きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

13年半の走記録~大会参加編

2017-11-15 07:00:00 | 真面目な練習
大会参加は、もう3年目ぐらいからめっきり減って、愛媛マラソン出て、クラブ駅伝(5キロ)出て、時々(といっても3回だけ)24時間走るみたいなのが定着していた。そうそう、去年ぐらいから岩国も年中行事になってきていた。元々運動神経がない人なので、記録にあまりこだわることはなかったことや、DNSが多くて大会参加料結構捨てたこと、そして、大会に出るつもりで遠征だけしてのんびりいつもと違うところを走るという「旅ラン」にはまったからだろう。これはトクトクきっぷの存在やLCCの就航なんかも大きい。昔から、チャリンコで意味もなく遠くに行ったり、大学生の時は単車であちこち気の向くままに走るといったことを繰り返していたから、そういう志向はもともとあったのだと思う。
走るということで、家人に理解もしてもらっていたし。

で大会の記録。前に10年の区切りで1度途中まで記したような気もするが、今回改めて年度ごとに。「~」は「時間」で読んでください。フル、ハーフはいずれもグロスタイム(未だにネットとグロスを混同してしまっている)。
2004年度
2004/11/28[フル 4~56'53”]第25回 瀬戸内海タートルマラソン
2005/3/13[3キロ 13'05”]第39回 県クラブ駅伝松野(4部・自チーム)5区
2005年度
2005/4/3[ハーフ 1~55'16”]第16回 まつの桃源郷マラソン 
2005/9/18[60キロ 7~43'03”]2005 歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
2005/11/27[フル 4~03'40”]第26回 瀬戸内海タートルマラソン
2005/12/23[フル 3~55'33”]第17回 加古川マラソン ☆初サブ4
2006/2/5[ハーフ 1~38'58”]第60回記念 香川丸亀ハーフマラソン
2006年度
2006/4/23[フル 4~11'56”]第40回 日米親善錦帯マラソン IN MCAS岩国
2006/6/3[100キロ 13~44'44”]2006年 しまなみ海道100kmウルトラ遠足
2006/8/27[ハーフ 1~58'34”]第27回 兵庫神鍋高原マラソン全国大会 ☆ムスコムスメと参加プラス1号2号応援
2006/10/1[フル 4~18'50”]第15回 馬路村心臓破りマラソン
2006/11/19[ハーフ 1~38'38”]第10回記念 笠岡ベイファームマラソン
2007/2/4[フル 3~55'14”]第45回 愛媛マラソン
2007/3/11[5キロ 20'53”]第41回 県クラブ駅伝西条(4部・他チーム)3区
2007年度
2008/2/10[フル 3~37'04”]第46回 愛媛マラソン
2008年度
2008/5/25[100キロ 11~35'57”]えびす・だいこく100Kmマラソン
2009/2/8[フル 3~54'17”]第47回 愛媛マラソン
2009/3/11[5キロ 21'56”]第43回 県クラブ駅伝小田(4部・他チーム)5区
2009年度
2010/1/31[フル 3~23'02”]第48回 愛媛マラソン
2010/3/12[5キロ 19'46”]第44回 県クラブ駅伝四国中央(4部・他チーム)1区 ☆5キロベスト
2010年度
2010/9/25-26[24時間 162.8km]第3回 三木総合防災公園マラソン ☆シングル3位
2011/2/6[フル 3~32'55”]第49回 愛媛マラソン
2011年度
2011/8/6-7[24時間 166.5km]第11回 24時間リレーマラソン神戸大会 ☆シングル3位
2012/3/11[5キロ 21'30”]第46回 県クラブ駅伝松山(4部・自チーム)5区
2012年度
2013/2/10[フル 3~30'35”]第51回 愛媛マラソン
2013/3/10[5キロ 20'26”]第47回 県クラブ駅伝新居浜(4部・自チーム)1区
2013年度
2014/2/9[フル 3~26'59”]第52回 愛媛マラソン
2014年度
2015/2/8[フル 3~37'34”]第53回 愛媛マラソン
2015/3/12[5キロ 21'50”]第49回 県クラブ駅伝広田(4部・自チーム)7区
2015年度
2015/9/12-13[24時間 169.2km]第8回 三木総合防災公園マラソン ☆シングル2位
2016/2/7[フル 3~26'16”]第54回 愛媛マラソン
2016年度
2016/4/16[フル 3~42'45”]第49回 MCAS岩国マラソン
2017/2/12[フル 3~22'34”]第55回 愛媛マラソン ☆フルベスト(ネットは3~20'41")
2017/3/12[5キロ 20'55”]第51回 県クラブ駅伝松野(4部・自チーム)3区
2017年度
2017/4/16[ハーフ 1~37'42”]第50回 MCAS岩国マラソン
ここまで。

馬路村のマラソンとかもうないし、ムスコムスメと走った唯一の大会もあったりしてそれなりに大会参加もいい思い出が多いことに気付く。
愛媛マラソン初参加の第45回大会は、まだこのときは市民ランナー向けの大会ではなく、陸連登録とかしてじゃないと走れなかった。途中20キロの関門はキロ5分で刻まなければならないので滅茶苦茶厳しく、このときはまだこの力がなかったこともあって、これを走りきったのは結構自信になった。歴史街道丹後とかの写真は久々に見たし、まだ大会回顧録すら記していない加古川とかそういうのもあるなと。
そして、DNSはあってもDNFはない。これは誇れると思う。

(このみきゃんはどこで拾ったのか覚えていないです)これ綴っている2017年10月7日現在では、今後、走ることについてはまだ何も考えられない状態ではありますが、車椅子とかでせめて移動できるレベルにまでは体を戻さないかんと思うし(生活のためにも)。まあ、その辺りで、今後どういうチャレンジの仕方ができるかを考えていきたいと。

で追記(11月4日、15日)。術後の身体の状態は良いとはいえないこともあり、大会に出るということ自体は「締め」かなと。一区切り付ける必要があるかなと。
最近、50歳を前にして、走りが進化しているのを感じていたから、最後に愛媛もう一回という気持ちは正直ありましたが(坊っちゃん団子1度も食べなかったし)。
が・・・。

今の興味関心は、旅ランの方。
如何にして、いろいろな物理的心理的社会的障壁を越え、何処まで車椅子で走ることができるかっていう。近くても行けないところもあるだろうし、遠くても案外行けるところもあるだろうし。
それを見てみたいなという。

2017-11-14 10:00:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
とりあえず、次のステージへ、です。

身体が思うように動かないこともですが、長い長い入院生活で外の空気に触れることができず、気持ちの上でもなかなか厳しい日々でした。それでもこの日を迎えることができたことを有り難く思っています。

とはいえ、現実的には。

実のところ、昨日は排泄がうまくコントロールできなくて4回もオムツの処理をしていただきました。処置をしてくださった看護師さんには頭が下がります。そして、お世話になった先生方には、ろくにお礼も云えずにばたばたと転院という経緯で、本当に間が悪いというか申し訳ないというか。
大きな宿題を出された気分です。

改めて、救急搬送時から丁寧に対応してくださった神経内科の先生、手術してくださった脳神経外科の先生、点滴とかお通じの悪さとかいろいろ面倒な私を丁寧に看てくださった看護師さん、少しずつ脚が動き力を入れることができるようにしてくださったリハの先生、その他入浴介助でお世話になった助手さん、いろいろな方々にお世話になり、転院の運びとなりました。本当に感謝の言葉しかありません。ありがとうございました。

まだまだ先は長く、そして続きますが、復帰目指して。

あ、帰宅目指して。はい。

ゆるゆる下りのみラン~白猪の滝口から降りる

2017-11-13 09:38:14 | 近場の異邦人
こういうときもある。ということか。去年の夏。そういえばこの3日前に、チャリで100キロ近く走って、折角の夏休み、疲れてあまり遠出せんかった、その時期のラン。距離からすれば「ラン」というには物足りないが。

元気ならここまで上がってくる。この日はバス利用。ただ、バス利用したのは理由があって、ここから市町境の峠までぐらいは走ろうかと思っていたのは確か。ただそれでも往復で40キロ近くになるのでどうしようかと最後まで決断できなかったのも確か。

