ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(18)

2017-05-19 22:00:51 | Weblog
菜緒も同じ思いを抱いていたのだろうか?つまり私をライバルとして見ていたとしたら、それは光栄だ。その雑誌が掲載された直後の研究会で、私に対する態度が変わったように感じた。特に対局の途中で、菜緒が指した手に対して質問した時などは、あからさまに不快な表情で、手の内を隠す言葉を並べた。

その後、2,3回、研究会は開かれたが、8月ごろ「受験生なので」との言葉を残し、菜緒は先生宅を訪れなくなり、この集いは消滅した。確かに菜緒は中学3年なのだ。それでも、この砂上の集まりにも、私にとっては意味があった。菜緒の将棋の内部をかなり理解できたのだ。だから勝てるという訳ではない。むしろ、想像以上の彼女の才能、スケールの大きさを見せ付けられ、菜緒を倒す困難さをより感じている。しかし、それこそ最大の収穫なのだ。並大抵の努力では、私は菜緒に歯が立たなくなるという事が、はっきりと分かったのだ。
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駒花(17)

2017-05-19 08:20:53 | Weblog
初めての研究会からひと月ほどたった。すでに3回、私と菜緒は森村先生宅で顔を合わせた。前回は先生が対局の日で、兄弟子に代役を務めてもらった。、しかしその後、徐々に研究会の存在は薄れていった。

もしかしたら、あの事が原因だったのかもしれない。梅雨が近いのか、雲の重たい日だった。先生があわただしく帰ってきた。私は自室のベッドでくつろいでいたところ、奥さんが「何だか、あの人がさおりちゃん呼んで来い、呼んで来いってうるさくって」と困り顔をしていた。仕方なく、私は先生がいるであろう、一階のリビングへ向かう。

先生は同じ雑誌を並べて、しまりがないというか、およそ勝負師とは思えない顔をしていた。
「おお、さおり」
「先生、どうしたんですか?同じ雑誌ばかり並べて」
将棋専門誌ではなく、一般週刊誌のようだ。
「この人、いよいよ、おかしくなっちゃったみたいなの?」
奥さんが口を挟む。
「いいだろ、この写真」
先生のまなざしは優しかった。その視線の先には私の写真。その上に「天才美少女棋士現る」と恥ずかしくなるような文字が踊っている。
「何で、こんなに。5冊も6冊も」
「静岡のご両親にも送ってあげないと」
「べつに、静岡にだってこの雑誌はあります」
「よく取れてるじゃないか。やっぱり、さおりは色が白くて美人だなあ」
「これモノクロ記事だからじゃないですか?」

そんな写真よりも、私のインタビュー記事が問題だったのかもしれない。普段の取材で「ライバルは?」と聞かれれば、月並みに「自分自身です」と答えていたのだが、ここではその問いに対し、なぜか本音を吐露していた。

「ライバルは矢沢菜緒さんです。彼女は2つ年下ですが、凄く強くて。でも、負けたくありません」






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