10日に指された第49回新人王戦決勝三番勝負第一局。藤井聡太七段と出口若武奨励会三段は公式戦では初対局。
振駒で出口三段の先手となり相掛かり。先に後手の藤井七段が飛車先を交換する手順から先手の浮き飛車,後手の引き飛車になりました。先手が腰掛銀を進出させて歩得を果たしたところで後手が反撃。後手の香得の分かれに進みましたので,そこで後手がリードしていたかもしれません。
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先手が歩を突いた局面。後手の☖7七歩成はこの一手でしょう。先手は☗4三歩成。これに対して☖同王はおそらく最善の応手だったと思います。先手はそこで☗7七金とと金を払いました。後手も☖4四歩と香取りを受けました。
ここで☗4五歩と合わせていきましたが,歩はたくさん持っているので先に☗4二歩と打っておくのは有力だったように思えます。後手は☖5二王と早逃げしました。
先手は☗4四歩と取り込んで後手は☖4六香。ここでは☗3二桂成から攻め合えなければいけないと思われますが無理だったようで☗4三歩成☖同金に☗4七歩と受けました。
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これは香取りではありますが先手とまではいえません。ここで手番を渡してしまうのでは,はっきりとした差がついているといえそうです。
藤井七段が先勝。第二局は17日です。
訪問看護師からはケアマネージャーについてはやはり決めた方がよいのではないかという話がありました。決めることができればそうしましたが,結果的にいえば見つからなかったので,母は最後までケアマネージャーをつけることはありませんでした。
訪問医は処方箋を出しました。主に常備薬として家に置いておくものです。座薬がほとんどで,ほかにすでに母が服用していたオプソ内服液が飲み薬として処方されていました。処方箋はこの後で僕が薬局に持っていったのですが,常備薬のひとつであったアンペック坐剤は麻薬であったため,取り寄せが必要でした。ですからそれが用意できた後で,ほかの薬もまとめて入手することにし,この日は代金だけを支払って帰りました。
伯母はいませんから,ここからは家でほぼ僕と母のふたりでの生活に突入しました。後にまた伯母が来日するのですが,それまではふたりだけだったのです。この間,母は洗濯機を回して洗い終わった洗濯物を籠に入れておくことと,僕が取り込んだ洗濯物を畳むということはずっと続けました。以前はこれに夕食の支度がプラスされていたのですが,これはもうできなかったので,僕が僕と母のふたり分,妹が滞在しているときには妹のも合わせて3人分の夕食を作ることになりました。僕は最後に母とこのような時間をもつことができたのはとても幸せなことであったと思っています。僕にしろ妹にしろ母がいなければ育つということはなかったわけです。それからすればごく些細なことだし,また短い時間ではありましたが,最後に少しだけ恩を返すことができたように思えるからです。
6月13日,水曜日。午前11時5分に薬局から電話がありました。これは前日に処方された薬剤のすべてが揃ったという連絡でした。ただ,この日はこの後で,介護用ベッドの業者の社員が来訪し,母に使い心地を聞きに来ることになっていました。これが午後1時で,それまでに薬を取りにいくことは時間的にいえば可能でしたが,後回しにしました。母の状態はそれをすぐに入手しなければならないようなものではなかったのです。
業者の方が来訪されたのは午後1時10分でした。
振駒で出口三段の先手となり相掛かり。先に後手の藤井七段が飛車先を交換する手順から先手の浮き飛車,後手の引き飛車になりました。先手が腰掛銀を進出させて歩得を果たしたところで後手が反撃。後手の香得の分かれに進みましたので,そこで後手がリードしていたかもしれません。
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先手が歩を突いた局面。後手の☖7七歩成はこの一手でしょう。先手は☗4三歩成。これに対して☖同王はおそらく最善の応手だったと思います。先手はそこで☗7七金とと金を払いました。後手も☖4四歩と香取りを受けました。
ここで☗4五歩と合わせていきましたが,歩はたくさん持っているので先に☗4二歩と打っておくのは有力だったように思えます。後手は☖5二王と早逃げしました。
先手は☗4四歩と取り込んで後手は☖4六香。ここでは☗3二桂成から攻め合えなければいけないと思われますが無理だったようで☗4三歩成☖同金に☗4七歩と受けました。
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これは香取りではありますが先手とまではいえません。ここで手番を渡してしまうのでは,はっきりとした差がついているといえそうです。
藤井七段が先勝。第二局は17日です。
訪問看護師からはケアマネージャーについてはやはり決めた方がよいのではないかという話がありました。決めることができればそうしましたが,結果的にいえば見つからなかったので,母は最後までケアマネージャーをつけることはありませんでした。
訪問医は処方箋を出しました。主に常備薬として家に置いておくものです。座薬がほとんどで,ほかにすでに母が服用していたオプソ内服液が飲み薬として処方されていました。処方箋はこの後で僕が薬局に持っていったのですが,常備薬のひとつであったアンペック坐剤は麻薬であったため,取り寄せが必要でした。ですからそれが用意できた後で,ほかの薬もまとめて入手することにし,この日は代金だけを支払って帰りました。
伯母はいませんから,ここからは家でほぼ僕と母のふたりでの生活に突入しました。後にまた伯母が来日するのですが,それまではふたりだけだったのです。この間,母は洗濯機を回して洗い終わった洗濯物を籠に入れておくことと,僕が取り込んだ洗濯物を畳むということはずっと続けました。以前はこれに夕食の支度がプラスされていたのですが,これはもうできなかったので,僕が僕と母のふたり分,妹が滞在しているときには妹のも合わせて3人分の夕食を作ることになりました。僕は最後に母とこのような時間をもつことができたのはとても幸せなことであったと思っています。僕にしろ妹にしろ母がいなければ育つということはなかったわけです。それからすればごく些細なことだし,また短い時間ではありましたが,最後に少しだけ恩を返すことができたように思えるからです。
6月13日,水曜日。午前11時5分に薬局から電話がありました。これは前日に処方された薬剤のすべてが揃ったという連絡でした。ただ,この日はこの後で,介護用ベッドの業者の社員が来訪し,母に使い心地を聞きに来ることになっていました。これが午後1時で,それまでに薬を取りにいくことは時間的にいえば可能でしたが,後回しにしました。母の状態はそれをすぐに入手しなければならないようなものではなかったのです。
業者の方が来訪されたのは午後1時10分でした。