バスの終点には店がある。これまでここまで上がってきたことは勿論ない。単車に乗っていた頃も、1度ぐらいしか通っていない筈。それぐらい険しい。

今考えると白猪の滝まで、というルートも充分選択できたか。ここをぐんぐん上がるルートは、チャリのコースにもなっているらしい。結構鍛えられそうである。

で、この日はここから下る。とりあえず、何分か逡巡してから結局降りる。疲労が残っていたのは仕方がないとして、やはり反省しつつ。

にしても、景色はいい。たまにはこういうのもアリかなと少し気分は上向く。

金比羅寺、とある。伊予十三仏の結願の寺。この十三仏巡りも、いつかはやってみたかったが。

降りる途中で、ほたるまいと雨滝の表示。


時間に余裕があるので探索したが、どこが滝かはよく分からんかった。

下って下って国道へ。で、郊外のバスターミナル近くの農協でガリガリ君。安い。

下りばかりだったが、キロだけでいえば15キロ以上にはなっていた。まあこういうゆるゆるのランもたまには良かったか。

2017-11-12 09:00:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
昨日のこと。ヨメさんと一緒に、脳外科の主治医の先生から手術経過(MRIの結果)について説明を受けた。
経過そのものは順調とのこと。MRIの画像からは、手術前後の脊髄の様子だけではなく、手術をした背中(背骨)辺りの「ぐちゃぐちゃな」状況がよく見えた。これだけぐじゃぐじゃになっていると、元にはなかなか戻らんなと妙に納得した。
気になっていた身体の感覚(痺れや知覚、方向等)の問題は、半年とか年単位でのスパンで待つしかないらしい。
今月初め、気持ちはどん底の状態を経て痺れや痛みと「同居」する決心を固めていたので、この辺りはそうですかと納得できた。たとえ戻らなくても何とかしていかねばと思う。
運動感覚は身体の感覚より改善スピードが速いらしい。となれば、早いとこ車椅子の乗り移りぐらいは1人でできるようにならんといかん。
まあ、昨日ぐらいから漸く左脚に体重がかかっている感覚が分かってきたというかそういうことを感じたりするし、車椅子への乗り移りも腕任せとタイミングの要領が漸く掴めてきた感もある。ただ、手術後のこういう感覚は、手術前のそれより不確かで、できたりできなかったりということは普通にある。それにも慣れてきたが。

勿論、運動機能の向上だけではなく、思うようになってない直腸膀胱系のことも気にはなる。現実的な方法を教えてもらい身につけていくしかないだろうなと思う。

摘出した腫瘍は、正確には「海綿状血管腫」とのことだった。
あるページを見ると、脊髄腫瘍自体が人口10万人当たり年間2.5人の発症率で非常に稀な疾患とのこと。その上で、脊髄内腫瘍は脊髄腫瘍全体の5~15%とさらに頻度は低く、血管芽細胞腫に至っては脊髄内腫瘍の3~8%。しかも儂の場合「急性」だったからな。最初に見てくださった神経内科の先生が「症例が見あたらない」と言っていたのも分かる。
相当稀である。よく体験談(闘病記)見ると、宝くじに当たる確率という表現を目にするが。確かにそうだろう。
その稀な摘出手術に対応できる医者がいるのがウチの県の場合、大学の付属病院とこの病院だけだというのを知ったのは後になってからである。手術に際しては即決できずに一晩悩んだが(単に背中を開けて脊椎の骨を削り硬膜からさらに脊髄の中を切って腫瘍を取り出すというプロセスが怖かった)、決めてからは再び迷うことはなかった。セカンドオピニオンのこととかも全く考えなかった。結果的には迷いようがなかったということである。この辺りも含めてかなり稀なケースではある。

手術をしてくださった主治医の先生から、リハビリに向けての励ましのコトバをいただいた。思えば発症から状態が落ち着き、主治医の変更を経て手術と1ヶ月半余りかかった。外の空気を吸うこともままならず身体もさることながら気分的にしんどかった。
回復期リハビリテーション病棟のある病院への転院が決まり、これからのリハビリはさらにその倍以上になる見込み(制度的には150日以内とのこと)。仕事のこととかいろいろ(本当に)不安はあるが、この辺りはとりあえず移ってから決まっていくらしい。さてどうなるか、である。

差し当たりは、一昨日からの下腹の痛み(膀胱でなくて腸?)をどうしようかと。看護師さんにもいろいろしていただいているが、これがなかなか改善しない。
相変わらず、悩みのタネは遠くにでっかいのがあるわけではなくて、すぐ傍に落ちている。

腹が痛い。

記録4~痛みを気にするいろいろ気になる

2017-11-10 07:00:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
続き。この期間は、検査もなくひたすら点滴の痛みとお通じの心配とに費やした期間。ただ、リハビリの甲斐あって、左足に力を入れる要領がつかめたということも。

12日目:10月2日(月)
6時、起床。睡眠時間約5時間半。新聞2日分、40分ぐらいでゆっくりと。まだ一人部屋状態なので看護師さんにベッド周りのカーテンを開けて貰う。点滴は力を入れるといかん。
7時、朝食。ロールパン75プラブルーベリージャム、味噌汁、赤身煮魚とキャベツ、オレンジ、牛乳。以上で577キロカロリー・糖質80グラム。25分で。
7時40分、読書。不思議な君が代、広島ルール。
9時、PC開けてファイル整理とブックマーク整理。
10時20分、休憩。ぼんやり。
10時30分、W先生回診。
10時40分、急遽お風呂(シャワー)に。ストレッチャーで移動。
11時、シャワーから戻る。この日より、紙おむつから紙パンツに。
3日続けて失敗ということになる。ということは明日で一週間出ていないということになる。補聴器の電池交換(右)。スマホ弄る。
11時10分、少しPC、血圧測定190。昨日から落ちていない。
11時50分、昼食。

わかめごはん100、鶏甘酢掛け、胡瓜のゆかり和え、炒り豆腐。以上で370キロカロリー・糖質57ラム。15分で。
12時15分、PC。
13時30分、T先生リハ。手を動かす伸ばす、左足を踏ん張る動き。
14時30分、終了し病室へ。PC(記録を書く)。
15時、補聴器電池(左)交換。
15時40分、PC終了、廊下で立つ練習。そのまま部屋の奥で外を見る。

点滴とお腹の心配がなければ悪くはないのでだ。W先生来られる。
16時50分、ベッドに戻る。
17時40分、夕食。

御飯100、鰤の塩焼きと白菜(醤油付)、ポテトサラダ、ほうれん草のナムル、バナナ。以上で512キロカロリー・糖質65グラム。30分で。

食べながらTVerで、空から日本を見てみよう(三江線後編)を。8月に走ったばかりだから、よく分かる。今後、車椅子で一人旅ができるかとかそういうことを思う。
18時30分、ヨメさんが来る。
18時50分、ヨメさんが帰る。PC。Xperia関係。
21時、下剤(液体のに変更)。今日は兆候が全くなし。但し浣腸も実施せず。腸は動いているとW先生からは言われているが。
21時25分、着圧ストッキングを履き、寝る。昨日からスマホ(Mdual)の充電時間と放電時間を計測。2時間充電で99%だが、100%にするにはもう15分ぐらい要る。24時間後で残り20%になる。18時間後で60%、21時間後で30%。ここからが早い。

13日目:10月3日(火)
6時、起床。睡眠時間約5時間半。天気は良くない(あくまで儂目線)。まだ一人部屋状態。新聞がないのでPC。
7時、朝食。南瓜パン75、コンソメスープ、スクランブルエッグとほうれん草ソテー、リンゴ、牛乳。以上で556キロカロリー・糖質63グラム。25分で。お腹が張っている感がある。お通じどうかと思いつつ食す。PCで昨日夕方見た「空から~」を見る。飽きない。
7時40分、歯磨きの水をまだ貰っていないので読書。
8時40分、歯磨きをする。
8時50分、職場にメールを出す。
9時30分、浣腸、トイレに。20分後に「栓」が抜けたか、ようやく出る。量もそこそこ出たらしいがまだ残っている感じはある。前回が5日目だったから、実に8日振り。すっきりはしていないがやれやれ感。
10時20分、O先生回診。PCでTVerを見る。隣と前のベッドが埋まる(その後、午後には斜め前も一気に)。出入りが激しい。カーテンはもう閉めている。壁を見る日々へ。
11時50分、昼食。

御飯100、鰆西京焼き、大根の梅肉和え鰹入り、冷製茶碗蒸し。以上で358キロカロリー・糖質44ラム。15分で。
12時20分、PCでTVerを見る。記録を打つ。
13時10分、T先生リハ。3階リハ室で、右足の動きをしていたときに、おむつに失敗してしまい、中断して病室へ戻る。かなり大量だったらしい。体もシーツも汚れる。情けない。
14時10分、とりあえずの処置が終わり、トイレへ。もう出ないが、お尻と足の付け根当たりの拭き残しを処置。
14時40分、トイレが終わる。そのまま廊下で立つ練習(30秒×3回)。昨日より腕の力に頼らずに立ち上がれた。終了後、デイルームには行かず車椅子に乗せて貰ったままで、ベッドの傍で読書。流石に言いにくかった。
14時50分、T先生来られて、リハ室へ。平行棒で立つ、曲げる練習を。
15時10分、終了。今日はデイルーム自粛、かなと。昨日、一昨日まあまあ外が見れたからいいかと思うことにする。
15時40分、PCで記録を打つ。来週の献立が来ていたので検討。魚を選ぶ傾向があるか。基本メニューとは別に選択できるBメニューも半分は選択している。
16時10分、PCでAmebaニュースを見る。選挙関係。
17時、ヨメさんが来る。
17時10分、ヨメさんが帰る。
17時50分、夕食。

