カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

猫踏んじゃった

2015-06-16 09:28:16 | 日記
 鉢植えにした「小判笹」に稲の穂に似た小さな花が咲き始めた。

 もらい物だが、室内に置いていた頃はヒョロヒョロとしていて、良く言うならサヤサヤとした涼しげな趣があった。

 しかし小判の実が成る気配もないので庭に出したら途端に元気に大きくなり実を成らせるようになった。

 

 あまりに茂るので、株分けして庭の隅に地植えしたらこれまた元気に育っている。

 この「小判笹」ほどに金がザクザク実ったらいいのだが・・・。

 「小判笹」にしろ「金のなる木」にしろ放って置いても良く育つのに、金の方はどうしたわけが一向に貯まらない。

 「猫に小判」などというが、我が家に猫がいた頃は部屋の中でこの「小判笹」の葉っぱをくわえてモグモグやっていたものだ。

 猫に小判だの、猫踏んじゃっただの、山寺の和尚さんは猫を紙袋に詰め込んでポンと蹴っただのと虐待推奨のような文言が沢山有り、そのうち鯨並みに動物愛護団体あたりからクレームがつきそうだが、肝心の猫が一向に被害者面をしない大人の対応をしてくれているので、日本人は救われている。

 さて・・・。

 
 「猫ふんじゃった俳句」村松友視(著)2014.7KADOKAWA(刊)

 俳句は門外漢だという作者が、自宅の猫への思いが高じて、あるいは内田百の「ノラや」などに触発されて、名だたる俳人が、詠んだ猫の句だけに特化して選んだものが網羅されている。

 そうなると「著者」ではなくて「編者」かといくことになるが、内容の殆どは村松氏のエッセーで自宅の猫(21歳)への鎮魂歌ともいうべきで、猫をあつかった他の作者への思いなども含んでいて面白い。

 あとがきで、21年間飼ったアブサンという猫が段ボール箱の中で作者とその夫人に挨拶でもするように正座してそのあと二人が見守るなかで大往生した、と記されている。

 その辺りの情景が3年前の我が家の情景と重なるので、なるほど猫は「猫踏んじゃった」と歌われながらも、愛され続けているのだなと感じ入った次第である。

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コメント
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