スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流名人戦&法の効果

2007-03-26 21:45:39 | 将棋
 女流名人戦五番勝負第五局。振駒で挑戦者の中井広恵女流六段が先手となり,相矢倉▲3七銀-△6四角の戦型になりました。常々いっているように相矢倉の将棋というのは僕には難しくて分からない部分が大きいのですが,一般的には,まず先手から攻めて,後手がそれに対してどこかでカウンターから反撃し,激しい攻め合いとなるわけです。この将棋も先手から攻撃を開始したわけですが,後手の矢内理絵子女流名人は,カウンターから攻め合いを目指すというより,どちらかといえばしっかりと受けきるという将棋になりました。これが可能になったのは,おそらく先手の攻めにどこかで無理があったためと思われ,そのために十分に受けてから攻撃に回れば勝てるという形勢になったからだと思うのですが,では先手の攻め方のどこが拙かったカといわれれば僕には分からないです。126手目に,△3三同玉となり,後手玉が上部に脱出できるような形になっている時点では間違いなく後手の勝勢。この後,決めにいく過程では検討陣から評判の悪い手もあったようですが,問題なく押し切ってそのまま後手が勝ちました。一旦は角番に追い詰められはしたものの,そこから連勝で3勝2敗とし,矢内名人の防衛。矢内名人はタイトル防衛はこれが初めてですが,現状では名実ともに女流の第一人者となったといえるのではないかと思います。今後はむしろ先行世代よりも,同世代やもっと若い世代との本格的な争いになっていくのではないでしょうか。なお,独立問題を担当している西村理事の見解から,独立がどういう形で収束するとしても,タイトルそのものについては大きな影響はないと考えてもよさそうです。

 諸個人の自然権を拡大するために形成される共同体において,かえって諸個人の自然権の間で対立なり軋轢なりが生じるとすれば,諸個人が自身の自然権の一部を放棄するような調整が必要であるということになります。それをどのように調整するのかとなったときにスピノザが注目するのは,この対立は,人間が受動的である限りにおいて生じるという点です。こうした受動感情は,それより強大な相反する感情によらなければ抑制できない(第四部定理七)というのがスピノザの考え方です。スピノザの考えでは,一般に法とか道徳といったものは,そうした効果を生み出すためにあるということになります。したがって,たとえばある共同体における法というのは,必ずしも理性的なものではなく,あるいは少なくとも共同体を構成する各人に対して理性的な効果を生じさせるようなものではなく,むしろある種の受動感情,とくに受動感情としての欲望について,それを抑制させるような効果を生み出すものであるということになります。これはたとえば,刑罰に対する恐怖の感情が,その刑罰の対象となる行為に対する欲望を抑制させるというようなことと考えていいでしょう。人間は受動的であるということからは逃れられないわけですから,ここには確かに法の効果というものがあるというのがスピノザの考え方だと僕は理解しています。
コメント (4)
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