カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

掻くほどに益々痒くなる背中

2019-01-11 10:54:35 | 日常あれこれ
 昨日は謡曲の練習日で、いうならば謡い始めの日だった。

 教えを受けている先生から、その日の朝に「都合で出席出来なくなった」と連絡があり生徒ばかりでの謡い始めとなった。

 世話係として窮余の一策で、正月のお目出度いところで、小謡三番の「高砂・四海波・鶴亀」と、「鶴亀」と「大仏供養」全曲を皆で謡った。

 かなり以前に習ったものだが、皆思い出しながらどうにか謡うことが出来た。

 本来なら今回は新しく習い始めた「求塚」の予定だったのだ。

 

 前回の練習日に、先生に謡って貰って収録した音源を、担当がコピーして各人には今回配布した。

 吹き込まれた謡を頼りに、それぞれ自分でも練習が出来るようにしている。

 高齢の先生やその奥様が体調が悪く来られないという事態はこれまで何度かあった。

 その頻度が上がるにつけ皆の頭のどこかには、この会の存続の問題までが口の端に上ることも多くなった。

 習う方の高齢化や、後に続く者が少ないという問題は言われて久しいが、教える側の問題はそれ以上に深刻である。

 いま一つの趣味である川柳の会も、高齢化に若い人達の入会が追いつかない。

 どの分野にも憂いや危惧は横たわっているものだとつくづく思う。

 そうした折りに、川柳仲間から紹介された川柳の月刊誌がなかなか面白く興味が持てた。

 

 昨年9月から購読を始めた川柳誌だが、古川柳から前衛句まで新旧混交のユニークな雑誌である。

 あらゆるニーズに応えようと、かなり無理してごちゃごちゃ詰め込んだ感もするが、それがかえって面白い。

 謡曲も川柳も今活躍している人達の殆どは、30代40代で始めている。

 時が流れ時代が変わり、後ろが付いて来ないまま、先頭から年老いて戦線を離脱していく構図である。

 「掻くほどに益々痒くなる背中」

 諦めが肝心なのか・・・。

 
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