ちょっとハンデの差が大きすぎやしないかと感じた第15回兵庫ゴールドトロフィー。ラブバレットが出走取消で11頭。
思いのほか前に行こうとする馬がなく,押し出されるような形から最内のルックスザットキルの逃げに。発走後はエイシンゴージャスとドリームコンサートが並んでいましたが,最初のコーナーを回ったあたりからドリームコンサートが単独の2番手に。向正面に入るとエイシンゴージャスの外にポアゾンブラックが並んで3番手は併走。ドリームバレンチノが外を追い上げていきました。3コーナーを回るとルックスザットキル,ポアゾンブラック,ドリームバレンチノの3頭は雁行。ドリームコンサート,ジャジャウマナラシ,レーザーバレットがその後ろで一団に。ミドルペースだったのではないかと思います。
ポアゾンブラックはルックスザットキルを競り落としましたが,大外のドリームバレンチノの方が先頭に。ドリームコンサートとドリームバレンチノの間を割ったレーザーバレットがさらにドリームバレンチノを差し切って優勝。ドリームバレンチノが4分の3馬身差で2着。ドリームコンサートの追撃を凌いだポアゾンブラックが1馬身半差で3着。ドリームコンサートはクビ差の4着。
優勝したレーザーバレットは前々走のオーバルスプリント以来の重賞2勝目。ラブバレットが取消になったので,近況と斤量から最有力候補と考えました。道中の位置としてはあれでよかったのかどうか微妙ですが,うまく捌いてこられましたので結果は出ることに。ただ,今日のレースぶりからするとトップクラスとは差がある印象で,これくらいのメンバーの重賞で勝利数を増やしていくことになるのではないかと思えました。伯父に1997年の中日スポーツ賞4歳ステークスを勝ったオープニングテーマ。Laser Bulletはレーザー銃弾。
騎乗した戸崎圭太騎手と管理している萩原清調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。
スピノザとの文通があり,遺稿集Opera Posthumaの編集者にもなった人物で,イエレスJarig Jellesと同じように自著があった人物に,ロデウェイク・マイエルLodewijk Meyerがいます。コレルスJohannes Colerusの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaではスピノザの死を看取った医師としてイニシャルで記述されている人物です。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』ではこちらの説が蓋然性が高いような記述になっていて,しかしコレルスが指摘するような窃盗があったわけではなく,それは遺品の整理であったのだと推測されています。ただ,ナドラーSteven Nadlerも実際にスピノザの死を看取った医師がシュラーGeorg Hermann Schullerだったという説も完全に否定しているわけではありません。シュラー自身がそう証言しているので,僕はそちらの方が真実ではなかったかと思っています。
畠中によれば,マイエルはスピノザの親友の中では最も学問的に優れていたとされています。ルター派のプロテスタントでしたが,コレギアント派collegiantenの会合にも出席していたとのことで,おそらくその関係でスピノザと知り合ったものと思われます。デカルトRené Descartesの哲学に深い造詣があり,スピノザに『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の出版を勧めたのはマイエルだとされています。少なくともその序文はマイエルが書いていますので,それ以前の段階で親友といえる間柄になっていたのは間違いありません。なおかつこの序文には,あくまでもこれはスピノザによるデカルトの哲学の注解なのであって,スピノザの考え方とは異なるという主旨のことが書かれています。したがって出版された1663年の時点で,マイエルはスピノザの哲学とデカルトの哲学の相違についても明瞭に理解していたといえます。
マイエルの著書は『聖書の解釈者としての哲学Philosophia S. Scripturae Interpres』というものです。僕はこれは読んだことがないのですが,畠中が説明している内容から察する限り,スピノザが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』においては批判しているような方法で聖書を解釈しようとしたものです。このことが原因で,スピノザの晩年にはふたりの友情は冷却したのだという説があるそうですが,僕はその説には否定的です。マイエルが遺稿集の編集者であったことは確定できる史実であって,もし友情関係が崩れていたのだとすれば,それはあり得ないと考えるからです。
