スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典阪神ジュベナイルフィリーズ&リューウェルツ

2015-12-13 19:17:55 | 中央競馬
 2歳牝馬チャンピオンを決定する第67回阪神ジュベナイルフィリーズ
 抜群の発馬だったのがメジャーエンブレム。しばらく先頭を走りましたが,キリシマオジョウとメジェルダの2頭が追い抜いていき3番手に。この後ろはごった返していましたが,クードラパンとジェントルハート。さらにクロコスミア,ペプチドサブル,ブランボヌール,ウインファビュラス,キャンディバローズ,デンコウアンジュといった馬たちが一団で追走。最初の800mは46秒9のミドルペース。
 キリシマオジョウは3コーナー通過後,騎手が馬を御しきれなくなって後退。メジャーエンブレムとメジェルダが並んで直線に。メジャーエンブレムは手応えに余裕があり,直線に入ってから突き放すと,後続から迫られる場面もなく,2馬身の差をつけて優勝。メジェルダは掛かっていたので苦しくなり,その外を追ったキャンディバローズ,デンコウアンジュ,ウインファビュラスの3頭の中からウインファビュラスが抜けて2着。道中で一旦は位置を下げてしまい苦しくなったブランボヌールが何とか伸びて1馬身4分の1差の3着。
 優勝したメジャーエンブレムは新馬,特別と連勝後,前哨戦のアルテミスステークスは2着。とはいえそれがかなり強い内容でしたのでここは人気に推されていました。今日は枠順にも恵まれましたが圧勝といえる内容。このレースは人気になって勝った馬は大成するケースが多く,将来的にも期待がもてるでしょう。ただ,今までのレースぶりから見る限り,距離には限界があるように感じます。父はダイワメジャー
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は7月のジャパンダートダービー以来の大レース制覇。阪神ジュベナイルフィリーズは初勝利。管理している田村康仁調教師は開業から17年半強で大レース初勝利。

 ハルマンが訪ねた出版者はリューウェルツです。スピノザの無二の親友と書かれています。彼はスピノザに会ったことがありましたし,人間的に敬愛し,思想的に共鳴していたのも報告から間違いありません。親友であったのは事実でしょうが,無二といえるかは微妙です。それにスピノザの人生においてより重要なのは,この出版者の父であるリューウェルツJan Rieuwertszの方です。この父子は名前も同じなので表記を分けるのは難しいのですが,ここでの約束事として,これ以降,僕が単にリューウェルツと記したらそれは父の方を示し,ハルマンが会った息子の方はリューウェルツゾーンと書くことにします。
 この時代のオランダ人の苗字で,○○ゾーンというのは○○の息子という意味を有します。なので僕がリューウェルツと表記するとした父の方も,いくつかの著作ではリューウェルツゾーンと表記されています。また,『ある哲学者の人生』では,イエレスJarig Jellesのことがイエレスゾーンと表記されています。僕はそこに意味があるとは思わないので,原則的に○○ゾーンと表記される苗字は○○とだけ示すことにしています。スピノザの親友である出版者については,おそらくこの父子しか言及することはないでしょう。父をリューウェルツ,子をリューウェルツゾーンと表記するのはこれらすべての理由からです。
                                  
 リューウェルツは1616年産まれですから,スピノザより16ほど年長だったことになります。スピノザとの出会いについては,ナドラーSteven Nadlerはふたつの可能性を示しています。ひとつはイエレスによる仲介で,もうひとつはファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenの仲介です。
 リューウェルツもコレギアント派collegiantenでした。同じコレギアント派のイエレスはおそらくスピノザの商人仲間で,スピノザがコレギアント派と接近する前のスピノザの知合いです。ですからイエレスが仲介するのは不自然ではありません。
 リューウェルツとエンデンの関係はナドラーは示していないので分かりません。ただ,エンデンはラテン語学校を開校する前は,アムステルダムAmsterdamで書店を経営していたので,同地の出版者のリューウェルツと知り合っても不思議ではなかったと僕は思います。
コメント
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