御飯100、鮭パン粉焼きとインゲン(ウスターソース付)、キャベツサラダ、南瓜そぼろ餡、葡萄(巨峰)。以上で490キロカロリー・糖質67グラム。25分で。
18時30分、PC。
19時、ナースコールで来て貰いトイレへ。20分。おならだけ。トラウマのようになってい感がある。
19時20分、PC。Xperia研究。機能とかサイズとか、デュアルsim化かroot取得とか。
21時20分、寝る。大きな変化はなし。良くも悪くも受け止めている。むしろ点滴とかお通じが気になる。今日はトイレが大仕事だったと思う。実際、排泄とか日常生活の些細なことに時間がかかるという点は、退院後も想像できる。そういえば今週に入って頭痛がほとんどなくなった。

14日目:10月4日(水)
6時、起床。睡眠時間約5時間半。珍しく半身(寝返り)状態で1時間ぐらい寝ていた。

新聞。四コマに癒されることしばしば。読書。1940年は皇紀2600年だったということを知る。無知。部屋は4人になり少々騒がしい。体に大きな変化はない。左はよく動くし力も入る(要領が分かってくる)が、右はまだまだ(但し自分が思っていないところで膝とか少し動いたり)。体幹の感覚は少々厳しい。前回のMRI(木曜日)から何もないといえば何もない。体調面の不安はあるものの。ただ点滴のみという感じ(その点滴が結構気になるのだが)。外もあまり見れないし、でも居るしかないのだなと、ういう感じの日々(今週は)。
7時、朝食。ロールパン75プラスマーガリン、味噌汁、ささみ牛蒡サラダとブロッコリー、オレンジ、牛乳。以上で634キロカロリー・糖質71グラム。25分で。これ打っている一週間後の水曜日(10月11日)のメニューと全く同じだ。
7時40分、PC。
9時40分、W先生回診。読書。不思議な君が代読了。
11時10分、下腹部を洗って貰う。昨日のことがあるので有り難い。PCで記録打つ。
11時40分、昼食。

御飯100、揚げキング中華餡掛け、豆腐真丈茄子煮、小松菜お浸し、月見団子。以上で480キロカロリー・糖質67グラム。25分で。今日はお月見か。
12時30分、PCで記録を打つ。
13時10分、T先生リハ。片手を離して立つことができた。左右の体重比は4:1ぐらいで右に体重は乗せられない。左の踏ん張りはかなり効く。この3日間での大進歩。腹筋を意識するようになる。但し、左も座って膝が上がらない。上げる動きは弱い。珍しく点滴の箇所が痛い。20分ぐらい我慢。また、リハ中に逆流、出血あり。そろそろ限界かと不安というか気が滅入る。
14時20分、病室へ戻る。O先生回診。右膝に内転する動きが出てきているといっていただく。終了後、PC内の写真整理。
15時30分、立つ練習。そのままデイルームへ。

きらきらの海がうっすらと見える。
16時20分、病室へ。点滴箇所の処置をして貰う。腕に力を入れるとトラブルになるようだ。あまり良い状態ではない。
16時30分、W先生回診。
16時50分、ヨメさんが来る。
17時、おむつ交換。
17時30分、ヨメさんが帰る。
17時40分、夕食。

御飯100、鯛大根、ジャーマンポテト、水菜サラダ、リンゴ。以上で488キロカロリー・糖質68グラム。25分で。
18時30分、読書。終着駅紀行読了。
19時40分、PC。記録とか写真整理とか。
21時20分、寝る。お通じが出てから1日目。おならはそこそこ出ているが。また、昼間の尿に結構混ざり物が目立つ。水分を取るように言われる。コーヒー飲んでもいいらしいが、まだそういう気分にはなれず、相変わらず病院で出された食事のみしか摂取していない。
夜(10/5深夜)に足をごぞごぞ動かしていたら、右膝を内転させた後で指先を動かすと、ほんの少し(3ミリぐらいか)動いた。夜眠れないので、腹筋に力入れたり、寝返りするために体を動かしたりいろいろしている。

15日目:10月5日(木)
5時20分、目が冴えて退屈し、スマホを眺める。
6時、起床。睡眠時間約4時間半。昨日からおならが割と出る。朝から水分を意識して摂る(300ミリリットルぐらい)。新聞、読書。
7時10分、朝食。

ロールパン75はちみつ、味噌汁、鮭の塩焼きとほうれん草(醤油付)、オレンジ、牛乳。以上で588キロカロリー・糖質70グラム。30分で。おしぼりは出てくる日と出てこない日がある。まあいろいろ。朝食の写真だけ撮ってなかったが、この日から撮り始める。気分の問題。
7時40分、PC。
8時30分、読書。それでも彼女は生きていく読了。
9時50分、点滴(2つ)開始。痛い。読書、鉄道旅行の楽しみ読了。サライ2014年10月号読み始める。目の前は壁。窓が恋しい。
10時30分、PC。2時間充電で1/3(66→99%)OK。
11時、トイレへ。出ず。手すりで立つ練習少し。
11時30分、ベッドに戻る。S先生回診。
11時50分、昼食。

御飯100、豚ハヤシ煮込み、焼きビーフン、キャベツ酢物、梨。以上で472キロカロリー・糖質76グラム。15分で。AbemaNewsを見ながら。
12時30分、点滴交換。
13時、T先生リハ。右足親指少しだけ動くのを確認。膝も少し上がる。左足の体重の乗り、動き、持続向上。開く閉じる曲げるの反復。15日目にして右が動くということに。点滴跡出血。病室に戻って処置をしてもらう。
14時40分、実家の親が来る。少々口論。疲れるが、最後は穏便に。
15時10分、親が帰る。
15時30分、立つ練習。

そのままデイルームへ。
16時20分、病室へ。再度点滴箇所の処置をして貰う。あまり良くない状態。
17時10分、ヨメさんが来る。
17時30分、ヨメさんが帰る。
17時40分、夕食。

御飯100、カレイ香草焼きと粉ふき芋(ウスターソース付)、大根炒め風、ほうれん草サラダ。以上で485キロカロリー・糖質53グラム。20分で。
18時10分、PC。amazonでXperiaSX(SO-05D)、交換用電池、simカードアダプタ、デュアルsimアダプタで、計13500円。カートに入れて一晩考える。
21時20分、寝る。結局深夜2時ぐらいまで寝た後、眠れず、3時半からスマホを見ていた。早朝も今週のように検査のない日は、午前がトイレと回診、午後がリハと立つこととデイという感じで基本パターンの見通しが立つようになる。

16日目:10月6日(金)
3時、スマホごぞごぞ。
5時20分、寝る。
6時、起床。睡眠時間約4時間。この一週間は淡々とリハと点滴してる感がある。四人部屋そのまま。
6時10分、いきなり採血。水分300ミリリットル。新聞。
7時10分、朝食。

南瓜パン75グラム、コンソメスープ、肉団子3個、リンゴ、牛乳。以上で506キロカロリー・糖質64グラム。25分で。この後の記録なし。PC打っていたか。
9時10分、若手先生回診。血栓が溜まりやすさの数値が上がっていたのでエコー検査を入れるとのこと。原因不明、炎症とか風邪とかで上がるらしいが。右親指はいつもはできない。膝を内側に曲げるとできる。お風呂の準備のみ。
9時40分、点滴交換。その後ずっとPC。
11時30分、amazonでXperia注文。結局程度を落として安いのにして計9000円(この4日後にもっと程度が良くて安いのを見つけて少々ショック)。
11時40分、O先生回診。
11時50分、昼食。

御飯100、メバル和風焼きとエリンギ(醤油付)、すまし汁、ブロッコリーサラダ、スタミン。以上で351キロカロリー・糖質56グラム。15分で。右足やや動きにくい。気になる。
12時30分、PC。
13時10分、T先生リハ。体の感覚、ストレッチ。寝たままで足を動かす(持ち上げる、曲げる、踏む、力を入れる)、座ってバランス、立って膝を曲げる、動かす等。この一週間で、踏ん張る要領が掴めたのを感じる。
14時20分、終了し病室へ。。読書。
15時40分、廊下で立つ練習。エコーがあるのでそのまま行く。
15時30分、エコー終了。居眠りしてなくないか?
15時50分、20分ぐらい待って、病室に戻る。
16時10分、車椅子のまま20分ぐらい待って、シャワーへ。この日は車椅子で。結構危険だといわれ、手間暇がかかる。この時、火曜日からのシーツを換えてもらえた。良かった。
16時40分、シャワー終了、ベッドに戻る。
17時、点滴処理。ここまで一つ一つのことに20分ずつぐらい待つ。忙しそうである。
17時40分、夕食。

