2015年の中央競馬を締め括る第60回有馬記念。田辺騎手の昨日の負傷が癒えなかったのでダービーフィズは大野騎手に変更。
ゴールドシップは互角の発馬でしたがダッシュがつかず最後尾。好発をきめたのはゴールドアクター。これを外から2頭が交わしていき,逃げたのはキタサンブラック。2番手にリアファル。3番手が控えたゴールドアクターになり,ラブリーデイ,サウンズオブアース,マリアライトの3頭がその後ろに並ぶという隊列。超スローペースになりました。
向正面の半ばからゴールドシップが一気に進出。前にいた馬のうちマリアライトが応戦。ここでリアファルが無抵抗にずるずると後退。ゴールドアクターは内を回り,マリアライトとゴールドシップの直後の形で直線に。粘るキタサンブラックにマリアライトが並び掛けていき,その外に出たのがゴールドアクター。残り100mの手前付近で内の2頭を捕えて先頭。マリアライトとゴールドシップの間に進路を選択していたサウンズオブアースがゴールドアクターのすぐ外から迫りましたが届かず,ゴールドアクターが優勝。サウンズオブアースがクビ差で2着。逃げ粘ったキタサンブラックが4分の3馬身差で3着。
優勝したゴールドアクターは昨年の菊花賞で3着に入った後,体調を崩して今年の夏の条件戦からレースに復帰。連勝してから前走のアルゼンチン共和国杯も勝って3連勝で初重賞制覇。昨年の菊花賞はレベルが高いレースだったこと,デビュー戦以外は大きく負けておらず底を見せていないこと,中山コースに適性を見せていたことなどから,十分に勝つチャンスがある1頭だと考えていました。今日はうまく立ち回ってのクビ差なので,能力的に傑出していたわけではないと思いますが,これからも大きく負けてしまうようなことは考えにくい馬ではないでしょうか。父はスクリーンヒーロー。その父が第43回と44回を連覇したグラスワンダー。

騎乗した吉田隼人騎手はデビューから11年9ヵ月あまりで大レース初制覇。管理している中川公成調教師は開業から10年弱で大レース初制覇。
『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』には,マイエルLodewijk Meyerの著作を批判した人物のひとりにピーテル・セラリウスがいたとされています。畠中はセラリウスについて風変りな人物という形容をしています。セラリウスはアムステルダムで,千年王国論を教義とするクエーカー教徒や,メナセ・ベン・イスラエルMenasseh Ben Israelのようにメシアの再来を信奉するユダヤ人たちと深い関係を構築していて,風変りというのはそのあたりのことを指しているのではないかと推測します。ただ,セラリウス自身はコレギアント派collegiantenでした。哲学的見解は僕には分かりませんが,自由思想に対して不寛容でなかったことだけは確かだったと思います。そのセラリウスにして,マイエルの方法は行き過ぎたデカルト主義だと認識したということです。
マイエルの方はコレギアント派の会合に出席することもあったとはいえ,信仰としてはルター派のプロテスタントであり続けたとみていいように思います。ただ,キリスト教の宗派内の争いには嫌気がさしていました。『聖書解釈としての哲学』は,キリスト教の派閥主義を終焉させる目的で書かれたようです。マイエルの方法は明らかに聖書解釈を理性ratioに従属させていると僕は解しますが,たぶんこの方法はルター派としての信仰と,少なくともマイエル自身にとっては相容れるものだったのでしょう。それをコレギアント派のセラリウスに批判されたのは,マイエルにとって戸惑うような出来事だったと僕は推測します。これはちょうど,スピノザがフェルトホイゼンLambert van Velthuysenのようなデカルト主義者に『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を批判されたときに感じたような戸惑いと同種のものであったのではないでしょうか。
『神学・政治論』は王党派がオランダ政治の実権を握った後,1674年に発売禁止になりました。これと時を同じくして発禁処分を受けた書物があったのですが,そのひとつが『聖書解釈としての哲学』でした。ただ,この件に関しては以下の事情も考慮に入れておかなければなりません。
『神学・政治論』が匿名で出版されていたように,『聖書解釈としての哲学』も匿名での出版だったのです。そして著者がだれであるのかは,あまり知られていなかったようなのです。
ゴールドシップは互角の発馬でしたがダッシュがつかず最後尾。好発をきめたのはゴールドアクター。これを外から2頭が交わしていき,逃げたのはキタサンブラック。2番手にリアファル。3番手が控えたゴールドアクターになり,ラブリーデイ,サウンズオブアース,マリアライトの3頭がその後ろに並ぶという隊列。超スローペースになりました。
向正面の半ばからゴールドシップが一気に進出。前にいた馬のうちマリアライトが応戦。ここでリアファルが無抵抗にずるずると後退。ゴールドアクターは内を回り,マリアライトとゴールドシップの直後の形で直線に。粘るキタサンブラックにマリアライトが並び掛けていき,その外に出たのがゴールドアクター。残り100mの手前付近で内の2頭を捕えて先頭。マリアライトとゴールドシップの間に進路を選択していたサウンズオブアースがゴールドアクターのすぐ外から迫りましたが届かず,ゴールドアクターが優勝。サウンズオブアースがクビ差で2着。逃げ粘ったキタサンブラックが4分の3馬身差で3着。
優勝したゴールドアクターは昨年の菊花賞で3着に入った後,体調を崩して今年の夏の条件戦からレースに復帰。連勝してから前走のアルゼンチン共和国杯も勝って3連勝で初重賞制覇。昨年の菊花賞はレベルが高いレースだったこと,デビュー戦以外は大きく負けておらず底を見せていないこと,中山コースに適性を見せていたことなどから,十分に勝つチャンスがある1頭だと考えていました。今日はうまく立ち回ってのクビ差なので,能力的に傑出していたわけではないと思いますが,これからも大きく負けてしまうようなことは考えにくい馬ではないでしょうか。父はスクリーンヒーロー。その父が第43回と44回を連覇したグラスワンダー。

騎乗した吉田隼人騎手はデビューから11年9ヵ月あまりで大レース初制覇。管理している中川公成調教師は開業から10年弱で大レース初制覇。
『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』には,マイエルLodewijk Meyerの著作を批判した人物のひとりにピーテル・セラリウスがいたとされています。畠中はセラリウスについて風変りな人物という形容をしています。セラリウスはアムステルダムで,千年王国論を教義とするクエーカー教徒や,メナセ・ベン・イスラエルMenasseh Ben Israelのようにメシアの再来を信奉するユダヤ人たちと深い関係を構築していて,風変りというのはそのあたりのことを指しているのではないかと推測します。ただ,セラリウス自身はコレギアント派collegiantenでした。哲学的見解は僕には分かりませんが,自由思想に対して不寛容でなかったことだけは確かだったと思います。そのセラリウスにして,マイエルの方法は行き過ぎたデカルト主義だと認識したということです。
マイエルの方はコレギアント派の会合に出席することもあったとはいえ,信仰としてはルター派のプロテスタントであり続けたとみていいように思います。ただ,キリスト教の宗派内の争いには嫌気がさしていました。『聖書解釈としての哲学』は,キリスト教の派閥主義を終焉させる目的で書かれたようです。マイエルの方法は明らかに聖書解釈を理性ratioに従属させていると僕は解しますが,たぶんこの方法はルター派としての信仰と,少なくともマイエル自身にとっては相容れるものだったのでしょう。それをコレギアント派のセラリウスに批判されたのは,マイエルにとって戸惑うような出来事だったと僕は推測します。これはちょうど,スピノザがフェルトホイゼンLambert van Velthuysenのようなデカルト主義者に『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を批判されたときに感じたような戸惑いと同種のものであったのではないでしょうか。
『神学・政治論』は王党派がオランダ政治の実権を握った後,1674年に発売禁止になりました。これと時を同じくして発禁処分を受けた書物があったのですが,そのひとつが『聖書解釈としての哲学』でした。ただ,この件に関しては以下の事情も考慮に入れておかなければなりません。
『神学・政治論』が匿名で出版されていたように,『聖書解釈としての哲学』も匿名での出版だったのです。そして著者がだれであるのかは,あまり知られていなかったようなのです。