(つづき)
「3番 脇山線」の終点のひとつ、福岡市早良区の「椎原」(シイバラやシイバルではなく、シイバ)。
ここから県道入部中原停車場線をどんどん上って行くと、「板屋」にたどりつく。
現在ここ「椎原」からは、早良営業所までの路線が2系統(脇山小~谷経由と、脇山小~西神の原~陽光台経由)運行されているが、いずれも廃止の検討対象となっている。
「椎原」は、かつて取り上げた「曲渕」と同様、脇山線の末端として有名(?)な場所である。
「椎原」と「曲渕」は、福岡都心部までの路線がなくなるときも、福大病院まで延長されるときも、福大病院行きがなくなるときも、いつも一緒であり、仲の良い「兄弟」のような感じがしていた。
「曲渕」には野河内~三瀬方面に向かう昭和バスも走っていたため、西鉄バスの運行本数は長年「椎原」のほうが若干多く、「椎原」のほうが「兄」のようなイメージだったが、近年は「曲渕」のほうがやや「兄」になっている。
兄弟仲睦まじいのは良いことなのだが、廃止の候補にされるときも一緒というのは寂しいものがある。
(つづく)
「3番 脇山線」の終点のひとつ、福岡市早良区の「椎原」(シイバラやシイバルではなく、シイバ)。
ここから県道入部中原停車場線をどんどん上って行くと、「板屋」にたどりつく。
現在ここ「椎原」からは、早良営業所までの路線が2系統(脇山小~谷経由と、脇山小~西神の原~陽光台経由)運行されているが、いずれも廃止の検討対象となっている。
「椎原」は、かつて取り上げた「曲渕」と同様、脇山線の末端として有名(?)な場所である。
「椎原」と「曲渕」は、福岡都心部までの路線がなくなるときも、福大病院まで延長されるときも、福大病院行きがなくなるときも、いつも一緒であり、仲の良い「兄弟」のような感じがしていた。
「曲渕」には野河内~三瀬方面に向かう昭和バスも走っていたため、西鉄バスの運行本数は長年「椎原」のほうが若干多く、「椎原」のほうが「兄」のようなイメージだったが、近年は「曲渕」のほうがやや「兄」になっている。
兄弟仲睦まじいのは良いことなのだが、廃止の候補にされるときも一緒というのは寂しいものがある。
(つづく)
三瀬峠を越えると北山ダム(ほくざんダム)がありますね。北山ダムは、当時福岡から気軽に日帰りで行ける避暑地として人気のあるところでした。ちょうど自家用車が普及し始めた頃で、いち早くクルマを取得した家庭は、北山ダムに避暑に行くということに、わずかな優越感を感じたものではないでしょうか。
しかもただ単に山間に入っていくというだけでなく、湖があり、また「湖畔荘」というモダンな国民宿舎ができたばかりで、都会の避暑地としては条件の備わった場所だったと思います。
当時の油山は、まだ単なる山登りの対象でしかなかったですからね。
後年、他地域出身で学生になり福岡に住み始めた友人に、「彼女と自然の中でデートするのにどこがいいか?」と聞かれて、私はすかさず「それは北山ダムがよかろう。」と答えました。
クルマを持たない彼、どのように行けばよいか、聞いてきたので、「3番のバスに国民宿舎行きのあるけん、それに乗れば行けるやろう。」と答えておいたら、後日、「行ったけど、あれは別の国民宿舎やないか!」と指摘されてしまいました。北山ダムまで行くのは昭和バスで、西鉄は峠を越えず曲渕が終点と知った次第です。
でも友人は、あまり人気のない「早良国民宿舎」で、彼女と二人、人目につかない時間を過ごせたようで、まんざらでもなかったみたいでした。
昭和バスの三瀬越え路線、西鉄の「早良国民宿舎」行き、ともになくなってしまって寂しい限りです。
「早良国民宿舎」は、現在は「国民宿舎」ではなくなり民間の経営に移りましたが、建物自体は昔のままです(もちろん改修はしているようですが)。
2月に家族で一泊してきましたが、やはりとても静かで、一歳の子供を連れて行くにはやや「場違い」でした…。