御飯100、鶏の照り焼きとインゲン、白菜胡麻酢、青梗菜炒め、葡萄(巨峰)3粒。以上で512キロカロリー・糖質57グラム。15分で。今日の1日は、約1250キロカロリーで恐らくこれまでで最低。でも活動量に見合ったものとしては適量かもしれない。御飯は半分だがそれでも糖質は177グラムある。
18時10分、ムスコとヨメさんが来る。

しばし話す。嬉しい。
18時30分、ムスコとヨメさんが帰る。PC。
20時30分、O先生来られて肺血栓とかの説明。エコーの結果は問題ないとか。今日の深夜からの点滴がさらになくなり、夜止めると言われる。止めるときのピストンが痛いので、これはこれで難儀だなあと。
20時40分、家人にメールを送る。
21時、下剤を飲む。
21時25分、寝る。

17日目:10月7日(土)
6時、起床。特に意味はないが三連休初日だと思う。平日との違いは検査やリハがないことだが、ここ一週間そんな感じだったので大きな変化はない。睡眠時間約4時間。水分300ミリリットル。新聞とPC。3人部屋体制。右の親指は動いている。この日から夜の点滴がなくなったらしい。ただ夜中に「止める」のはあるのでこれが痛い。
7時10分、朝食。

ロールパン75グラムといちごジャム、味噌汁、鰆和風焼と白菜胡麻和え、オレンジ、牛乳。以上で620キロカロリー・糖質79グラム。25分で。この後、PC。
8時30分、お腹が痛くなってくる。
9時、ナースコールでトイレへ。浣腸なしの自力で排泄。「残っている」感はあるが。
9時30分、ベッドに戻る。
10時、点滴が痛くて入らない。中断する。O先生回診。
11時40分、点滴を右手に変更。1回で成功。病院に来てこれで3回目だが、2回目のが約2週間近く持った。
11時50分、昼食。御飯100、回鍋肉、豆腐サラダ、葱とワカメのスープ、ボーロ(お菓子)。以上で452キロカロリー・糖質68グラム。20分で。
12時30分、PC打つ。これまでの走行記録のまとめ。延々と。
15時、食器を片付けてもらう。歯磨きとうがい。
15時30分、ヨメさんとムスコが来る。点滴終了。下腹部を洗って貰う。廊下で立つ練習。デイルームへ。しばし雑談。「(案外)歩くような気がする」とムスコに言われる。そうかなと。穏やかな時間。
16時、ベッドに戻る。ヨメさんとムスコが帰る。

隣のベッドが空いたので、カーテンを開けて外が見えるようにして貰う。一人退院したらしい。机の高さ、体重をかけて自分で調整できた。
17時40分、夕食。

ちらしずし100、鱸(すずき)の塩焼きと大根おろし(醤油付)、春雨のフレンチサラダ、小松菜の辛子和え、バナナ。以上で427キロカロリー・糖質69グラム。25分で。
18時10分、PC。タブレットとPCを眺める。何もできないとき、結局ショッピングに走るのだなと思う。
20時50分、実妹よりメール。返事を書く。
21時20分、寝る。右の腕の内側親指大の部分が局所的に痛い。23時過ぎの点滴交換時、うまく点滴が入っていないらしく、止める薬もうまく入らなかったとかでかなりの痛みが。結局針を抜去。痛みで1時半ぐらいまで寝られず。

最後の最後でおおごと。

18日目:10月8日(日)
6時、起床。睡眠時間約4時間。補聴器の電池交換(左)、入院してから2回目。

新聞を読む。
7時、朝食。黒糖パン75グラムとマーガリン、味噌汁、ハムサラダ(ドレッシング付)、リンゴ、牛乳。以上で607キロカロリー・糖質63グラム。30分で。この後、PC。カーテン少し開ける。
8時30分、お腹が痛くなってくる。
9時、10分ほど座ったままで足を動かす。
9時20分、PC。過去の記録を打つ。
9時30分、仕事のメールが入るので、返事を打ち始める。
9時50分、点滴。左側に。1回でOK。病院に来てこれで4回目で、3回目は1日しか持たなかった。
太い血管に入ったと言うことだが(ただ、これ打っている10月12日時点ではあまり安定はしていない。やはり痛いし出血もしている)。
10時10分、O先生回診。
10時40分、仕事のメール終了。その後、記録打ちの続き。
11時40分、昼食。

御飯100、鯖の味噌煮、卵入り青梗菜炒め、大根サラダ、オレンジ。以上で474キロカロリー・糖質51グラム。30分で。
12時30分、PC打つ。この時からメモを元に「入院記録」を打ち始める。
14時、点滴無事終了。お尻を洗う。今日はトイレに行きウォシュレットで洗う。その後、立つ練習。右膝を押さえて貰うと、両足に体重が乗り、立つ感覚が分かった。デイルームへ。

14時30分、ヨメさんが来る。
15時10分、ヨメさんが帰る。
15時40分、ベッドに戻る。この日は看護師さんの許可を得て、自分で漕いで帰った。テーブル位置も自分で元に戻せた。机のストッパーはできないので注意しなければ。
16時、職場の上司が来られる。仕事の話。
16時30分、上司が帰られる。
17時40分、夕食。

御飯100、カジキの照り焼きと南瓜、キャベツのお浸し、シーフードカレースープ。以上で377キロカロリー・糖質59グラム。20分で。右の点滴跡が痛い。気になる。
18時10分、PCとスマホ。
21時20分、寝る。夜中の点滴交換は割合痛い。ピストンで液が入ってくるのがきつい。昨日同様、1時半ぐらいまで目が冴える。毎日寝た記憶があまりない。断片的。

19日目:10月9日(月)
6時、起床。睡眠時間約2時間半。あまり寝ていない。点滴の左手は、動かすと筋が動くためか痛みが出る。じっとしていれば大丈夫だ(だと思いたい)が、不便。
6時20分、看護師さんが着圧ストッキングを脱がすと、足がぱんぱんになっていた。血栓ができやすいらしい。ベッドの上で足を伸ばす時間を多少確保する必要がある。
7時、朝食。

ロールパン75グラムとブルーベリージャム、味噌汁、ツナ野菜炒め、オレンジ、牛乳。以上で609キロカロリー・糖質80グラム。25分で。この後、PCで記録打ち。4日目まで終了。
10時、点滴開始(2つ)。椅子を足下に持ってきて貰い、足を上げる。体制を作るのがきつい。腹筋は使うが長く持たない。
10時10分、O先生、S先生回診。MRI検査が火曜日で説明が水曜日に決定。腹筋は衰えると体幹維持が難しいので腹筋が大切と助言をいただく。11時まで足を上げてPCを見る。タブレットを物色。
11時40分、昼食。

御飯100、秋刀魚の蒲焼きと白葱、白菜の胡麻和え、シーザーサラダ、おほしさまデザート(ゼリーと白玉のデザート・)。以上で665キロカロリー・糖質85グラム。25分で。豪華だった。
12時30分、PC打つ。5日目(HCUまで)入力完了。
14時30分、足を上げる。腹筋とか。
15時、点滴終了。立つ練習。デイルームへ。

15時10分、ヨメさんが来る。看護師さんに、紙パンツから下着への変更を示され、準備をと言われる(まだ尿管カテーテルは入っているが)。
15時40分、ヨメさんが帰る。

引き続きデイで過ごす。
17時20分、ベッドに戻る。この日は2時間20分ぐらいか。看護師さんの許可を得て、自分で漕いで帰る。ストッキングを履く。浮腫はまだまだ酷い。

せめて、窓側の区切りだったら少しは気分も変わると思うのだが、残念ながらずっと壁ばかり。デイルームには毎日日課として行かないかん。
17時40分、夕食。

御飯100、鮭バター醤油焼きとインゲン、混ぜぶっかけうどん、ブロッコリー胡麻ドレサラダ。以上で503キロカロリー・糖質66グラム。20分で。この日の献立はカロリー高かった気がする。1770キロカロリーで糖質230グラム。PCでTBSニュースを見ながら。
18時10分、PC。格安中古スマホとタブレットを延々サイトを回りながら物色。3千円ぐらいからある。程度が分からないが、あるところにはあるのだと感心する。
21時20分、寝る。夜中の点滴交換は一瞬痛かったが無事に終了。

入力完了:2017年10月12日(木)。
確認:11月8日(もうすぐ手術して2週間という日)。痛いはあるが穏やかだと感じる日々。

横須賀(と周辺の)ストーリーと

2017-11-09 07:00:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
たまたまジェットスターのバーゲンでうまくチケットが取れたので上京。この時は、2号のことがまだまだあってあまり走る気はなかったが、チケット取ったのは夏だから仕方がない。

