13日に京都国立博物館で指された第1回叡王戦決勝三番勝負第二局。
郷田真隆九段の先手で山崎隆之八段の横歩取り。後手が早い段階での飛車交換を目指す指し方。先手はそれを拒否。ですがゆっくりとした展開とはならず,むしろ先手の方から戦いに打って出る将棋になりました。ずっと激戦だったと思います。
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先手の金が8三に入り,7一にいた後手玉がひとつ寄った局面。ここまで双方が1度ずつ勝ちを逃していたようです。
先手は☗2一馬と桂馬を取って次の☗4三馬を狙いにしました。後手は☖4二銀と受けます。
ここで取った桂馬を☗3四桂と打てば,僕の棋力では精査しきれない部分が残ったのですが,どうも先手が勝てていたようではあります。しかし実戦は☗3二馬と引きました。元々は桂馬を取るより馬を活用する目的で2一に入ったので,こちらの方が読み筋に合致していたのでしょう。
☖5二玉は危険ですけどこの一手と思います。対して☗4一飛と打ちました。これに代わる手がなかったとすると,ここでは逆転しているのだと思います。
☖5一金は当然の手。逃げるわけにはいかないので☗同飛成☖同銀までは進みます。先手は☗4三金☖6一玉と追ってから☗4五桂と跳ねました。場合によっては右の方に逃げ出そうという意味も含まれていたと思われます。ですが☖8八飛と王手され,合駒を使うのでは勝ち目がないので☗4九王と引くほかなく,そこで☖4五歩と落ち着いて桂馬を払われた局面は後手がはっきりとした勝ちになっていました。
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連勝で山崎八段の優勝。2009年の最強戦以来6度目の棋戦優勝になります。
遺稿集Opera PosthumaのイエレスJarig Jellesの序文は,ハルマンが報告している書簡と関連性があるかもしれません。イエレスはコレギアント派collegiantenという自由思想に近い立場ではありましたが,キリスト教徒ではありました。だからスピノザ主義がキリスト教の教義に一致することを強調したのでしょう。
ハルマンによれば,見せてもらった手紙の主題はイエレスの著作に対するスピノザの批評であったようです。その著作がキリスト教神学と関連が深いものでした。『一般的キリスト教信仰告白』という題名からそれは理解できるでしょう。ハルマンはスピノザはイエレスの見解自体には賛意も共感も示していないとしています。ただ否定的であったかどうかまでは分かりません。それとは別にイエレスの主張していることの中には明らかに論理矛盾が含まれているので,それは正した方がよいという助言があったようです。
この本はスピノザの死後,そしてイエレス自身も死んでしまった1年後,1684年になってやはりリューウェルツJan Rieuwertszが出版者となって発刊されました。イエレスが元々は香料の商人であったということは,この本の序文に出てきます。序文を書いたのはおそらくリューウェルツだったとのことですから,それが真実であったと判断しておくのが妥当であると思います。
僕はこの本自体のことは知りません。ただ『スピノザ往復書簡集Epistolae』のこの書簡についての畠中の訳注には,実際に発刊されたものの中にはスピノザが指摘したような論理矛盾は含まれていないとのことです。したがってイエレスはスピノザの忠告をもっともだと思い,書き直したと考えておくのが妥当でしょう。
その他,この書簡にはケルクリングDick Kerkrinkへの言及があったとハルマンは記述しています。ハルマンはケルクリングに言及するとき,スピノザが解剖学のことで何事かを依頼したことがある医者と形容しています。ただこの部分に関しては,その依頼自体が書簡の中で言及されていたというようにも読解できますが,ハルマンはこの書簡を読む以前から,スピノザとケルクリングの間にこの種の交際があることを知っていたというようにも読解できます。この点に関しては僕は判断を控えます。
郷田真隆九段の先手で山崎隆之八段の横歩取り。後手が早い段階での飛車交換を目指す指し方。先手はそれを拒否。ですがゆっくりとした展開とはならず,むしろ先手の方から戦いに打って出る将棋になりました。ずっと激戦だったと思います。
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先手の金が8三に入り,7一にいた後手玉がひとつ寄った局面。ここまで双方が1度ずつ勝ちを逃していたようです。
先手は☗2一馬と桂馬を取って次の☗4三馬を狙いにしました。後手は☖4二銀と受けます。
ここで取った桂馬を☗3四桂と打てば,僕の棋力では精査しきれない部分が残ったのですが,どうも先手が勝てていたようではあります。しかし実戦は☗3二馬と引きました。元々は桂馬を取るより馬を活用する目的で2一に入ったので,こちらの方が読み筋に合致していたのでしょう。
☖5二玉は危険ですけどこの一手と思います。対して☗4一飛と打ちました。これに代わる手がなかったとすると,ここでは逆転しているのだと思います。
☖5一金は当然の手。逃げるわけにはいかないので☗同飛成☖同銀までは進みます。先手は☗4三金☖6一玉と追ってから☗4五桂と跳ねました。場合によっては右の方に逃げ出そうという意味も含まれていたと思われます。ですが☖8八飛と王手され,合駒を使うのでは勝ち目がないので☗4九王と引くほかなく,そこで☖4五歩と落ち着いて桂馬を払われた局面は後手がはっきりとした勝ちになっていました。
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連勝で山崎八段の優勝。2009年の最強戦以来6度目の棋戦優勝になります。
遺稿集Opera PosthumaのイエレスJarig Jellesの序文は,ハルマンが報告している書簡と関連性があるかもしれません。イエレスはコレギアント派collegiantenという自由思想に近い立場ではありましたが,キリスト教徒ではありました。だからスピノザ主義がキリスト教の教義に一致することを強調したのでしょう。
ハルマンによれば,見せてもらった手紙の主題はイエレスの著作に対するスピノザの批評であったようです。その著作がキリスト教神学と関連が深いものでした。『一般的キリスト教信仰告白』という題名からそれは理解できるでしょう。ハルマンはスピノザはイエレスの見解自体には賛意も共感も示していないとしています。ただ否定的であったかどうかまでは分かりません。それとは別にイエレスの主張していることの中には明らかに論理矛盾が含まれているので,それは正した方がよいという助言があったようです。
この本はスピノザの死後,そしてイエレス自身も死んでしまった1年後,1684年になってやはりリューウェルツJan Rieuwertszが出版者となって発刊されました。イエレスが元々は香料の商人であったということは,この本の序文に出てきます。序文を書いたのはおそらくリューウェルツだったとのことですから,それが真実であったと判断しておくのが妥当であると思います。
僕はこの本自体のことは知りません。ただ『スピノザ往復書簡集Epistolae』のこの書簡についての畠中の訳注には,実際に発刊されたものの中にはスピノザが指摘したような論理矛盾は含まれていないとのことです。したがってイエレスはスピノザの忠告をもっともだと思い,書き直したと考えておくのが妥当でしょう。
その他,この書簡にはケルクリングDick Kerkrinkへの言及があったとハルマンは記述しています。ハルマンはケルクリングに言及するとき,スピノザが解剖学のことで何事かを依頼したことがある医者と形容しています。ただこの部分に関しては,その依頼自体が書簡の中で言及されていたというようにも読解できますが,ハルマンはこの書簡を読む以前から,スピノザとケルクリングの間にこの種の交際があることを知っていたというようにも読解できます。この点に関しては僕は判断を控えます。