JBCレディスクラシックを勝ったホワイトフーガは,世界的に名馬が続出している一族です。遡るほど多くの馬が出てきてしまいますので,ここではホワイトフーガの4代母であるGlorious Songから続く一族だけ詳しく紹介しておきます。ファミリーナンバーは12-c。
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まずGlorious Songの近親に日本競馬に縁が深い種牡馬が4頭います。全弟にタイキシャトルの父であるDevil's Bag,2番仔がメイセイオペラの父であるグランドオペラ,3番仔に日本で重賞勝ち馬を3頭出したRahy,8番仔に1996年に競走馬として来日してジャパンカップを勝ち,アサクサデンエンの父になったSingspielです。Singspiel産駒で重賞を4勝して種牡馬になったローエングリンは2013年の皐月賞を勝った現役のロゴタイプを出しました。
6番仔の産駒のハルーワソングは繁殖牝馬として輸入されました。産駒に2011年のラジオNIKKEI賞を勝ったフレールジャックと昨年の中日新聞杯と新潟記念を勝っている現役のマーティンボロ。孫には2012年のクイーンカップ,2013年と2014年のヴィクトリアマイルを連覇したヴィルシーナがいます。
9番仔の産駒のドバイソプラノも繁殖牝馬として輸入。この馬がホワイトフーガの祖母になります。
最後の産駒がシャンソネットでこの馬はGlorious Songの直仔としては繁殖牝馬として輸入された唯一の馬。1頭の産駒しか残せなかったのですが,それが2010年にNHKマイルカップを勝ったダノンシャンティです。
もう少し広く辿るとグラスワンダーなども同じ一族。この牝系からはまだまだ多くの活躍馬が出てくるでしょう。
ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizからスピノザへの書簡は,世間では多方面にわたるスピノザの才能が称えられていて,ライプニッツ自身は光学においても優秀な知識を有していると承知しているという主旨の一文で始まっています。これを読むとスピノザが光学に優秀な知識を有していると知っているのはライプニッツだけと解することも可能です。ライプニッツはスピノザの友人であるシュラーGeorg Hermann Schullerと以前から通じていたのですから,単に文章だけでなく,史実の面からもこの読解が可能だといわなければならないでしょう。ですが僕はそうではないと思います。むしろ光学も,称えられているとライプニッツがいった多方面にわたる才能のひとつであったと解します。
なぜなら,僕はこの手紙が送られた時点では,ライプニッツはスピノザがどのような人物であるのかを概ね知っていたのに対し,スピノザはライプニッツのことをそうは知らなかったと思うからです。この書簡によってライプニッツを初めて知ったという可能性もあると思います。というのは後にチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがシュラーを介して『エチカ』の草稿をライプニッツに読ませることの可否を問うた書簡への返信に,スピノザはライプニッツというのはこの手紙を送ったのと同一人物だろうという主旨のことをいっているからです。それ以前に知っていたのなら,別の書き方をしたと思います。これらは僕の推測でしかありませんが,たぶん正しいと思います。
だとすると,ライプニッツが自身の光学の論文の講評を,自分のことをよくは知らないであろうスピノザに求め,さらにスピノザを介してフッデJohann Huddeの講評も得ようとするのに,単にライプニッツだけがスピノザが光学の有識者であると知っているだけでは不十分だと考えます。その場合にはスピノザの方がなぜライプニッツがそれを知っているのかを不思議に感じてしまうからです。でもスピノザは返信の方で,そのようなことは何も問うていません。そしてそのことが意味しているのは,光学の有識者であることが世間に知られているということを,スピノザ自身が自覚していたからだと思います。これを前提にしないと,このやり取りは成立しないというのが僕の考えです。
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まずGlorious Songの近親に日本競馬に縁が深い種牡馬が4頭います。全弟にタイキシャトルの父であるDevil's Bag,2番仔がメイセイオペラの父であるグランドオペラ,3番仔に日本で重賞勝ち馬を3頭出したRahy,8番仔に1996年に競走馬として来日してジャパンカップを勝ち,アサクサデンエンの父になったSingspielです。Singspiel産駒で重賞を4勝して種牡馬になったローエングリンは2013年の皐月賞を勝った現役のロゴタイプを出しました。
6番仔の産駒のハルーワソングは繁殖牝馬として輸入されました。産駒に2011年のラジオNIKKEI賞を勝ったフレールジャックと昨年の中日新聞杯と新潟記念を勝っている現役のマーティンボロ。孫には2012年のクイーンカップ,2013年と2014年のヴィクトリアマイルを連覇したヴィルシーナがいます。
9番仔の産駒のドバイソプラノも繁殖牝馬として輸入。この馬がホワイトフーガの祖母になります。
最後の産駒がシャンソネットでこの馬はGlorious Songの直仔としては繁殖牝馬として輸入された唯一の馬。1頭の産駒しか残せなかったのですが,それが2010年にNHKマイルカップを勝ったダノンシャンティです。
もう少し広く辿るとグラスワンダーなども同じ一族。この牝系からはまだまだ多くの活躍馬が出てくるでしょう。
ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizからスピノザへの書簡は,世間では多方面にわたるスピノザの才能が称えられていて,ライプニッツ自身は光学においても優秀な知識を有していると承知しているという主旨の一文で始まっています。これを読むとスピノザが光学に優秀な知識を有していると知っているのはライプニッツだけと解することも可能です。ライプニッツはスピノザの友人であるシュラーGeorg Hermann Schullerと以前から通じていたのですから,単に文章だけでなく,史実の面からもこの読解が可能だといわなければならないでしょう。ですが僕はそうではないと思います。むしろ光学も,称えられているとライプニッツがいった多方面にわたる才能のひとつであったと解します。
なぜなら,僕はこの手紙が送られた時点では,ライプニッツはスピノザがどのような人物であるのかを概ね知っていたのに対し,スピノザはライプニッツのことをそうは知らなかったと思うからです。この書簡によってライプニッツを初めて知ったという可能性もあると思います。というのは後にチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがシュラーを介して『エチカ』の草稿をライプニッツに読ませることの可否を問うた書簡への返信に,スピノザはライプニッツというのはこの手紙を送ったのと同一人物だろうという主旨のことをいっているからです。それ以前に知っていたのなら,別の書き方をしたと思います。これらは僕の推測でしかありませんが,たぶん正しいと思います。
だとすると,ライプニッツが自身の光学の論文の講評を,自分のことをよくは知らないであろうスピノザに求め,さらにスピノザを介してフッデJohann Huddeの講評も得ようとするのに,単にライプニッツだけがスピノザが光学の有識者であると知っているだけでは不十分だと考えます。その場合にはスピノザの方がなぜライプニッツがそれを知っているのかを不思議に感じてしまうからです。でもスピノザは返信の方で,そのようなことは何も問うていません。そしてそのことが意味しているのは,光学の有識者であることが世間に知られているということを,スピノザ自身が自覚していたからだと思います。これを前提にしないと,このやり取りは成立しないというのが僕の考えです。