前日は、空港内の仮眠スペースで泊まって一番早い電車で横浜まで。前回の都留もだが、成田経由で上京する意味はコスト以外何もない。行きたいところまで行くには時間がやたらかかる。
でもどうしても行きたい。まだ見ぬ場所ではない分余計に。相変わらずの後ろ向きラン。

で根岸というところからスタート。根岸線とか京急だけでなく、ブルーラインというのまであるらしい。ブルーラインではなくてシーサイドラインは儂がいた頃からあった気がする。一本違うのに乗ると雰囲気が変わるのもこの辺りの路線の特徴。
で。こういうとき、気分的にはルート選択とかあまり考えられないから、もう何も考えずに国道を走るのみがいい。で国道沿いのあまり面白くはないだろうなという道をひたすら南へ。

でまだまだ街の中。根岸の次の磯子。この辺りは古い横浜がある筈。もうかなり埋め立てられてしまったようだが。

山が多いというか山が海の近くまで迫っているところが多く、かつ古くからの街がある。その上で住宅開発が進んでいる。そういうところだと思う。16号線は単車でよく走った。富岡という地名とか横浜横須賀道路とか懐かしい。

金沢八景とか文庫とか地名的には馴染みがあるが、実際の場所には行ったことがない。何度も走った割には、よく分からん。

それでも一瞬海が近くなる。平潟湾傍の瀬戸神社。いいところ。わんこが散歩。いいなあ。

妹のアパート探しにどちらかの駅をうろうろした記憶がある学生の時。どっちだったか忘れた。駅の雰囲気で確かめようとしたが、よく分からなかった。駅を出て少し淋しい方の出口から出てすぐのところにアパートはあった(故に八景のような気はしたが)。不動産屋で横浜か格好良いなと思った。で、もう一ついえばそのアパート、仮押さえはしたが、結局彼女が住むことはなかった。彼女はあまり興味を示していなかった(?)が、結局もう一つ受かった某国立大の方を、儂が半ば強引に勧めたことが関係しているからかもしれない(この辺りは聞いていないからよく分からん)。

さらに南へ。もっと田舎感が増す良い意味で。追浜とか田浦とか。按針通りか。寄り道できる程の時間はないな。

バテてくる。セブンでいつものレッドブルのボトル版。7が揃う。気合いを入れる。そして横須賀へ。

一つ前の駅の手前から山の方角を何となく上がる。大凡の見当しか付けていない。普通に四国にもある感じの坂を上る。あの時上った公園の名前など覚えていない。

とりあえず、この辺りかと公園に行く。雰囲気はあるが。

が、海は見えない。地図で見ればもっと上にもう一つあるが、時間もないので降りることに。
あのときは、大学のときの「知人」と横須賀中央の駅から坂を上って公園に出て、そこから昼間なのに暗い暗い海を見ていた。結構その場面だけが強烈に残っている。風が強くて降り出す直前だった。それがどこだったか結局分からずじまい。

ただ、この坂は何となく覚えていたりする。この途中の店でお握りを買った。木のショーケースから2つ。当時、横須賀でこんな経験するとは思わんかった。「知人」が慣れた手つきで頬張りながら歩くのを見ながらまねをした。住んでいるところこの辺ではなかったはずだがと思って尋ねると、高校の時によく来ていたとか。高校は藤沢の進学校だった筈だから、へえ高校生がそういうことするのか格好良いと理由無く思ったことも覚えている。
ということで、もう一つの公園は結構怪しい。ただ、国道から海沿いの景色は30年近く経っているから、結構変わってしまってそれが理由で海が見えなかったのかもしれんし。

こいつは知らんかった。面白そう。

戦艦三笠。人がたくさん。中を見るのをパスして先を急ぐ。時間制限がある。

広い広い道をさらに南に向かう。よこすか海岸通り。海が見えてくる。

風は強いがいい道だと思ったら、ジョギングの人が急に増えた。防大は願書だけ書いて、結局出さんかったような。全然レベルに達してなかったが、がっこで模試受けるのが嫌だったから受けようとしたというそういう感じ。

やや上る。上りはきついが景色はいい。

で観音崎通りに入る。ここも単車で良く来た。マラソンがあるんか。良いコースだなと。

到着。奥の道へ。

もっともっと海っぽい海になる。

海沿いはバーベキューしている人達もいる。待て、のわんこ、行儀が良い。


ここまで来るのは初めてか。単車では来てないはず。やはりランの方が良いな。大学生の時に今みたいにロングランにはまっていたらまた別の人生走っていた気がする。ただ、その時の単車うろうろと今のうろうろランの本質は同じだ自分でも呆れるほどに。

観音崎を抜け。浦賀に向かう。今日の最終目的地。

それほど奥を走っていたつもりはないが、浦賀に向かう道もまあまあ昔からの街らしい。小学校の前の文房具屋さんがいい。地方は逆になくなっているものがここにある。

浦賀の渡しで向こう岸に渡ってから駅に行こうとする。入り口が分からないので、一旦行き過ぎて引き返す。

見事に見つける。

残念ながら昼休み。

まあいいかととりあえず駅へ。中学生が結構いた。期末試験か。歴史を勉強したての頃、浦賀と浦和を間違えて覚えていた。海がないだろって。県外の人が宇和島と宇和を間違えるようなもんだが違うか。
駅前のローソン(じゃなくて後で地図見たらセブンだった)で麦を買いトイレで着替える。奥には京急ストアがあったことを後で知るが、それを確認するまでの時間的な余裕はなかった。

それでも電車が待てずに駅で1本目。やれやれ(というより早い)。

で、成田へ。長かったぞ。

ジェットスターでさらに呑む。機内の麦もまたいい。

鎌倉も横須賀も昔探しの部分が多くて、で何つうかほろ苦い感じ。何年経っても。

それでも、それを確かめるためにまた懲りもせず走るわけで。

記録3~一般病棟に移る細かなことに苦戦する

2017-11-08 07:00:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
9月25日の午後(14時より)一般病棟に入った。ここからはその翌日からの記録。HCUでは頭痛に悩まされたが、この辺りから2週間ぐらいは点滴箇所の痛みで結構しんどかった。

6日目:9月26日(火)
5時半、目が覚める。そのままでいる。夜中に目が覚めて1時間半ぐらい起きていた。睡眠は6時間ぐらい。足の状態は変化なし。テーブルが広くなり、動かす(位置を細かく変える)こともできる。一般病棟に来て少し自由がきくようになったか。
6時、起床。体を起こすと頭痛がする。体温と血圧測定。今日から車椅子に乗ると言われる。
7時10分、朝食。南瓜パン75、味噌汁、豆腐のしんじょう煮、リンゴ、牛乳。以上で563キロカロリー・糖質62グラム。15分で。食事中も頭痛。きつい。終わった後、1時間ダウン。横になる。
8時50分、起きあがる。3年前の事故の時の看護師さんから声を掛けられる。覚えてくれていたらしい。
9時、O先生回診。造影剤入れてのMRI検査が来週火曜日に決まる。
9時30分、ヨメさんにメール。
10時、トイレに行き、便座に座る。便秘に期待大。ただ、立つのはかなり難しい。しばらく座るが頭が痛い。お風呂の話になり、急遽、今日入ることになる。
10時30分、お風呂へ。ストレッチャーに乗り、寝たままで。本当にさっぱりした。
11時、部屋に戻る。
11時10分、T先生リハ。血圧が下がらず(180)、今日は短時間で終了。
12時、昼食。手すりを一カ所外してもらい、ベッドに腰掛けてとる。楽。

御飯100、ホキフライ(ウスターソース付)、ぶっかけそうめん、蒸し野菜サラダ、いちごヨーグルト。以上で568キロカロリー・糖質77グラム。20分で。食事は、1回当たり、最大200カロリーぐらい差があるのだなと、記録を確認しながら思った。
12時30分、車椅子に移り、デイルームへ(!)。

