カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

応急ギブスに挑戦したまでは良かったが・・。

2019-01-20 11:00:12 | 日常あれこれ
 今日は朝から小雨が降っている様子だが、昨日までのような冷え込みではない。

 大寒らしいのだが、気温的には朝起きも苦にならないほどの暖かさだった。

 

 厚い雲ではないものの、山の端までが霞むほどに曇っていて少しの距離なら傘を省略したい程の雨が降っている。

 ここら辺りまでなら、天気の話で終わるところなのだが。

 目出度く1ヶ月後に相方の左手のギブスがとれて、やれやれの状態になった。

 あまり長期に亘り固定すると、機能上の問題が生じることもあるとかで、まだ完治まではいっていないが外したのだ。

 「痛いときは来なさいよ」と言われた等といいつつ、本人も私も喜んていた。

 一番楽になったのは、入浴の度に防水処置をしなくてよくなったことだった。

 ところが、寝ているときは無意識に動かすもので、朝から「すこし左手首が痛い」と言い出した。

 仕方がないので、明日病院が開くまでの間は応急的なギブスで曲げたりしないよう固定することにした。

 
 (応急ギブス)

 自分で言うのも何だが、段ボールを2枚使って包帯で固定したギブスはなかなか良く出来た。

 
 (病院のギブス)

 つい先日まではめていた、専門家のギブスに比べれば見劣りはするが・・・。

 相方は二日ほど前から風邪気味で、オマケに腰まで少し変だと言い出した。

 内科から外科まで不具合のデパート状態になってしまった。

 「何と言うことでしょう」などと言いながら、不自然な態勢で左手首に包帯を巻ながら最後にハサミで包帯を切る段階で失敗した。

 なんと、包帯の片方を押さえながら使っていたハサミで自分の指を切ってしまったのだ。

 切り傷にもいろいろあるが、スパッと切ったのではなくて皮膚の部分を薄くというやつで関節の曲がる部分なので嫌な感じ。

 

 傷の手当はカットバンでくるっと巻けば終わりなのだが、炊事が困る。

 左手だけ炊事用の手袋をその都度付けたり取ったりと面倒臭いこと。

 今日の私の気分は、限りなく空模様に近い灰色といったところ。

 「人は人天気は天気とも言えず」

 
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招き猫と訪問猫

2019-01-19 11:11:25 | 日常あれこれ
 一年前に新聞社の「猫島ありのまま」という写真展を観に行ったことをブログに書いている。

 暖かくなったら、出かけてみたいと思った猫島にも、その後船で渡ったものだった。

 写真展の後、島には観光客が沢山訪れるようになり、島の猫は本当の招き猫になってしまったようだ。
猫島(湯島)写真展
 熊本日々新聞社の新聞博物館で「猫島ありのまま」という写真展に出かけた。 300人が暮らす天草の離島に200匹・・・人々の暮らしの中の猫たちの百態がここに・・とある。 夕刊......


 その後わが家には、島の招き猫とは反対に訪問猫がほぼ毎日やってくるようになっている。

 隣家に住居を構える猫である。

 

 雨戸を開ける音や、玄関を開ける音に反応してやってきていたが、最近は雨戸を開ける時はもう既にそこに居るようになった。

 
 

 巡回コースも結構広いようで、時々は近所のアパートの前を歩いているのを見かけたりもする。

 わが家は休憩スポットとしても活用しているようで、陽だまりの中で寝ていたりする。

 糞については、花壇の中を掘り返した跡があるが、菜園の中ではないしちゃんと土をかけて処理しているので黙認している。

 そう言えば、猫島(湯島)は大根の産地で、湯島大根なるものを頂いて食べたことがあるがとても美味かった。

 先日テレビを見ていたら、何処かの島でとても美味い大根が採れる話が流れていた。

 以前暫く居たことのある三浦半島も、大根の名産地で「三浦大根」等と呼ばれていたと記憶する。

 こうした温暖な離島や半島などは、季候や地質が似ているのかも知れない。

 大根と言えば、まだ何本も残っているようなので、再び金柑入の千枚漬けに挑戦することにしよう。

 
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表現の限界と垣根

2019-01-18 12:48:32 | 本と雑誌
 近頃短詩型の文芸物を読むことが多い。

 同じ俳句でも、同じ短歌でもいろいろあって面白い。

 
 (俳句と和歌)
 
 (詩・短歌・川柳)

