ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(3)

2017-05-10 21:33:56 | Weblog
この対局の帰り道、私はひとり、ゲームセンターに立ち寄った。弱まったものの、まだ分厚い灰色の雲から、野太い雨が降っていた。どうしても、気持ちのもやもやが消えない。苛立ちをゲームで解消しようとした。その最中、2人組の男子高校生に声をかけられ、私は逃げるようにゲームセンターを立ち去った。赤い傘、泥のはねた靴下、雨の匂いの中を私は走った。振り返り、誰も追ってこないことを確認すると、今度はふらふらと、まだ慣れぬ都会の街を彷徨った。

午後10時過ぎ、家に戻った。雨上りの星は、空が激しく洗われたためか、澄み渡っていた。

「さおりちゃん、遅かったじゃない。携帯にかけてもつながらないし」
先生の奥さんは心配と怒りが交じり合ったような顔をしていた。
「ごめんなさい」
私は小さく呟き、2階の自室にこもった。

ここは実家ではない。師匠の森村九段の家に下宿しているのだ。部屋のドアを閉めて、好きな音楽を聴く。それとともに、涙が零れ落ちてきた。しばらくして涙が止まると「これからどうしよう」という不安がもたげてきた。ドアをノックする音がする。

「おおい。怒ってないから出てきな。何か食べた方がいいぞ」
師匠の森村の声だ。勝負師とは思えぬ、温かみのある声。私は少し安堵した。怒っていないことにではなく、その声が聞けたことに。先生は私を本当の娘のように可愛がってくれる。私も先生を棋士として、人間として好きだ。尊敬している。今のこの気持ちを先生に話したい。相談したい。一秒でも早く。






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駒花(2)

2017-05-10 07:53:19 | Weblog
対局後、菜緒は涙を流して悔しがった。

「あそこで間違えなければ、私が勝ってたのに」と。だから私は言ってやった。

「そうだね。でもあなたは負けた。二度負けた。一度は勝負で、もう一度は泣いて。泣き虫は嫌い」

私は出来るだけ平坦な口調で、菜緒を見据えた。そうしたら、さらに泣き声まであげ出した。担当のベテラン男性棋士が、慌てて近づいてきて「おいおい、小学生を泣かすなよ」と呆れ顔で私を責める。私はやってられないといった調子で立ち上がり、対局室から出ていった。勝ったにもかかわらず、その場にいるのが辛かった。

確かに私は二度勝った。しかし、ひとつの敗北を感じていた。それは才能。あの子に才能では勝てない。それが意外なほど、はっきりと分かった。決して小さな敗北感ではない。これまでこうした思いをした事はなかった。ましてや年下に。小学生に。あの対局で深く傷ついたのは私だった。


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