20分ぐらい景色を見ながらぼんやりする。
13時、部屋に戻り、寝る。

疲れたらしい。
14時、神経内科総回診。
14時30分、ごぞごそとタブレットを弄る。来週の献立が来る。ここは、メインのおかずが2種類から選べる。じっくり考えてチョイス。前回の入院時は肉のメニューをよく選んだが、よくよく考えると魚の方が少しずつ食べられて持ちがいいと思う。で、魚中心になる。
15時30分、職場の上司が来るというので、2ヶ月先までの大きなイベント関係について、指示書っぽいものを作成。1時間ぐらいかかる。頭痛が相変わらずきつい。ただ、頭は痛いが、点滴箇所の痛みはそれほどでもなかった。
17時20分、ごはんと同時に上司が来る。ごはんを後回しにして、仕事の話をする。約1時間弱。原案はギリギリ決済もらっていて、後は進めるだけだったので、細かな文書作成を依頼する必要がなかったのは良かったが、それでも、実際に進めるとなると自分にしか分からないこととかがたくさんある。これは、単に経験的に、である。その辺りも細かく伝える。しかし、上半身普通に無事で座っていたこともあり、元気そうに見えたのが災いしてか、それぞれの担当からしばらく仕事の問い合わせメールが続いて閉口する。そこからは、自分で考えてやって欲しいのに、みたいなことを思ったり。
18時20分、夕食。御飯100、鶏肉のトマト煮、胡瓜の酢物、小松菜のお浸し、オレンジ。以上で369キロカロリー・糖質61グラム。10分で。
18時40分、ヨメさんが来る。パソコンを持ってきてもらった。これで、とりあえず、いろいろなことができる(儂はタブレットではこの辺りに限界がある)。
19時30分、来月の出張のチケットを無事にキャンセルする。発表原稿も作っていたから、10年の集大成で正直行きたかったなあと、改めて思う。その後、ネットサーフィン。
21時20分、寝る。寝汗をすごくかいた。体温調整なのか、入院特有の体調の変化故かよく分からないが、この状況は改善されないままに今後も続いている(記録を打っている段階でも)。一般病棟に移り、早速、初車椅子と初風呂の日。トイレも便座でするように指示を受ける。家に帰ってからの車椅子生活のことをイメージしてみる。かなり難しそうだなと。
パソコンと同時に、スマホで写真が撮れる、というのは有り難い。些細なことだがストレスが溜まらない。

7日目:9月27日(水)
6時、起床。睡眠時間約5時間。
7時、隣のじいちゃんが突然やってきてびっくり。丁重にお引き取り願う。昨日から携帯で米がうんたらかんたらとよく電話を掛けていた。今週末に退院らしい。
7時10分、朝食。ロールパン75プラスマーガリン、味噌汁、厚焼き卵と鰹白菜、オレンジ、牛乳。以上で611キロカロリー・糖質69グラム。15分で。終了後、爪を切る。この後何をしていたか記録なし。恐らくPCだろう。
9時、W先生、K先生回診。終了後PC。
10時45分、T先生リハ。車椅子に乗る。デイルームまで漕ぐ。血圧少し下がる。
11時50分、昼食。御飯100、八宝菜、ほうれん草和え、南瓜煮。以上で410キロカロリー・糖質57グラム。15分で。この辺りまでで、頭痛はない。昨日は一味はあったが何もない日で今日は痛みも何もない日かと思う。頭痛がない分、穏やかな1日。ただ、窓の外は見えない。病室の壁を見てほぼ終日過ごす。
12時30分、本を読む。

今日は仕事関係に触れないようにする(結局金曜日までしなかった)。京都ルール、天皇家等読了。
14時20分、O先生回診。
15時20分、清拭。
15時35分、デイルームへ。外を見ていると、今回のことが自分に対してあったということで、良かったのではないかと思える。子どもたちとかヨメさんとか、犬たちとかがこういうことになったら、本当に耐えられないのではないかと。だから、今の状態は、そんなに悲観しないでいられるなと思う。まあ、厄が降りかかってきてラッキーだと。外を見ているだけでそういう気持ちになるぐらいリラックスする。16時までの予定だったが、延長。これもラッキー。
16時25分、部屋へ。
16時30分、ヨメさんが来る。厄の話やら株の話やら。1ミリでも動かすとか話やら。
17時、ヨメさんが帰る。
17時40分、夕食。御飯100、蒸し鯛梅ソースと人参の付け合わせ、胡瓜中華風酢物、卵豆腐、リンゴ。以上で403キロカロリー・糖質56グラム。20分で。
18時、K先生回診。その後PC。脊髄梗塞に関して検索。珍しいこと、予後はあまり良くないこと等々。まあ仕方がない。それでも、「下」の管理ができんとしんどいなあと、そこは現実的に考えたりする。他、ふるさと納税とか、日ハム戦(斉藤先発)とかスマホとかいろいろ検索。DeNAと阪神が凄い試合をしていた。
20時20分、点滴トラブル。めちゃくちゃ不安になる。詰まって落ちなくなったらしい。ぎゅっと注射器で圧を掛けると治る。しかし痛い。
21時20分、寝る。一週間が過ぎたことになる。

8日目:9月28日(木)
6時、起床。睡眠時間約4時間。寝汗多い。血圧119に下がる。PC弄る。
7時、朝食。黒糖パン75プラスはちみつ、味噌汁、鮭の塩焼きとほうれん草(醤油付)、オレンジ、牛乳。以上で588キロカロリー・糖質69グラム。25分で。PCからスマホ、新聞(毎日1日遅れのを持ってきてもらうので、朝読む時点で2日遅れ)を読む。
8時、少し筋トレと記録にあるが覚えていない。恐らく足を動かしていたのだろう。
9時10分、W先生、K先生回診。終了後読書で北朝鮮本。
10時、O先生回診。急遽MRI実施することに。
10時40分、T先生リハ。今日から3階リハ室へ。平行棒を使って立つ練習開始。
11時40分、終了。腕に力が入ったからか、液漏れを起こす。

対応して貰う(昨日もそうだったと記録にある)。
11時50分、昼食。七色ごはん100、カジキ照り焼きと大根おろし(ノンオイルドレッシング付)、キャベツの酢物、手鞠麩汁、バナナ。以上で402キロカロリー・糖質60グラム。20分で。
12時10分、本を読む。北朝鮮、鉄道、イギリス。読み掛けをひたすら電子書籍リーダーとタブレットで。点滴が入るのが痛い。
13時10分、検査待ちで(時間は未定だった)読書をしたり、いろいろとベッドで過ごす。今日は、どちらかというと放置されている感がある。仕方がないかと思う。着圧サポーターもそのままで清拭もなし、でもこれ自体毎日なのかどうかもよく分からない。まあ、この感覚も慣れなのだろう。となすれば、ナースコールは必要に応じて使うべきだと改めて思う。明日からは薬の管理も自分で、となる。
16時10分、S君が来る。
16時20分、MRIへ。S君と一緒に降りる。検査中、造影剤、入ってくる感ありあり。寝ないで頑張ったが、体というか頭が動きそうで困った。
17時50分、終了。予想以上に時間がかかっていてびっくりする。病室の帰りに夕焼けを見る。まだこの頃は病室も満杯で外を見ることなどほとんどない。
18時、夕食。御飯100、オイスターソース炒め、南瓜サラダミモザ風、牛蒡の胡麻和え。以上で526キロカロリー・糖質62グラム。10分で。ヨメさんが来て検査結果の説明待ち待機。職場の方々が来られる。対応しようとすると、検査結果説明になる。お待ちいただいて、そのままO先生の説明を聞くことに。
18時15分、結果説明。脊髄の腫れは引いてきている。梗塞の部分の近くに出血部を確認することができた。第4胸椎の辺りらしい(肩胛骨の間という位置的にはどうなんだろうよく分からない)。梗塞部はその上下で少し離れている。実際に動きや感覚に影響しているのは下の梗塞部なんだろう。出血部も梗塞部ももう少し上なら手すら動かなかったかもしれない(これは自身の感じ)。原因は相変わらず分からず、脊髄そのものの奇形か血管の奇形か腫瘍かはっきりしないととのこと。今後週毎に経過を見て、外科的処置(手術)も考える必要があるとのこと。原因不明、手術と、気分は滅入るワードばかり。
19時、職場の方々と少しだけ話をして、お帰り頂く。ヨメさんも帰る。
19時20分、PC見る。ネットサーフィン。何を考えていたか。途中、下剤を飲む。
21時20分、寝る。

9日目:9月29日(金)
6時、起床。睡眠時間約4時間。点滴の箇所が痛い。
7時10分、朝食。今日から先週提出したリクエストが反映される。南瓜パン75、コンソメスープ、肉団子3個と人参ブロッコリー、リンゴ、牛乳。以上で506キロカロリー・糖質64グラム。20分で。お腹が張っている。今日浣腸の予定だが。
7時40分、1時間ぐらいスマホ。車椅子のページを眺める。
8時40分、横になる。
9時、W先生、K先生回診。現状維持との認識。
9時50分、浣腸し、トイレへ。力を入れることが何回かはできたが、全く出ず。
10時30分、終了。ベッドの上で休む。
11時、ストレッチャーに乗り換えシャワーへ。この日からズボン付きの病衣に変わる。

カテーテル入っているが。
11時30分、終了。ベッドの上でしばし休憩。
11時50分、昼食。御飯100、鶏挽肉豆乳仕立て、じゃこ天煮物、胡瓜酢物、葡萄(巨峰)。以上で508キロカロリー・糖質77グラム。20分で。
12時50分、PC見る。手術のことが気になる。余り芳しいことは書いていない。
13時30分、T先生リハ。リハ室に移動するようになり、立つ、座る、動かす量が増える。充実している。立つとき昨日より無駄な力が入っていないのを感じる。右は相変わらず動かないが、左と連動させたり、体幹で動かすような動きをしたりしている。
14時20分、終了し部屋へ。電子書籍リーダーで読書。日本の風習読了。学生時代に良く読んだ無着成恭さんの「くえいっしょ(倶会一処)」は浄土真宗で、だから広島辺りのお墓に刻まれていることが多いのかと知る。

