ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

親が自分に求めたもの(自分語り)

2016-01-23 23:47:20 | Weblog
初めて自分が小説を書いたのは「肉体を盗んだ魂」だと思っていました。しかし、その遥か昔、小学生の頃に、短編ともいえぬほど短い、ノンフィクション風のフィクションを書いたことを思い出しました。本もろくに読まないくせにね(笑)

なぜ、この記憶が心の奥底に沈んでいたのか?おそらく親に褒められなかったからだと思います。たぶん、母親にでしょうね。書いたものを見せたんです。そうしたら「こんなもの、お前に書けるはずがない」と機嫌を悪くしたんです。そして「丸写ししたに違いない」と今で言うコピペ扱い(笑)する訳です。この年頃の文章にしては、まとまりがあるぐらいのレベルだったと思うんですけどね。

将棋で大人たちを負かしたりしても褒めてはくれなかった。その代わり、通知表やテストの点が良かったり、部活で賞状を貰ってきたりすると喜んでくれるのです。

大人になってわかるのですが、親が自分に求めていたのははみ出した才能ではなく、もっと常識内のできの良い子、理想は秀才だったんだと思います。その証拠に私の名前には「秀」という字が入っています(笑)自分もそれに合わせようとするんですが、これが非情に難しい。

親は言いませんが、自分は本来、左利きだったと思います。最初に変だなと思ったのは、僕は走り幅跳びを右足で踏み切るのですが、他のクラスメイトは左足で踏み切るんです。今は字も右で下手なりに書き、箸も右ですが、歯ブラシは左手に持って磨きますね。

学校にしても家庭にしても、昭和の画一化の教育は、自分のような変わり者には合っていなかったと思います。今はそうした教育が残ってはいても、随分、型にはめないで育てる文化が育ちつつあるように見えます。自分のような変わり者の子も、生きやすくなってきているんでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする