第5期女流王座戦五番勝負第四局。
加藤桃子女流王座の先手で伊藤沙恵女流二段のうそ矢倉。この将棋はたぶん先手が序盤でしくじっていて,後手が8筋不突きを生かして中飛車に回り,3筋も絡めてと金を作ったところでは後手がリードしていたと思います。ただ,後手は決定打を放てず徐々に混戦に。
先手がただのところに歩を打った局面。この後の展開から分かりますが,ここは△4八とと指すほかなかったのではないでしょうか。
実戦は△4九同飛成と取りました。先手は▲5三角と王手銀取りを掛け,△2一玉に▲5一飛の王手も決めて△3一歩に▲3五角成と銀を取りました。これは角にもヒモをつける一石二鳥の手になっています。第1図で△4八とであれば銀にヒモがつくのでこの手はありませんでした。
第1図で歩を取ればおそらく第2図までは一本道です。そしてこちらを選んだからには後手はここで△5八桂成と指すのでなくてはなりません。ですがそれは指しきれなかったようで△4二銀▲8一飛成△5九龍▲8八王△6九角と進めました。でもこの順は先手玉を寄せるためには駒が不足していて,先手の勝ち筋に入ったのではないでしょうか。
加藤王座が勝って2勝1敗1持将棋。第五局は25日です。
ほかの書簡もみてみましょう。
書簡四十四はすでに紹介したもので,スピノザがイエレスに対して『神学・政治論』がオランダ語に訳されようとしていることの真偽を確かめ,事実であれば中止するように努力してほしいと要請しているものです。これがこの書簡の冒頭部分で,ですから主題はここにあったといえるでしょう。けれどもこの書簡が掲載されたのは,たぶんその後で政治論について語られているからなのであり,もし前述の要請だけで終っていたとしたら,この書簡は遺稿集から排除されることになったのではないかと僕は推測しています。
書簡五十はイエレスからの質問にスピノザが答えたもの。質問はふたつあったようで,ひとつはスピノザとホッブズの国家論の間にある相違がいかなるものであるかということで,もうひとつは神が「唯一」であるという点と関連します。とくに後者はスピノザの哲学にあっては重要であると僕は考えます。遺稿集に掲載されたイエレスへの書簡のうち,掲載される価値が最も高かったと僕に思えるのはこの書簡です。
書簡八十四が『スピノザ往復書簡集』のうち,宛先が記されていない唯一の書簡です。前に説明したような理由から,僕はこの手紙はイエレスに宛てられたものと解します。なお,この書簡は遺稿集に掲載はされたのですが,書簡として掲載されたのではなく,遺稿集に含まれていた『国家論』の序文のような形で掲載されたとのことです。いってみればこれは,書簡としては掲載する価値は高くはなかったということでしょう。もし編集者たちがそのように判断したのであったとすれば,僕はその判断には同意できます。
このようにみれば分かるように,スピノザからイエレスに宛てられた手紙というのは多種多様です。そしてもしも,イエレスに宛てたということが掲載する価値規準であったとしたら,つまりイエレスに宛てられたということがそれだけで掲載の価値に値すると編集者が判断したのであったとすれば,それが多種多様であることは,その価値判断の是非とは別に理解できるところです。ところが,実際にはそうではなく,編集者によって選別されているのです。
加藤桃子女流王座の先手で伊藤沙恵女流二段のうそ矢倉。この将棋はたぶん先手が序盤でしくじっていて,後手が8筋不突きを生かして中飛車に回り,3筋も絡めてと金を作ったところでは後手がリードしていたと思います。ただ,後手は決定打を放てず徐々に混戦に。
先手がただのところに歩を打った局面。この後の展開から分かりますが,ここは△4八とと指すほかなかったのではないでしょうか。
実戦は△4九同飛成と取りました。先手は▲5三角と王手銀取りを掛け,△2一玉に▲5一飛の王手も決めて△3一歩に▲3五角成と銀を取りました。これは角にもヒモをつける一石二鳥の手になっています。第1図で△4八とであれば銀にヒモがつくのでこの手はありませんでした。
第1図で歩を取ればおそらく第2図までは一本道です。そしてこちらを選んだからには後手はここで△5八桂成と指すのでなくてはなりません。ですがそれは指しきれなかったようで△4二銀▲8一飛成△5九龍▲8八王△6九角と進めました。でもこの順は先手玉を寄せるためには駒が不足していて,先手の勝ち筋に入ったのではないでしょうか。
加藤王座が勝って2勝1敗1持将棋。第五局は25日です。
ほかの書簡もみてみましょう。
書簡四十四はすでに紹介したもので,スピノザがイエレスに対して『神学・政治論』がオランダ語に訳されようとしていることの真偽を確かめ,事実であれば中止するように努力してほしいと要請しているものです。これがこの書簡の冒頭部分で,ですから主題はここにあったといえるでしょう。けれどもこの書簡が掲載されたのは,たぶんその後で政治論について語られているからなのであり,もし前述の要請だけで終っていたとしたら,この書簡は遺稿集から排除されることになったのではないかと僕は推測しています。
書簡五十はイエレスからの質問にスピノザが答えたもの。質問はふたつあったようで,ひとつはスピノザとホッブズの国家論の間にある相違がいかなるものであるかということで,もうひとつは神が「唯一」であるという点と関連します。とくに後者はスピノザの哲学にあっては重要であると僕は考えます。遺稿集に掲載されたイエレスへの書簡のうち,掲載される価値が最も高かったと僕に思えるのはこの書簡です。
書簡八十四が『スピノザ往復書簡集』のうち,宛先が記されていない唯一の書簡です。前に説明したような理由から,僕はこの手紙はイエレスに宛てられたものと解します。なお,この書簡は遺稿集に掲載はされたのですが,書簡として掲載されたのではなく,遺稿集に含まれていた『国家論』の序文のような形で掲載されたとのことです。いってみればこれは,書簡としては掲載する価値は高くはなかったということでしょう。もし編集者たちがそのように判断したのであったとすれば,僕はその判断には同意できます。
このようにみれば分かるように,スピノザからイエレスに宛てられた手紙というのは多種多様です。そしてもしも,イエレスに宛てたということが掲載する価値規準であったとしたら,つまりイエレスに宛てられたということがそれだけで掲載の価値に値すると編集者が判断したのであったとすれば,それが多種多様であることは,その価値判断の是非とは別に理解できるところです。ところが,実際にはそうではなく,編集者によって選別されているのです。