思いのほか前に行こうとする馬がなく,押し出されるような形から最内のルックスザットキルの逃げに。発走後はエイシンゴージャスとドリームコンサートが並んでいましたが,最初のコーナーを回ったあたりからドリームコンサートが単独の2番手に。向正面に入るとエイシンゴージャスの外にポアゾンブラックが並んで3番手は併走。ドリームバレンチノが外を追い上げていきました。3コーナーを回るとルックスザットキル,ポアゾンブラック,ドリームバレンチノの3頭は雁行。ドリームコンサート,ジャジャウマナラシ,レーザーバレットがその後ろで一団に。ミドルペースだったのではないかと思います。
ポアゾンブラックはルックスザットキルを競り落としましたが,大外のドリームバレンチノの方が先頭に。ドリームコンサートとドリームバレンチノの間を割ったレーザーバレットがさらにドリームバレンチノを差し切って優勝。ドリームバレンチノが4分の3馬身差で2着。ドリームコンサートの追撃を凌いだポアゾンブラックが1馬身半差で3着。ドリームコンサートはクビ差の4着。
優勝したレーザーバレットは前々走のオーバルスプリント以来の重賞2勝目。ラブバレットが取消になったので,近況と斤量から最有力候補と考えました。道中の位置としてはあれでよかったのかどうか微妙ですが,うまく捌いてこられましたので結果は出ることに。ただ,今日のレースぶりからするとトップクラスとは差がある印象で,これくらいのメンバーの重賞で勝利数を増やしていくことになるのではないかと思えました。伯父に1997年の中日スポーツ賞4歳ステークスを勝ったオープニングテーマ。Laser Bulletはレーザー銃弾。
騎乗した戸崎圭太騎手と管理している萩原清調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。
スピノザとの文通があり,遺稿集Opera Posthumaの編集者にもなった人物で,イエレスJarig Jellesと同じように自著があった人物に,ロデウェイク・マイエルLodewijk Meyerがいます。コレルスJohannes Colerusの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaではスピノザの死を看取った医師としてイニシャルで記述されている人物です。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』ではこちらの説が蓋然性が高いような記述になっていて,しかしコレルスが指摘するような窃盗があったわけではなく,それは遺品の整理であったのだと推測されています。ただ,ナドラーSteven Nadlerも実際にスピノザの死を看取った医師がシュラーGeorg Hermann Schullerだったという説も完全に否定しているわけではありません。シュラー自身がそう証言しているので,僕はそちらの方が真実ではなかったかと思っています。
畠中によれば,マイエルはスピノザの親友の中では最も学問的に優れていたとされています。ルター派のプロテスタントでしたが,コレギアント派collegiantenの会合にも出席していたとのことで,おそらくその関係でスピノザと知り合ったものと思われます。デカルトRené Descartesの哲学に深い造詣があり,スピノザに『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の出版を勧めたのはマイエルだとされています。少なくともその序文はマイエルが書いていますので,それ以前の段階で親友といえる間柄になっていたのは間違いありません。なおかつこの序文には,あくまでもこれはスピノザによるデカルトの哲学の注解なのであって,スピノザの考え方とは異なるという主旨のことが書かれています。したがって出版された1663年の時点で,マイエルはスピノザの哲学とデカルトの哲学の相違についても明瞭に理解していたといえます。
マイエルの著書は『聖書の解釈者としての哲学Philosophia S. Scripturae Interpres』というものです。僕はこれは読んだことがないのですが,畠中が説明している内容から察する限り,スピノザが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』においては批判しているような方法で聖書を解釈しようとしたものです。このことが原因で,スピノザの晩年にはふたりの友情は冷却したのだという説があるそうですが,僕はその説には否定的です。マイエルが遺稿集の編集者であったことは確定できる史実であって,もし友情関係が崩れていたのだとすれば,それはあり得ないと考えるからです。