ハンデ差が結果に影響を与えるのかどうかが注目だった第61回クイーン賞。
先手を奪ったのはノットオーソリティ。徐々に進出していったディアマイダーリンが2番手に。控える形になったトロワボヌールが3番手。この後ろはやや離れてツリーハウスとセイカフォルトゥナが追走という隊列に。最初の800mは49秒7のミドルペース。
3コーナーを回るとトロワボヌールは手綱を動かしながらの追走に。4コーナーでノットオーソリティとディアマイダーリンの差は1馬身くらい。直線はノットオーソリティの外に出したディアマイダーリンと最内を突いたトロワボヌールの3頭の叩き合いに。外のディアマイダーリンが優勝。内からしぶとく脚を伸ばしたトロワボヌールがクビ差で2着。ノットオーソリティは力尽きて4分の3馬身差の3着。
優勝したディアマイダーリンは重賞初勝利。芝の3歳牝馬重賞で3着と2着があり,クラシック路線に乗った馬ですから力があったのは確か。ただここがダート初出走でしたので僕はそれを懸念していました。結果からみるとそれは杞憂であったということでしょう。とはいえスムーズな競馬になったのが味方したといえなくもなく,砂を被るような展開になった場合の課題はまだ残っているともいえそうです。今日のところは2着馬との斤量差も大きく,トップクラスまでいったとは断定できませんが,まだ3歳ですからそこまでいく可能性は大いにあると思います。父はハーツクライ。従兄にゴールドアリュール。
騎乗した横山典弘騎手,管理している菊沢隆徳調教師はクイーン賞初勝利。
スピノザに宛てられた書簡に関していえば,遺稿集Opera Posthumaの編集者たちがどこに掲載の価値を求めたかということのヒントになる事例がすでにありました。それはアルベルトAlbert Burghからの手紙とステノNicola Stenoからの手紙への扱いの差です。編集者たちは前者だけを遺稿集に掲載し,後者は排除しました。ふたつの手紙をそれ自体で比較したならば,価値が高いのは後者であると僕は判断しますし,この見解はほとんどの人に受け入れられるだろうと思います。なのに編集者が遺稿集への掲載にあたって逆の判断を下したのは,スピノザはアルベルトには返事を書いたけれどもステノには書かなかったからに違いありません。スピノザの返事の内容をよく理解できるようにするために,書簡六十七も掲載する価値があったのです。
スピノザの返信は書簡七十六で,これは哲学的にも神学的にも多くの内容を含みます。ですから編集者たちが掲載する価値があるとみなして何ら不思議はありません。ですがイエレスJarig Jellesに宛てた書簡三十九というのは,哲学また神学的内容をまったく含みません。つまりそうした観点から掲載する価値があると編集者が判断したのではないのです。強いていえばこの書簡はデカルトの光線屈折学に関する言及があり,それに対してスピノザのなぜデカルトが誤謬を犯したかということの推測が含まれています。いい換えればデカルトへの言及が含まれているのですが,そうはいっても思想とは無関係だというべきでしょう。
さらにこの書簡には不思議な部分があります。これは明らかにイエレスからの書簡への返答なのです。したがってアルベルトからの書簡に掲載する価値が見出せたのと同じ理由で,イエレスの質問の書簡も掲載する価値があった筈なのです。ところがそれは掲載されていません。さらにこの書簡に対してイエレスはさらに詳しい説明を求める書簡を送り,次の書簡四十でスピノザはそれに答えているのですが,その書簡も掲載されていないのです。スピノザはすべての書簡を保存していました。さらにイエレス自身が編集者であったことを考えると,こういう処置は非常に不思議に感じられます。なぜこうしたことになったのでしょうか。
先手を奪ったのはノットオーソリティ。徐々に進出していったディアマイダーリンが2番手に。控える形になったトロワボヌールが3番手。この後ろはやや離れてツリーハウスとセイカフォルトゥナが追走という隊列に。最初の800mは49秒7のミドルペース。
3コーナーを回るとトロワボヌールは手綱を動かしながらの追走に。4コーナーでノットオーソリティとディアマイダーリンの差は1馬身くらい。直線はノットオーソリティの外に出したディアマイダーリンと最内を突いたトロワボヌールの3頭の叩き合いに。外のディアマイダーリンが優勝。内からしぶとく脚を伸ばしたトロワボヌールがクビ差で2着。ノットオーソリティは力尽きて4分の3馬身差の3着。
優勝したディアマイダーリンは重賞初勝利。芝の3歳牝馬重賞で3着と2着があり,クラシック路線に乗った馬ですから力があったのは確か。ただここがダート初出走でしたので僕はそれを懸念していました。結果からみるとそれは杞憂であったということでしょう。とはいえスムーズな競馬になったのが味方したといえなくもなく,砂を被るような展開になった場合の課題はまだ残っているともいえそうです。今日のところは2着馬との斤量差も大きく,トップクラスまでいったとは断定できませんが,まだ3歳ですからそこまでいく可能性は大いにあると思います。父はハーツクライ。従兄にゴールドアリュール。
騎乗した横山典弘騎手,管理している菊沢隆徳調教師はクイーン賞初勝利。
スピノザに宛てられた書簡に関していえば,遺稿集Opera Posthumaの編集者たちがどこに掲載の価値を求めたかということのヒントになる事例がすでにありました。それはアルベルトAlbert Burghからの手紙とステノNicola Stenoからの手紙への扱いの差です。編集者たちは前者だけを遺稿集に掲載し,後者は排除しました。ふたつの手紙をそれ自体で比較したならば,価値が高いのは後者であると僕は判断しますし,この見解はほとんどの人に受け入れられるだろうと思います。なのに編集者が遺稿集への掲載にあたって逆の判断を下したのは,スピノザはアルベルトには返事を書いたけれどもステノには書かなかったからに違いありません。スピノザの返事の内容をよく理解できるようにするために,書簡六十七も掲載する価値があったのです。
スピノザの返信は書簡七十六で,これは哲学的にも神学的にも多くの内容を含みます。ですから編集者たちが掲載する価値があるとみなして何ら不思議はありません。ですがイエレスJarig Jellesに宛てた書簡三十九というのは,哲学また神学的内容をまったく含みません。つまりそうした観点から掲載する価値があると編集者が判断したのではないのです。強いていえばこの書簡はデカルトの光線屈折学に関する言及があり,それに対してスピノザのなぜデカルトが誤謬を犯したかということの推測が含まれています。いい換えればデカルトへの言及が含まれているのですが,そうはいっても思想とは無関係だというべきでしょう。
さらにこの書簡には不思議な部分があります。これは明らかにイエレスからの書簡への返答なのです。したがってアルベルトからの書簡に掲載する価値が見出せたのと同じ理由で,イエレスの質問の書簡も掲載する価値があった筈なのです。ところがそれは掲載されていません。さらにこの書簡に対してイエレスはさらに詳しい説明を求める書簡を送り,次の書簡四十でスピノザはそれに答えているのですが,その書簡も掲載されていないのです。スピノザはすべての書簡を保存していました。さらにイエレス自身が編集者であったことを考えると,こういう処置は非常に不思議に感じられます。なぜこうしたことになったのでしょうか。