天気が良さそうだったが、昨日今日とデイルームには行けず。入退院の対応で看護師さんが忙しそうである。
部屋も4人いっぱいなので、カーテンも開けられず、終日壁を見て過ごした感じ。気分の浮き沈みは激しい。些細なことが気になる反面、先のことはまだどうでも良い感じで人ごとのように思ったり。
17時30分、O先生回診。
17時40分、夕食。御飯100、エビフライとインゲン(ウスターソース付)、レタスとトマトのサラダ、オニオンスープ、スタミン(らくれんのヤクルト)。以上で486キロカロリー・糖質68グラム。15分で。
18時20分、ヨメさんが来る。
18時40分、ヨメさんが帰る。実家に電話。PC。
20時、おならかと思ったら浣腸液(?)が出てしまったらしい。ナースコールをしてトイレに座る。
20時30分、収穫なしで戻る。
21時25分、着圧サポーターを自分で履いてみる。履けた。寝る。寝汗をかく。これも脊髄症状の一つかもしれない(後日調べた)。

10日目:9月30日(土)
6時、起床。睡眠時間約4時間。ぼんやりと、しばらく現状維持かもと思う。
7時、朝食。ロールパン75プラスいちごジャム、味噌汁、鰆和風焼きと白菜胡麻和え、オレンジ、牛乳。以上で620キロカロリー・糖質79グラム。25分で。
7時40分、PC。約1時間半ぐらいネットサーフィン。
9時、O先生回診。
9時20分、点滴交換後、浣腸し、トイレへ。全く出ず。
10時、終了。PC。避けていた仕事関係の連絡を1時間半掛けて。真剣にキーボードを打つと点滴の箇所が痛くなる。
11時40分、昼食。

御飯100、鮭のシチュー、春雨酢物、小松菜の辛子和え、バナナ。以上で494キロカロリー・糖質83グラム。20分で。
12時45分、ヨメさんが来る。職場の方が来る。診断書を預ける。
13時45分、ヨメさん帰る。ヨメさんの御友人に御挨拶。ここから国体開会式のブルーインパルスを見るらしい。この後ずっとPC弄る。腹は合い関わらず落ち着かず少し痛い。
15時50分、廊下で立つ練習。終了後、隣の方が退院して一人部屋になったこともあり、お願いして車椅子で部屋の奥へ。

ラッキー。日差しが暑いが、そのまま日向にいさせて貰う。
16時、満喫する間もなく、ヨメさん方の親族と義母が来られる。普段会わない方々なので、冷や汗をかきながら対応。
16時40分、ご親族帰られる。看護師さんが来られるが、このまま窓際にいさせてもらう。

夕日をもろに浴びながら外を見る。高校のグラウンドで部活をしている。スーパーに人が入っていく。そんな動きをひたすら見る。検査もリハもない、ということは、ひたすら点滴をして、壁を見て過ごすことなのだとぼんやりとそんなことを感じる。今日は本当は高野山の参詣道をランする予定にしていたなあ。窓際で電子書籍リーダーを読む。太宰のトカトントン。
17時40分、夕食。今日だけこのまま窓際で食べてもいいと許可が出る。嬉しい。御飯100、豆腐カレー風味、マカロニサラダ、切り干し大根煮、。以上で513キロカロリー・糖質68グラム。20分で。


夕日を飽きもせず見ながら御飯をいただく。腹は張っている。
18時35分、ベッドに戻る。窓際は結局2時間半。この後はPCで野球観戦。広島DeNA戦をAmebaTVで。
21時25分、寝る。

11日目:10月1日(日)
6時、起床。睡眠時間約5時間半。スマホと新聞、足を動かす。看護師さんにベッド周りのカーテンを開けて貰う(まだそこまでの動きができない)。
7時、朝食。黒糖パン75プラスマーガリン、味噌汁、厚焼き卵と大根おろし(醤油付)、リンゴ、牛乳。以上で618キロカロリー・糖質64グラム。25分で。
7時40分、読書。梶井基次郎檸檬再読。姫野カオルコ昭和の犬読了。良かった。
9時、本止めトレーニング(?)、筋力が落ちている感がある。お通じのこともある。ベッドサイトのテーブルに手をついて立ったり、左右の膝を動かしたりつま先を動かしたり(右は動かないからイメージのみ)、体幹捻りしたり、浅く座って手を伸ばしたり、等々。今日はこれを思い出したときにする。休日はリハがないから特に。ここ4日ぐらいは体の運動に関して大きな変化は感じない。ただ右の足は動かないにしても軽くなり、手で動かしても可動域は広くなったか。右に体重は掛けられないが、少しなら立つこともできるし。
9時40分、脳外科のI先生、初来訪。(木曜のMRIの)画像を見て出血しているのは間違いないので手術について今後検討とのこと。最後に先生曰く、仕事の方、休み(休業)はちゃんと取れるね、と確認のような一言。長期化が予想される。ひたすら「忍」か。取れん場合は取れんなりの対応もあるのかもしれないとぼんやり思う。
9時50分、W先生。
10時10分、O先生。
10時30分、浣腸、トイレへ。失敗。
11時、トイレから戻る。3日続けて失敗ということになる。ということは明日で一週間出ていないということになる。補聴器の電池交換(右)。スマホ弄る。
11時40分、昼食。

御飯100、豚肉の生姜焼き、もやしの酢物、お好み焼き、葡萄(巨峰・3粒)。以上で495キロカロリー・糖質59グラム。25分で。
12時30分、終了。PC弄る。
14時、下腹部を洗って貰う。
14時30分、廊下で立つ練習(30秒×3回程度)。その後デイルームへ。

16時10分、ヨメさんが来る。
17時、部屋に帰る。今日は2時間20分外を見たことになる。今日部屋に一人入ると聞いていたが、結局入らずだったので、カーテンはオープンにしたままにしてもらう。夕食後もそのまま。
17時20分、ヨメさん帰る。
17時40分、夕食。いつものベッドで。

御飯100、厚揚げ味噌炒め、柔らか牛蒡サラダ、白菜お浸し、。以上で510キロカロリー・糖質53グラム。20分で。夕日を飽きもせず見ながら御飯をいただく。腹は張っている。
18時10分、PC。昨日今日とBlogのバックアップに取り組む。不完全だが1度だけ成功。回線が家のより早いので、6時間ぐらいでできた。何度か失敗しているうちに保存ソフトから寄付を促すメッセージが出て中断することが多くなり、とりあえず保存作業は止める。それでも、7年分の記録を残すことができそうでほっとする。
21時25分、寝る。点滴のところが痛い。3日で変える必要があるとのことだが、もう一週間近くになる。針が入る保証がないのでそのまま行けるところまで、か。じっとしていると大丈夫だが、キー打つと痛い。でもPCは、見ると言うより打つために持ってきて貰っているのは確か。文字を打つ行為で何とか気分が維持できている点は否めない。寝ながらそんなことを考える。

入力完了:2017年10月10日。
確認:2017年11月7日(再び元の大部屋に戻った日そして造影MRIで2回点滴を失敗された日)。この頃、痛いことはあるけれどまだ余裕があったのかもしれないと。

2017-11-07 07:00:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
術後2週間を目前にして考えていること。

手術自体は上手くいっている。「脊髄内腫瘍」の摘出も予定通り。

これは手術時間の見立て通りに予定通り終わったということからもそうなのだと。背中のドレンチューブが取れ、起き上がりがOKになり、抜糸もできた(まだ、MRIによる評価と摘出した腫瘍の細胞診の結果が出ていないが)。それでも、である。
軽く左脚が動かせた術前の状態はおろか救急で搬送された入院時の両足が動かない状態よりも機能的感覚的に低下している。動くが自分のイメージとは違った形で脚が「ある」。全然思うように動かないだけでなく、下半身全ての感覚がぐちゃぐちゃになってしまっていて。
脚というか腹部含めた下半身の痺れと痛みは、術後変わらないかむしろ亢進している気もする。これはどうしても姿勢が維持できないとか痛みで無理っぽい姿勢をとっていることも関係しているように思う。
それが1週目は気分的にどうしてもしんどくて。身体も気持ちもどん底でした大袈裟でなく。もうどうするんだという感じ。じっとしていても痛いし痺れるし。寝るときも痛いし痺れるし。
加えて、術後5日ぐらい、9度前後の熱出してダウンすること数回。これも堪えた。