 それぞれ、その分野毎に許容の範囲を手探り状態で少しずつ変化させながら。

 その変化が、読む者・聞く者にピッタリはまった時に、状況によっては幹を圧倒する太い枝に育ってしまうことも。

 時代が求めた変化だという話になる。

 俳句に関する話では、気になったことが二つあった。

 高名な俳人と、大学の教授の対談のなかで先生が「俳句をやっていたが自分が言おうとする事、表現したい事に制限が多すぎて無理だと分かったのでやめた」というのがあった。

 今一つは、歌集を出した俳人が「東日本大震災の悲惨な光景を伝えたり、自分の今の気持ちを伝えるにあたって、咄嗟に短歌という手段を選んでしまった」というのがあった。

 俳句と短歌の垣根を意識しない柔軟な考え方とも言えるし、俳句で表現する可能性を模索してもよかったのではないかとも思ったことがある。

 この頃、新聞の読者文芸蘭などを見ると、短歌にも俳句にも同時に川柳にも投稿し、それぞれ3つ掲載されている人を見かける。

 小説を書く人だっているわけで、こうなってくると第二芸術論などという言葉も遠い昔の話になってかすむ。

 いずれにしても、困難ではあっても自分が追求してきた手段で、現実にファイティングポーズをとってみることは必要な気がするが・・。

 「身の程を知らぬ間が成長期」

 
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寒中の紅葉と花々

2019-01-17 10:23:41 | 日常あれこれ
 今朝からかなり冷え込んできた。

 寒いと思いながらも、例年に比べたらまだ一度も雪が積もっていない。

 雪が積もった後のブルーベリーの紅葉は赤が映えるのだが・・。

 待っても、いつになるか分からないので隣家の壁の白さを雪に見立ててみた。

 

 雪も遅れているが紅葉も遅れている。

 やっとそれらしくなってきたので、綺麗な先端部分だけで紅葉の雰囲気を・・。

 玄関に避難した花も、シンビジウムと蘭の他はほぼ満開の状態になってきた。

 
 (シャコバサボテン)

 本物のシャコバサボテンは今年は咲いておらず、玄関の軒下に置いてある。

 寒さにも結構つよくて、もう十五年以上前からふと思い出したようにして咲いている。

 その改良種が沢山あるらしく、もはやどれが何という名前なのかさっぱり分からない。

 
 (キリタンサス)

 キリタンサスも満開の状態が続いている。

 盛りを過ぎると次の花芽が出てくるので、古いものはカットする。

 次から次と花芽が続き、春まで3ヶ月くらい咲き続ける。

 名前を直ぐ忘れ相方に聞くと、私は友達の「切田さん」で覚えていると言う。

 切田さんとキリタンサス、なるほどね。

 「世の中の花は咲き散り人は死ぬ回転寿司も止まることなく」

 
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月曜から始まる手帳

2019-01-16 10:58:32 | 日常あれこれ
 今年も早いもので、もう月の半分が過ぎてしまった。

 以前、川柳仲間の入選句の中に「一日がああ一月が一年が」といった句があったように記憶する。

 年齢と、過ぎ去る時間の早さの感覚はどうやら関連性があるようだ。

 まだ返事には期間が有るなと思っていた会の、出欠の返答期限がとっくに過ぎているのを2通発見して驚いた。

 もっとも、5通も6通も似たような出欠を問うハガキが、さみだれ式に年末あたりにやって来るのにも往生する。

 無視するのも悪いので、なるべく出席出来ない旨の返答は出すように心掛けてはいるのだが・・。

 そうした事を防止するため定年後も手帳を活用している。

 4年ほど前からは、一ヶ月の予定が書き込めて一目で分かる形式の手帳に変えた。

 

 今まで使っていた手帳より大型であるが、いわゆるスケジュールノートのような大型でもなく年寄りには良いサイズ。

 次の月との間には、4ページの空欄があるので、実施の細部などが書き込めるようになっている。

 考えてみるとこの手帳は立派な日記になっていることに気がついた。

 数年前に経験した事項と同じ状況になったとき、その問題や対応などをどうしたかが分かるのがいい。

 年を取ると記憶力は弱るし、同じ事の繰り返しは結構おおくて、同じ問題に何度も直面しているのだ。

 そして、今年もまた同じような繰り返しが始まったが、変則的なのは同窓会の計画や案内などが加わったことだ。

 3年に一度実施しているので、三年前の手帳や関係資料を引っ張り出して問題だった事項を拾い出している。

 ところが、今年の手帳は今までの物と変わっていて、月曜から始まる形式になっているのだ。

 

 人間の馴れとは不思議なもので、曜日などよく見れば判るのに無意識に今までの場所に予定などを書き込んでしまう。

 月曜日から始まる形式を求める人も多いようで、その要望に応えたものなのだろう。

 仕方なく購入したのだが、後日同じような手帳を持っている人に話したら日曜日から始まる形式のものを使っているという。

 どちらの要望にも応えている手帳だったのだ。

 月曜形式にまだ慣れなくて、曜日をよくよく確認しながら記入する毎日である。

 惰性に流されるばかりの生活をしているので、注意配分の訓練でボケ防止には良いかも知れない。

 「ボ~ッとして生きてんじゃねえよ~!」と手帳に毎日言われている昨今である。


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大根と金柑の酢漬けに挑戦

2019-01-15 12:56:35 | 日常あれこれ
 昨年末から次々と届けられる野菜を、出来る限り無駄にしまいと食べることに専念している。

 近所に配ったりしながらやっと昨年末の頂き物は食べ終わった。

 ほっとする間もなく、年が明けたらまたまた野菜や穀類が届いてきた。

 

 芋は保存がきくし、焼いても電子レンジでも美味しいので嬉しい。

 やっと食べ終わった大根がまたまた大量に登場したのでどうして食べようかという話になった。

 薄くカットして千枚漬け風にしたらいいだろうと相方が言う。

 漬け物でもしない限り、味噌汁や大根おろしではたかが知れているというわけだ。

 よって、相方の指示通りに大根を薄くスライスした。

 

 これに庭の金柑を洗って種を出し、これも小さく刻んで放り込む。

 昆布を細切りにハサミでチョキチョキと・・。

 砂糖を加え、何やら調味料配合済みの酢を入れて掻き交ぜた。

 酢が馴染むように掻き交ぜたあと冷蔵庫で休ませる。

 てなことで、待ちきれずその日の昼食時に食べてみたら、あまり酸っぱくもなく、かと言って食べられないこともない。

 醤油を垂らして食べたら結構旨かった。

 夕方になったら酢が馴染んできて、水分が増え全体の量も小さくなっている。

 なるほどね、等といいながら又もやポリポリばりばりやっていたら、3分の1くらい無くなってしまった。

 大根2本分が、明くる日の昼にはもう無くなってしまった。

 これは良い。大根の大量消費にはうってつけであることが分かった。

 ちなみに、金柑との相性は極めて良く、レモンや柚子も試してみたが完全に金柑の一人勝ちだった。

 第2弾を実施すべく、現在は金柑の色づき具合待ちの状態なのである。

 
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なんと!新春かるた大会に参加してしまった

2019-01-14 19:55:14 | おでかけ
 今日は新春カルタ大会に参加した。

 昨夜は諦めたものの、全く知らないでは拙かろうと一応プリントして読んでみた。

 

 カルタの約束動作は知らないが、上の句と下の句を読み分けて、多分どちらかを取るのだろう。

 などと当たりをつけて、上の句と下の句の第一番目の字を覚えるようにした。

 100句読んでみたがさっぱり覚えない。

 犬棒カルタと違って最初の文字が同じものが多いし、どうかすると途中までまったく文句が同じというのもある。

 諦めて、今度は過去に何処かで聞いたり見たりしたことのある歌を重点に印を付けて覚えることにした。

 結果は2~3首を覚えただけだった。

 今朝は、早起きして炊事洗濯を済ませた後、車で家を出たが、その頃はすっかり昨夜の歌は忘れていた。

 町では早朝から新成人の振り袖姿やスーツ姿が目立っていた。

 

 会場はホテル日航くまもとに隣接する7階の武道場。

 会場に着くと直ぐ受付があり、最後に抽選会をするという番号を配布された。

 わが川柳チームは3名一組で、「夢ごこち」という組と「花ざかり」という二組編成で、大会に臨んだ。

 カルタ会の実施要領について、実行委員長から説明があったが具体的な細かいところがイマイチ理解出来なかった。

 皆の真似をしていればなんとかなるだろう、という乗りで取り敢えず第一回戦に臨んだ。

 

