。
温かいのが好きなので、これが案外いい。
風呂は火木土で入る。風呂の時の着替えでは、壁に付いている手すりを持って立ち上がることはできないが、4点歩行器のようなものを準備して貰い、平行棒で立つようにすれば、風呂の時の車椅子の入れ替えや下半身を洗うときの立ち上がりができるようになった。こんな感じで、少しずつのサポートでできることが増えているのを感じる。ゆくゆくは鉄棒状の壁の手すりをつかんで立つことができれば一番良いが。
また、車椅子での移動も、前の病院は9階フロアのみしか許可が出なかったが、ここは声掛ければエレベータ利用もOKになった。
だから、8階の売店と1階の自販機も利用できるようになった。
珈琲買うだけだが、これは気分的な面でかなり大きい。ジョージアかボスかぐらいの選択だが。
先日、ムスメが用事で帰ってきていて、その時立ち寄ってくれたときには、リクエストしてそれ以外のを所望した。バリスタになった。
まだ、看護師さんが見ていないと車椅子への乗り降りができないから、食堂横の「自主トレスペース」の利用はできないが、これもOKになったら是非と思う。
その車椅子は、それまでの普通の車椅子では、乗り移りによく失敗した。車椅子を横の肘置きが取れるものをリハの方準備して貰ってから、ベッドから車椅子とかあるいはその逆などの乗り移りは自分でできるようになってきた。
まだ、乗り移りのときはナースコールを押さなければならないが、それを使わなくてもいいようになるのが待ち遠しい。そうなると、着替えや車椅子の乗り降り等日常生活絡みの動きを自分がすることも増えるだろう。結構時間がかかるだろうが、それはそれでいい。
まだ下の世話もお願いしなければならないから、排泄関係の自立も含めると生活できるレベルになるのはまだまだ先の話である(排泄については、御飯も増えリハも増えるので少しは改善するかと思ったら全然そうではないし)。
それでも、割合自由に動ける範囲は増えたのでそれはそれで有り難い。
で、明日に続く。
でこれまでの記録を整理した。とりあえず「55日目:11月14日(火)手術19日目・転院1日目」の記録を振り返りつつ、6日目(昨日の日曜日)までの様子で気付いたことを適度に加除修正して記す。項目毎にしたが、ボーダレスの部分もたくさんある。
1 転院の日
10時にK病院を出て介護タクシーに乗る。
運転手さんはいい人なんだが、少し要領を得ないのか早く行きすぎて、自動ドアは止めてしまうわ車に車椅子を乗せるときになって慌ててエンジン掛けるわ待っている間患者(儂)雨ざらしでそこそこ濡れるわで。
いつの間にか季節が変わっている。
介護タクシーでしか移動ができないから、当初は1人で転院手続きを進める予定だったが、結局ヨメさんが付いてきた。病院の支払いとか入ってからの説明とかとんとんと進んで手間がかからなくなったのは結果的に良かった。
で、病院に入り、レントゲンとって心電図とって、看護師、医師、ソーシャルワーカーとの面談を終える。いろいろと不安はある。やはりというか何というか、医師からはリハは制度上の最大日数150日をフルに使ってという言い方をされる。当然ではある。それでも、年度を跨ぐといろいろ面倒だし、病休は途中で終わって休職の期間に入るからお金のことを考えるとなるべく早く出たいし、そこは何とかしたい。儂の希望は伝えるだけ伝えたが、いかんせん、身体の状態が生活できるレベルにならなければどうにもならんのは確か。この話し合いで、ヨメさんと儂の描く「ゴール」地点が異なることも浮き彫りになった。仕方がないか。
その後、体重を測って貰ったら、50.15キロで前に比べてマイナス5キロ。
このマイナス5キロは禁酒の影響かもしれんが恐らくそうではなくてもろ脚の筋肉だろう。今後かなり厳しいと思った(因みに、10月6日にエコー検査したときのふくらはぎの太さは36センチだったが、11月15日にリハで測定したときは31センチだった)。