どん底で考えたのは、もう元には戻らんというつもりで考えなければならないということ。つまり、目指す「復帰」の形を修正するということ。これだけ痛いと車の運転どころではないし、何より車椅子の乗り降りもできるかどうか怪しいし。今は車椅子に乗っての「座位」もなかなか維持しにくいのでこれで仕事ができるのかということも気になる。また、下腹部の感覚が術前より無くなってしまったから、トイレどうするみたいな。
そうなると、術前の状態になる(戻す)ことは考えないで、何とかつきあえるようにしていく、と。そのためにはどういうところを目指していくのかということ。
この痛みと痺れが治らないことに気を取られて気が滅入っていると何もできないので。
どん底の時期、苦し紛れに「脊髄腫瘍」の闘病記をたまたま検索して見始める。結果は両極端で、何年もかかっている例が目に付く。恐らく良くはならんなと、この辺りで腹をくくる必要があることを知る。痺れと痛みと両方抱えながらさてどうするか、どういう形なら大丈夫か。
具体的には、来年度までに1日8時間仕事ができるようにするためにどうするかとか、通勤の見通しをどう立てるかということとか、夜の寝返り対策とかトイレのこととか、その上で、これを最低10年は何とかやるために、自分はどのような形でやっていくか。ほどほどにして好き勝手・・・という余裕はない。クビにならないように勤め上げるために、痺れと痛みと共存しながらやらないかんのだと。かなりの危機感。目標とか見通しをもっていかないかんのかなと。

以前描いていた、社会復帰の形を修正し、そのために必要なラインを考え、その上で短期的な目標を定めていく、ということ。痺れと痛みの中でADLは可能か、否、可能にしなければならないということ。
やや近いスパンで見れば、転院までの目標として、●トイレや車椅子への移動、●トイレに座って排泄できるというようなことを考えていたが、今となっては結構レベルが高い。
これらを整理しつつ、転院してから自宅に戻れるようになるための条件として、現時点(11月6日時点)で思うこととしては、●排泄の対応(代替)方法の確立、●移動時の最低限の動きの完成、●家の中でのADLに関する機能向上というのが、現実的なところではないかと思っている。

やや大袈裟ではあるが、どう考えるかというのはとても大事なことのように思える。つまり「態度価値」のこと。

態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値だという。個人的には、もともと物体としての「個」以外信じていないから、運命というのはあまり信じない。それでも、一つの現象をどう考えるかということに注意を払っていく必要はある。何せ痛いし痺れるしだから。

それから以下は、別の話。
以前患った帯状疱疹の場所に、疱疹は出ていないのに違和感が1年前からあった。ネットを見ていくうちにそれが、肋間神経痛とか帯状疱疹とかではなく脊髄腫瘍の前兆だったという記事もあって、それ自体興味深かった。

自身としては、結構納得できた。現時点(発症・入院45日目)で、入院時から手術後にかけて、そういう症状は今のところ出ていない。今回全く予兆のない病気で、突然のことだったこともあり、ここにメモしておく。儂のように「脊髄内腫瘍」の闘病記ネタを検索する人のために(今後検索しやすいようにコンテンツを整理する必要がある)。

まだまだかかりそうだから、病気せんようにして、ちゃんと留守番しとってな。

ちゃんと帰るから。

就職試験を受けに行ったときの話

2017-11-05 14:14:15 | 別に除けておきたいこと
およそ9ヶ月前。

この頃、仕事の手詰まり感がどうしても拭えないと感じていた頃、某研究所の研究員の公募をたまたま(本当にたまたま)見つける。今の仕事にやり甲斐はある。しかし、このまま残り10年か続くかなみたいなそういう感じがずっと引っかかっていてあまり良い感じではなく。
で、ダメ元でこれまでの少ない研究実績と仕事の実績まとめて書類送ったら、面接においでと言われる。
想定外と言えば想定外で、一次の書類選考通るだけで十分で、面接に行くことなんて考えてなかったが。

でもまて、行かずに止めるというのはどうなんだろう、と。
募集の記事を見つけたのが1ヶ月前に亡くなっていた1号の誕生日だったというのは。偶然ではないような気がして。

行くと仕事に穴を空けるというのも充分分かっていた。とりあえずできるところまでやった上でバトンを渡した。
家族の同意は得られていないまま。

期間は一週間なかったが、急いでANAの宿泊パック取って。

仕事を終えてそのまま横浜のビジネスホテルへ。

あっという間に当日の朝。面接は午後だが落ち着かないので出る。

街を歩く。

蕎麦を喰う。

駅に着く。早すぎる。

で少し走る。

駅で着替え、バスで指定された時刻を狙って。バスは狭い路地を走る。研修でここに来たときは乗ったことがなかったな。

そして、面接へ。昼ご飯は食べていない。いつものこと。それより近くに店がないことで、遠くに来た感があった。

待ち時間2時間の面接時間30分。プラス理事長面接まであった。気分はふわふわしたままだった。待ち時間の間に、久里浜の海がきらきらしていて、でこの建物の異様な静けさと心地よさと圧迫感とが同時に押し寄せてきて、何とも云えない感じのまま、面接官や理事長と話をした。普段通りの気持ちで話をしているようで、結構相手のペースにかき回された(そりゃ当たり前か)。威圧感があって、こりゃ全然太刀打ちできんわと。真剣と新聞紙で作った模造刀ぐらい開きがあった。

帰り道は、バスを選択せずに歩いて帰る。西日一歩手前。寒くはない。歩きながら仕事のこととか生活のこととかいろいろ考えた。本気だったがどこか人ごとのようにも感じていた。それが面接の受け応えには出ていた気がする。新聞紙でぽんと頭を叩くぐらいの受け応えぐらいしたかったが、全然無理。甘い。

経験するまで分からないというのはどう考えても阿呆だが、来たから分かった気がついたということはたくさんあった。仕事場に迷惑かけてまで来た甲斐はあった。
この翌日もいろいろ飛び回り、ハードな2月の一週間だった。

で、不採用通知貰う前に自分から取り下げの電話をした。納得できなかったらまだ燻っていたと思う。だから、行って良かった。今考えると恥ずかしいレベルだったが。
でも、研究所の図書館から見た久里浜の海のきらきらと駅までのわんこと会ったくねくねと細い住宅街の道でいろいろなことを考えることができた。

もう一つ思うのは、万が一(?)4月からここの研究員になっていたら、9月に倒れた時に、多分この世にいなかったか今よりも酷い後遺症抱えていたと思う。それは確信している。

今、そんなことを思う。

13年半の走記録~日々のジョグ編

2017-11-04 12:32:22 | 真面目な練習
これを綴り始めたのは、入院16日目。走ることに関してはとりあえず区切らないかんのかなとうすうす感じていたこともあり、簡単にこれまでの記録をまとめてみる。

以下、年度ごとの走行キロ数と()内に練習日数、[]に走行中のペース走(基本的にサブフォー:5分40秒以下でのラン)の距離を示してみる。
2004:721.5キロ(78日)
2005:2462キロ(203日)
2006:2790キロ(194日)
2007:3261キロ(323日)[602キロ]
2008:4347キロ(355日)[624キロ]
2009:5290キロ(365日)[620キロ]☆
2010:6388キロ(363日)[380キロ]
2011:7370キロ(362日)[150キロ]
2012:6172キロ(360日)[373キロ]
2013:5776キロ(336日)[1435キロ]☆
2014:7131キロ(336日)[301キロ]
2015:6804.5キロ(340日)[393キロ]☆
2016:6303キロ(327日)[618キロ]☆
2017:3169キロ(157日)[226キロ]  ※ 9月20日まで
☆は愛媛マラソンでサブ3.5を達成した年。総距離よりペース走の割合が多い年は、効果が出出ている気がする。

で、トータル。
総走行距離:67985キロ
総走行日数:4099日

このうち、月間での走行で700キロ越えは5回。
933キロ(2014,7)
811キロ(2014,6)
771キロ(2011,8)
728キロ(2015,1)
715ハロ(2010,8)
夏が多いのがデータ的にも証明されたか。
大会以外で1回の最多は95キロ(六甲守山間)。しまなみ縦走(71キロ)とか、夜通し千葉街道走って成田から新宿(71キロ)、家を出てそのまま四国中央市まで(62キロ)なんかもあった。最近は、1度に走れる距離が増えてきていた。距離より時間を意識していたからあまり感覚的に疲れたとかそういうのが少なくなっていた。

途中で振り返るというのではなく、区切りという感じなので、坂の途中で振り返るという後ろ向きな感じではない。とりあえず半分人ごとのような感じでこうして改めて見ている。
充分走ってきたなと感じる。勿論記録残すためではないにしても。
毎日毎日これやらんと呑めんとか、お通じのためとか、体重維持のためとかそういう義務的要素は少なからずあったにしても、それよりもどこかに行きたいとか知らないところを走ってみたいとかそういう昔からの異邦人指向ランの積み重ねで、結果としていろいろなところに行き、いろいろな経験ができたのではないかと、それは確かに思う。

MEMO:術後初投稿。