 驚いたのは、広げた札が全て平仮名文字で、しかも濁点は抜いてあるのでとても読み辛い。

 最初の対戦相手は、和服姿の男性と振り袖姿のうら若すぎる女性が二人の三人組。

 当初は自分の目の前の札に集中していたが、そのうち札の数が少なくなってきたら、どんどんこちらの守備範囲に進出して来始めた。

 ルールを覚えそうになった頃は、勝負は見え始めていた。

 オマケに途中から正座の足が痺れ始め、感覚が麻痺したようになって不自然な態勢でその場を凌ぐ有り様だった。

 こうして一回戦はあっさり負けてしまった。

 やたら豪華な昼食を頂いた後、次の2回戦の前に腹ごなしに「坊主めくり」が始まった。

 

 聞いた気もするが、見るのは初めてだったので楽しんで参加している人達の後ろで見学させてもらった。

 う~ん何というか、坊主をめくると一波乱という感じで、すべて運任せというゲームである。

 その後、かるた大会の2回戦が始まった。

 最初の対戦で多少の学習効果があったと見えて、な~んと我が「花ざかり」チームは勝つことが出来た。

 聞けばもう一チームの「夢ごこち」チームも勝ったらしい。

 最後に抽選会があって、50%位の確率で何かが当たっていた。

 景品はほとんどが、県の文化協会に所属する高名な作家の書・写真・絵・陶磁器などで、当たるとその都度拍手が湧いた。

 

 私にも何やら面白げな、スケッチの作品が当たった。

 裏には「美人が来たぞ」と書いてあった。

 最初は変な絵だなと思っていたのだが、引っ張り出して見る度に妙なおかしみが湧いてくる。

 かき殴ったような線も効果的に生かされた良い絵ではないかと思えてきた。

 さて、参加していた噴煙吟社の副主幹が、来年を目指して百人一首講座を開くと言い始めた。

 編集会議の日や校正の日の昼食後に実施すると張り切っている。

 10分程度という話ではあるが、さて老化の一途を辿る脳と耳が受け付けてくれるかどうか・・・。

 「あひみてののちのこころにくらふれはむかしはものをおもはさりけり」・・って、今の方が思はざりけりだわ。 

 
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冬の江津湖にて

2019-01-13 20:56:19 | おでかけ
 松の内も過ぎ鏡開きも終わって、今日はドンドヤである。

 例年だと火入れからノンビリ眺めたりしたものだが、今日は「ふんえん誌」の編集会議。

 朝からバタバタして、朝食と洗濯を済ませ正月飾りを車に乗せて、まだ組み立て中のドンドヤの現場に持ち込んだ。

 こうしてドンドヤで焼いて貰わないと処置に困るというのが実際のところである。

 そのまま、霧雨のような微かに漂うように降っている雨の中を江津湖の駐車場に向かった。

 

 水面からの靄と霧雨がミックスされて、湖面は霞がかかっていて沢山の水鳥が羽を休めていた。

 静かな湖面に釣り糸を垂れている人もいた。

 

 寒い早朝から湖面を見詰めながら、釣り糸を垂らす心境は多分釣り人にしか分からない。

 ただ早朝から頑張っているのは、釣り人ばかりではない。

 

 ボートの船着き場では何隻ものボートが発着し、既に練習を終わったチームの元気な笑い声が響いていた。

 ふと遊歩道沿いの岸辺を見ると、黄色の花が目についた。

 

 菜の花がその辺り一面に咲いていた。

 菜種の花ではなくて、若菜摘みの対象になるような「からし菜」のたぐいではないかと思う。

 まだ大寒前なのに、一足も二足も早い春がここには来てしまっている。

 さて、新年を迎え編集室が見違えるように整理されていた。

 何でも副主幹が3日ほどかかって、整頓棚からセッティングをやり直したらしい。

 それに、編集の担当区分を示して、事後はこの区分に従い各々担当正面の作業をすることになった。

 これらを完成させた後、編集会議に臨むということで確かに効率的にはなった・・ような気がする。

 明日は優雅なカルタ大会に参加する、というより参加を要請された。

 百人一首が分かるわけもないが、枯れ木も山の賑わいだとか・・。

 泥縄で百人一首も考えてみたが、無駄な抵抗と諦めた。

 
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免許センターでぼ~っとしていたら

2019-01-12 10:56:44 | おでかけ
 昨日は免許センターに、相方の車の免許更新の送迎を担当させられた。

 誕生日を挟んで前後一ヶ月が更新期間だが、すでに一ヶ月が経過し、しかも今回の骨折のようなアクシデントがないとも限らない。

 行けるときに行くに限るというわけだ。

 待合室の椅子で、ボ~ッとしてんじゃねえよ!!と言われるくらい待たされた。

 文庫本を持って行って読んでいたのだが、眠くなって椅子で寝ていたら女性の声で起こされた。

 「もし、お時間が取れるようでしたら、テストを受けてみませんか?」

 瞬時には理解困難な語りかけから始まった話では、県警から依託されている「県警声かけ(県警ひまわり隊)」とかいう組織の一員らしい。

 車の運転に関する反射神経などのテストだという話で、暇つぶしに受けることにした。

 

