6日に国立科学博物館で指された第1回叡王戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は郷田真隆九段が8勝,山崎隆之八段が3勝。
棋戦名の発案者による振駒で山崎八段の先手。相掛かりに進み先手引き飛車,後手浮き飛車。戦いの途中まで均衡が保たれていましたが,先手が欲張りすぎたために形勢を損ねてしまったようです。ただ,後手が受けに回って勝つ指し方をしたので,もつれていきました。
先手が7二の成桂を入った局面。この直前に後手は攻め合って勝つべき手順を逃していて,それまでより危険な状況に陥っています。ここで△8五歩で香車を取りにいきましたが,ここでこのように指すならやはりもっと早い段階で攻め合うべきだったでしょう。
▲5一角△3二王▲9五角成△同香▲5二飛△3三王までは一本道でしょう。先手は駒が足りませんから▲6二成桂と引いて取りにいきました。
後手は△3八角から攻めていきましたが,この手はもしかしたら疑問だったのかもしれません。というのは▲3六金と桂馬の方を外されてしまったからです。ここで△同歩と取ったのは普通の手ですが,たぶん単に△4七角成の方がよかったのではないでしょうか。でもこれは普通ではないので,金を取り返せない手順に進めたことの方が問題であるように感じます。
実戦は金を取り返したので先手も▲6三成桂と取って△4七角成に▲5八金と打てました。
これで後手が攻め合って勝つのは困難になり,どうやら逆転しているようです。
山崎八段が先勝。第二局は13日に指されました。
もうひとつの理由は以下のようなものです。
編集者たちが遺稿をどうするか相談した場合,実際に可能なのは,何もせずに処分してしまうか,遺稿集として刊行するか,そうでなければ遺稿自体をだれかに売ってしまうかのどれかであったと思うのです。そしてこの第三の場合というのは,実際に検討されていたと史実からは推定できます。すでに説明したように,シュラーはライプニッツに対して,『エチカ』の原稿を買わないかという打診をしているからです。
『宮廷人と異端者』では,これはシュラーが金儲けを企んで,できもしないことを打診したのだというようになっています。僕もそうである可能性は否定しません。原稿はリューウェルツの手元にあり,おそらくリューウェルツが最初に相談したのもイエレスであったと推測できるからです。ですがこれは編集者たちの相談のときに話が出て,ライプニッツはその買い手になり得るから,おそらく編集者の中で最もライプニッツと親しかったシュラーが編集者を代表して打診したと解せなくはありません。
ライプニッツが返事をしないうちに,シュラーは遺稿を刊行することが決定したからその申し出はなかったことにしてほしいという手紙を送りました。つまりその間に話し合いが進展して,遺稿集の出版が編集者たちの間で最終的に決定されたとみれば,これらのライプニッツ宛の書簡が出されたことも合理的に説明できます。スチュアートは故意にシュラーを悪く書いているような印象がありますから,こちらの推測の方が史実に近いとみることは明らかに可能だと思います。そしてそうであるならば,少なくとも遺稿をどう扱うかということに関しての合議に,シュラーは参加していたということになるでしょう。そしてこの場合には,シュラーだけでなく,ほかの編集者たちも参加していたと考えるのが妥当だと思います。
遺稿集として出版するという決定は,スピノザの意に沿ったものだったと僕は思っています。スピノザが送り先として,親友たちの中からリューウェルツを指名したのは,彼が出版者だったからであり,それはつまり公開されることを望んでいたからだと思うからです。
棋戦名の発案者による振駒で山崎八段の先手。相掛かりに進み先手引き飛車,後手浮き飛車。戦いの途中まで均衡が保たれていましたが,先手が欲張りすぎたために形勢を損ねてしまったようです。ただ,後手が受けに回って勝つ指し方をしたので,もつれていきました。
先手が7二の成桂を入った局面。この直前に後手は攻め合って勝つべき手順を逃していて,それまでより危険な状況に陥っています。ここで△8五歩で香車を取りにいきましたが,ここでこのように指すならやはりもっと早い段階で攻め合うべきだったでしょう。
▲5一角△3二王▲9五角成△同香▲5二飛△3三王までは一本道でしょう。先手は駒が足りませんから▲6二成桂と引いて取りにいきました。
後手は△3八角から攻めていきましたが,この手はもしかしたら疑問だったのかもしれません。というのは▲3六金と桂馬の方を外されてしまったからです。ここで△同歩と取ったのは普通の手ですが,たぶん単に△4七角成の方がよかったのではないでしょうか。でもこれは普通ではないので,金を取り返せない手順に進めたことの方が問題であるように感じます。
実戦は金を取り返したので先手も▲6三成桂と取って△4七角成に▲5八金と打てました。
これで後手が攻め合って勝つのは困難になり,どうやら逆転しているようです。
山崎八段が先勝。第二局は13日に指されました。
もうひとつの理由は以下のようなものです。
編集者たちが遺稿をどうするか相談した場合,実際に可能なのは,何もせずに処分してしまうか,遺稿集として刊行するか,そうでなければ遺稿自体をだれかに売ってしまうかのどれかであったと思うのです。そしてこの第三の場合というのは,実際に検討されていたと史実からは推定できます。すでに説明したように,シュラーはライプニッツに対して,『エチカ』の原稿を買わないかという打診をしているからです。
『宮廷人と異端者』では,これはシュラーが金儲けを企んで,できもしないことを打診したのだというようになっています。僕もそうである可能性は否定しません。原稿はリューウェルツの手元にあり,おそらくリューウェルツが最初に相談したのもイエレスであったと推測できるからです。ですがこれは編集者たちの相談のときに話が出て,ライプニッツはその買い手になり得るから,おそらく編集者の中で最もライプニッツと親しかったシュラーが編集者を代表して打診したと解せなくはありません。
ライプニッツが返事をしないうちに,シュラーは遺稿を刊行することが決定したからその申し出はなかったことにしてほしいという手紙を送りました。つまりその間に話し合いが進展して,遺稿集の出版が編集者たちの間で最終的に決定されたとみれば,これらのライプニッツ宛の書簡が出されたことも合理的に説明できます。スチュアートは故意にシュラーを悪く書いているような印象がありますから,こちらの推測の方が史実に近いとみることは明らかに可能だと思います。そしてそうであるならば,少なくとも遺稿をどう扱うかということに関しての合議に,シュラーは参加していたということになるでしょう。そしてこの場合には,シュラーだけでなく,ほかの編集者たちも参加していたと考えるのが妥当だと思います。
遺稿集として出版するという決定は,スピノザの意に沿ったものだったと僕は思っています。スピノザが送り先として,親友たちの中からリューウェルツを指名したのは,彼が出版者だったからであり,それはつまり公開されることを望んでいたからだと思うからです。