日本時間で昨日の深夜から今日の未明にかけてのパリロンシャン競馬場の開催に,3頭の日本馬が出走しました。
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凱旋門賞GⅠ芝2400m。
クリンチャーは抑えるような発馬でしたが3番手集団の内という位置を確保。そのまま直線まで進み,追い出しましたが伸びを欠き,勝ち馬からは概ね18馬身弱くらいの差で17着。勝ち馬はこの馬の外に位置していましたから,純粋に力負けというほかありません。この馬は日本ではスタミナタイプですが,ヨーロッパでは必ずしも秀でているというわけではないと思われますので,降雨があって馬場が悪化したのもマイナスではあったでしょう。
オペラ賞GⅠ芝2000m。
ラルクは少し押して中団の外を追走。馬群が密集して内に入れられるところはなかったのでそのまま進みました。直線の手前から手が動き出し,何とかついていこうとしましたが,前の争いからは決定的に離されたのでフィニッシュ前にレースを終了。勝ち馬から44馬身差ほどの13着で入線しました。この馬はここがフランスでの3戦目ですが,前の2戦はリステッドレースでも8着,8着でしたから,GⅠでは荷が重かったといったところでしょう。
フォレ賞GⅠ芝1400m。
ジェニアルは外によれるような発馬となり,最後尾。それも集団から4馬身くらい離れたところをぽつんと追走するレース。直線は外に出ましたが,前の馬たちを大きく上回るような脚は使えず,勝ち馬から約7馬身差の14着。殿負けではありませんでしたが,内容だけでいうと1頭だけレースに参加することができなかったような負け方で,この距離ではスピード能力が足りないのではないかと感じました。
6月7日,木曜日。翌日が通院の妹を迎えに行きました。
この送迎が必要になったため,以前と異なり,迎えがある日は見舞いに行くことができなくなったというのは前にいった通りです。ただ,先週の金曜日はまだ伯母が滞在していましたから,伯母が見舞うことはできました。ですが月曜に帰国しましたので,本来ならこの日はだれも見舞いに行くことができなかったのです。しかし前日に約束した通り,この日はSさんに病院に来てもらうことになっていました。これなら僕も半ば強制的に病院に行かなければなりません。つまり,だれも見舞わないという事態を防ぐ意味でも,この日は都合がよかったのです。
通所施設からみなと赤十字病院にはバスや電車で行くのは大変です。ですから妹と一緒にタクシーを利用するつもりで,実際にそうしたのですが,タクシーを見つけるのにかなり時間を要してしまいました。病院での待ち合わせの時間は午後4時で,3時過ぎには通所施設を出ることができますから,絶対に間に合うだろうと踏んでいたのですが,少しばかり遅れてしまいました。僕たちが病院に到着したときには,すでにSさんがロビーで待っていましたので,そのまま母の病室に向いました。
Sさんはデジカメに,通所施設やグループホームでの妹の様子を撮影してきてくれました。すべてを視るのは時間的に無理でしたので,そのデジカメを置いていってくれました。僕もすべて視聴しましたが,ピアノを弾いたりトランプをしたりして,妹は楽しそうに生活しているようでした。母は妹が幸せでいられるということを最も重視していましたから,これで安心することができたようです。この点ではSさんはとてもいいものを持ってきてくれたと思います。
Sさんが帰った後,僕は前日に地域ケアプラザでもらった資料を母に渡しました。ただ,こちらも分量が相当ありましたので,すぐにすべてを読んで何かを決定するというには時間的に不十分でした。母も自分自身のことですから,よく考えずに決定してしまうというのは不本意であったでしょう。なのでその資料をよく読んで,翌日までに希望する支援を決定するということにしました。
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凱旋門賞GⅠ芝2400m。
クリンチャーは抑えるような発馬でしたが3番手集団の内という位置を確保。そのまま直線まで進み,追い出しましたが伸びを欠き,勝ち馬からは概ね18馬身弱くらいの差で17着。勝ち馬はこの馬の外に位置していましたから,純粋に力負けというほかありません。この馬は日本ではスタミナタイプですが,ヨーロッパでは必ずしも秀でているというわけではないと思われますので,降雨があって馬場が悪化したのもマイナスではあったでしょう。
オペラ賞GⅠ芝2000m。
ラルクは少し押して中団の外を追走。馬群が密集して内に入れられるところはなかったのでそのまま進みました。直線の手前から手が動き出し,何とかついていこうとしましたが,前の争いからは決定的に離されたのでフィニッシュ前にレースを終了。勝ち馬から44馬身差ほどの13着で入線しました。この馬はここがフランスでの3戦目ですが,前の2戦はリステッドレースでも8着,8着でしたから,GⅠでは荷が重かったといったところでしょう。
フォレ賞GⅠ芝1400m。
ジェニアルは外によれるような発馬となり,最後尾。それも集団から4馬身くらい離れたところをぽつんと追走するレース。直線は外に出ましたが,前の馬たちを大きく上回るような脚は使えず,勝ち馬から約7馬身差の14着。殿負けではありませんでしたが,内容だけでいうと1頭だけレースに参加することができなかったような負け方で,この距離ではスピード能力が足りないのではないかと感じました。
6月7日,木曜日。翌日が通院の妹を迎えに行きました。
この送迎が必要になったため,以前と異なり,迎えがある日は見舞いに行くことができなくなったというのは前にいった通りです。ただ,先週の金曜日はまだ伯母が滞在していましたから,伯母が見舞うことはできました。ですが月曜に帰国しましたので,本来ならこの日はだれも見舞いに行くことができなかったのです。しかし前日に約束した通り,この日はSさんに病院に来てもらうことになっていました。これなら僕も半ば強制的に病院に行かなければなりません。つまり,だれも見舞わないという事態を防ぐ意味でも,この日は都合がよかったのです。
通所施設からみなと赤十字病院にはバスや電車で行くのは大変です。ですから妹と一緒にタクシーを利用するつもりで,実際にそうしたのですが,タクシーを見つけるのにかなり時間を要してしまいました。病院での待ち合わせの時間は午後4時で,3時過ぎには通所施設を出ることができますから,絶対に間に合うだろうと踏んでいたのですが,少しばかり遅れてしまいました。僕たちが病院に到着したときには,すでにSさんがロビーで待っていましたので,そのまま母の病室に向いました。
Sさんはデジカメに,通所施設やグループホームでの妹の様子を撮影してきてくれました。すべてを視るのは時間的に無理でしたので,そのデジカメを置いていってくれました。僕もすべて視聴しましたが,ピアノを弾いたりトランプをしたりして,妹は楽しそうに生活しているようでした。母は妹が幸せでいられるということを最も重視していましたから,これで安心することができたようです。この点ではSさんはとてもいいものを持ってきてくれたと思います。
Sさんが帰った後,僕は前日に地域ケアプラザでもらった資料を母に渡しました。ただ,こちらも分量が相当ありましたので,すぐにすべてを読んで何かを決定するというには時間的に不十分でした。母も自分自身のことですから,よく考えずに決定してしまうというのは不本意であったでしょう。なのでその資料をよく読んで,翌日までに希望する支援を決定するということにしました。