 本当は、誘いに来た女性がタスキ状に肩に掛けている反射材を、テストの後くれるというのでついていったのだが・・。

 テストはモグラ叩きのようなもので、点滅したら手で叩くとか、青信号と同時に灯りが点いたら灯りを叩き、赤信号と同時に点いたら灯りではなく、赤信号そのものを叩くという少しややこしい動作に移り、最後は瞬間的に点灯して消えた場所を叩くという、認知・判断・反射神経を試すようなものばかりだった。

 

 検査結果のデータは直ぐ出力されて、早さと正確さ、反応時間と視野などのグラフがプリントアウトされている。

 なかなか結果がよろしいとお褒めの言葉を頂いたが、さらに油断は禁物です安全運転に心掛けましょうと注意を喚起された。

 ここであっさり無罪放免と思いきや、どうぞと進められた椅子に座って、ひまわり隊のデータに基づく年寄りが巻き込まれやすい事件・事故に関する説明を聞くはめになってしまった。

 

 交通に関することは意外とあっさり終わって、一番力を入れて注意を呼びかけられたのは「振り込め詐欺」等に関する事で、最近の館内での事例などを紹介され、その対応要領などについて説明を受けた。

 「被害を受けた方の、ほぼ全ての人が私は大丈夫と思っていたとおっしゃっています」という最後の言葉がなかなかどうして・・。

 途中でマナーモードにしていた携帯が、ブルブル震えていたが話が終わるまで無視していたら、相方の私を探す電話だった。

 「とっくに免許更新は終わったのに、何処を探してもいないし、電話しても出ないし、駐車場の車まで行っても居ないし・・・」の非難の声と、「ひまわり隊が、テストが、反射材が・・・」という言い訳の声が車の中で錯綜する中、家に帰りついた。

 安全運転の見地から言えば、車の中でのこうした会話は注意力をそがれ、よろしくない。

 免許書更新の日にこの有り様では先が思いやられる。

 「ボ~ッとして運転してんじゃねえよ!!」ってか。

 
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掻くほどに益々痒くなる背中

2019-01-11 10:54:35 | 日常あれこれ
 昨日は謡曲の練習日で、いうならば謡い始めの日だった。

 教えを受けている先生から、その日の朝に「都合で出席出来なくなった」と連絡があり生徒ばかりでの謡い始めとなった。

 世話係として窮余の一策で、正月のお目出度いところで、小謡三番の「高砂・四海波・鶴亀」と、「鶴亀」と「大仏供養」全曲を皆で謡った。

 かなり以前に習ったものだが、皆思い出しながらどうにか謡うことが出来た。

 本来なら今回は新しく習い始めた「求塚」の予定だったのだ。

 

 前回の練習日に、先生に謡って貰って収録した音源を、担当がコピーして各人には今回配布した。

 吹き込まれた謡を頼りに、それぞれ自分でも練習が出来るようにしている。

 高齢の先生やその奥様が体調が悪く来られないという事態はこれまで何度かあった。

 その頻度が上がるにつけ皆の頭のどこかには、この会の存続の問題までが口の端に上ることも多くなった。

 習う方の高齢化や、後に続く者が少ないという問題は言われて久しいが、教える側の問題はそれ以上に深刻である。

 いま一つの趣味である川柳の会も、高齢化に若い人達の入会が追いつかない。

 どの分野にも憂いや危惧は横たわっているものだとつくづく思う。

 そうした折りに、川柳仲間から紹介された川柳の月刊誌がなかなか面白く興味が持てた。

 

 昨年9月から購読を始めた川柳誌だが、古川柳から前衛句まで新旧混交のユニークな雑誌である。

 あらゆるニーズに応えようと、かなり無理してごちゃごちゃ詰め込んだ感もするが、それがかえって面白い。

 謡曲も川柳も今活躍している人達の殆どは、30代40代で始めている。

 時が流れ時代が変わり、後ろが付いて来ないまま、先頭から年老いて戦線を離脱していく構図である。

 「掻くほどに益々痒くなる背中」

 諦めが肝心なのか・・・。

 
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