この後食事して初日からリハして、で、荷物の整理したりしながらあっという間に過ぎた。
まだ、背中が痛いのが気になる。動く範囲が増えたからか。リハ以外の移動は制限がなくなった(!)ので、事故せんように怪我せんようにしなければと思う。今日は10時前に車椅子に乗って19時半ぐらいまでそのままでいた。結構長時間頑張った。
初日の今日は昨日お腹が痛くて大騒ぎしたから、気分的に楽なのもあって頑張れたが、さて今後はどうなるか。
初日はこんな感じで過ぎた。
2 生活範囲の拡大と変化
転院2日目に採血。
スムーズにできたが、病院にいることを思い知らされた。
部屋は大部屋で東向きの窓際だった。窓際は有り難いが、明け方は結構ひんやりする。
冬に高速バスに乗ったときのような。
とはいえ、11月で随分寒くなっているが、相変わらず空調のお陰で長(袖)T(シャツ)のみで過ごしている。因みに前の病院のように、病衣は着用していない。これはリハではジャージ系が必要なので、ということ。
前の病院は基本ベッドの上だったこともあるが、ここはそうではなくて、朝、車椅子に移ると12時間から13時間そのままでいる。
当たり前かもしれないが、御飯は食堂で食べるし、歯磨きは洗面所。日によっては入浴とかもある。排泄のときはもっといろいろ大変になる(がしばらくはオムツ対応)。
食事については。
朝7時50分。
昼11時50分。
夜17時50分。
内容は前の病院とそんなに変わらない感じがした。
リハで動くことを考えて御飯は前の病院での100グラムではなく200グラムにした。さらに3日後には主菜を1.5倍にしてもらうことができた。ここまでくると食べ過ぎかどうだろうか。糖質は多いのは確かか。前の病院も多いなと感じたが、御飯と焼き蕎麦という昔の給食のようなメニューもここではあった。野菜も多い、これはいい。周りのじいちゃんは結構野菜を残しているのにびっくりする。
それから、お茶が出る。9時半と14時と19時の3回。
温かいのが好きなので、これが案外いい。
風呂は火木土で入る。風呂の時の着替えでは、壁に付いている手すりを持って立ち上がることはできないが、4点歩行器のようなものを準備して貰い、平行棒で立つようにすれば、風呂の時の車椅子の入れ替えや下半身を洗うときの立ち上がりができるようになった。こんな感じで、少しずつのサポートでできることが増えているのを感じる。ゆくゆくは鉄棒状の壁の手すりをつかんで立つことができれば一番良いが。
また、車椅子での移動も、前の病院は9階フロアのみしか許可が出なかったが、ここは声掛ければエレベータ利用もOKになった。
だから、8階の売店と1階の自販機も利用できるようになった。
珈琲買うだけだが、これは気分的な面でかなり大きい。ジョージアかボスかぐらいの選択だが。
先日、ムスメが用事で帰ってきていて、その時立ち寄ってくれたときには、リクエストしてそれ以外のを所望した。バリスタになった。
まだ、看護師さんが見ていないと車椅子への乗り降りができないから、食堂横の「自主トレスペース」の利用はできないが、これもOKになったら是非と思う。
その車椅子は、それまでの普通の車椅子では、乗り移りによく失敗した。車椅子を横の肘置きが取れるものをリハの方準備して貰ってから、ベッドから車椅子とかあるいはその逆などの乗り移りは自分でできるようになってきた。
まだ、乗り移りのときはナースコールを押さなければならないが、それを使わなくてもいいようになるのが待ち遠しい。そうなると、着替えや車椅子の乗り降り等日常生活絡みの動きを自分がすることも増えるだろう。結構時間がかかるだろうが、それはそれでいい。
まだ下の世話もお願いしなければならないから、排泄関係の自立も含めると生活できるレベルになるのはまだまだ先の話である(排泄については、御飯も増えリハも増えるので少しは改善するかと思ったら全然そうではないし)。
それでも、割合自由に動ける範囲は増えたのでそれはそれで有り難い。
で、明日に続く。