豊橋記念の決勝。並びは高橋‐吉田の愛知,浅井‐金子貴志の中部,古性‐稲垣の近畿で山崎と金子幸央と渡辺は単騎。
浅井と高橋がスタートを取りに出て,内枠で有利だった浅井の前受け。3番手に高橋,5番手に山崎,6番手に古性,8番手に渡辺,最後尾に金子幸央で周回。残り3周のバックから古性が上昇開始。稲垣の後ろに山崎がスイッチし,金子幸央が山崎の後ろを追いました。バックの出口では浅井が引いて古性が前に。ホームで外から金子幸央が単騎で上昇。浅井が番手に続く形に。4番手に山崎がまたスイッチし,5番手に古性,7番手に高橋,最後尾に渡辺という一列棒状になって打鐘。金子幸央の成り行き先行になりそうでしたが,高橋が動いていき,ホームで金子幸央を叩いてかまし先行に。古性がこのラインに続いて3番手。しかし5番手に入った浅井がバックから発進すると前とのスピードが違いすぎ,だれも止めることができずにあっさりと捲り切って優勝。マークの金子貴志が1車輪差までは詰め寄っての2着で中部のワンツー。高橋の番手から出た吉田が1車身差で3着。バックでは最後尾になってしまった山崎が大外から捲り追い込むも8分の1車輪差で4着。
優勝した三重の浅井康太選手は先月の富山記念以来の優勝となる記念競輪24勝目。豊橋記念は初優勝。このレースは脚力だけ考えれば優勝候補の筆頭。ただ中部勢が別ラインでの戦いになり,自身をマークするのも地元の金子貴志で,しかも単騎の選手が3人もいるということで,展開的には難しいところも出てくる可能性があるのではないかと思っていました。僕は高橋が発進していくのが遅すぎたきらいがあると思いますが,今日のような位置を確保できるレースになってしまえば,あっさりと捲ってしまうのは当然といえば当然でしょう。むしろこのスピードによく金子貴志が食い下がり,直線では差を詰めたものだと思います。
車椅子から病室のベッドに移動すると,すぐに看護師が母を診察しました。さらに担当医もやってきて,同じように診察をしました。血中の酸素の濃度が低いので,吸入をすることになりました。細い管を鼻に入れて,そこから酸素吸入するという方法です。この吸入は最後までずっと行われました。酸素の濃度は徐々に低下していきましたから,吸入する量もそれに合わせて増量されていきました。またそれに伴って吸入の方法も変更されました。
この後,胸部の様子を調べるためにレントゲンの撮影をしました。これはレントゲン室でではなく,この室内で専用の機器を用いて行われました。検査の間は僕と伯母は病室の外で待機していました。検査の結果が出る間に,薬剤師が来て,使用中の薬剤について点検しました。母はフェンタニルパッチを使用していましたが,ここではパッチではなく点滴か注射になる可能性があると伝えられました。その方が日常的な疼痛に対して迅速にまた適切に対処しやすいからということでした。
レントゲンの結果はこの後で出て,肺に癌の粒が広がっているということでした。実は母は7月5日に呼吸器科の通院が予定されていました。ですがこちらから中止にしてもらったのです。というのは呼吸器科の通院が3ヶ月に1度であったことから分かるように,肝臓の癌の進行に比べればほとんど進捗していなかったため,通院するのは無益と僕と母で判断したからです。7月5日は母が退院して家にいた時期に該当しますが,身体的負担も考慮に入れれば,当然の決定であったと思っています。ただ,4月にはさほどではなかった肺の癌も,この時期には進行していたことになります。母は呼吸の苦しさを感じることがなかったわけではないのですが,生活に支障を来すほどではなかったので,肺の癌の進行が実際にどこまで母に対して影響を及ぼしていたのかははっきりとは分かりかねます。
この後で医師は,鎮痛剤については点滴に変更するということを告げました。医療的処置の決定は医師がするもので,薬剤師がするものではありません。ただ事前に薬剤師が言っていた通りの変更でしたから,相談はあったと推測します。
浅井と高橋がスタートを取りに出て,内枠で有利だった浅井の前受け。3番手に高橋,5番手に山崎,6番手に古性,8番手に渡辺,最後尾に金子幸央で周回。残り3周のバックから古性が上昇開始。稲垣の後ろに山崎がスイッチし,金子幸央が山崎の後ろを追いました。バックの出口では浅井が引いて古性が前に。ホームで外から金子幸央が単騎で上昇。浅井が番手に続く形に。4番手に山崎がまたスイッチし,5番手に古性,7番手に高橋,最後尾に渡辺という一列棒状になって打鐘。金子幸央の成り行き先行になりそうでしたが,高橋が動いていき,ホームで金子幸央を叩いてかまし先行に。古性がこのラインに続いて3番手。しかし5番手に入った浅井がバックから発進すると前とのスピードが違いすぎ,だれも止めることができずにあっさりと捲り切って優勝。マークの金子貴志が1車輪差までは詰め寄っての2着で中部のワンツー。高橋の番手から出た吉田が1車身差で3着。バックでは最後尾になってしまった山崎が大外から捲り追い込むも8分の1車輪差で4着。
優勝した三重の浅井康太選手は先月の富山記念以来の優勝となる記念競輪24勝目。豊橋記念は初優勝。このレースは脚力だけ考えれば優勝候補の筆頭。ただ中部勢が別ラインでの戦いになり,自身をマークするのも地元の金子貴志で,しかも単騎の選手が3人もいるということで,展開的には難しいところも出てくる可能性があるのではないかと思っていました。僕は高橋が発進していくのが遅すぎたきらいがあると思いますが,今日のような位置を確保できるレースになってしまえば,あっさりと捲ってしまうのは当然といえば当然でしょう。むしろこのスピードによく金子貴志が食い下がり,直線では差を詰めたものだと思います。
車椅子から病室のベッドに移動すると,すぐに看護師が母を診察しました。さらに担当医もやってきて,同じように診察をしました。血中の酸素の濃度が低いので,吸入をすることになりました。細い管を鼻に入れて,そこから酸素吸入するという方法です。この吸入は最後までずっと行われました。酸素の濃度は徐々に低下していきましたから,吸入する量もそれに合わせて増量されていきました。またそれに伴って吸入の方法も変更されました。
この後,胸部の様子を調べるためにレントゲンの撮影をしました。これはレントゲン室でではなく,この室内で専用の機器を用いて行われました。検査の間は僕と伯母は病室の外で待機していました。検査の結果が出る間に,薬剤師が来て,使用中の薬剤について点検しました。母はフェンタニルパッチを使用していましたが,ここではパッチではなく点滴か注射になる可能性があると伝えられました。その方が日常的な疼痛に対して迅速にまた適切に対処しやすいからということでした。
レントゲンの結果はこの後で出て,肺に癌の粒が広がっているということでした。実は母は7月5日に呼吸器科の通院が予定されていました。ですがこちらから中止にしてもらったのです。というのは呼吸器科の通院が3ヶ月に1度であったことから分かるように,肝臓の癌の進行に比べればほとんど進捗していなかったため,通院するのは無益と僕と母で判断したからです。7月5日は母が退院して家にいた時期に該当しますが,身体的負担も考慮に入れれば,当然の決定であったと思っています。ただ,4月にはさほどではなかった肺の癌も,この時期には進行していたことになります。母は呼吸の苦しさを感じることがなかったわけではないのですが,生活に支障を来すほどではなかったので,肺の癌の進行が実際にどこまで母に対して影響を及ぼしていたのかははっきりとは分かりかねます。
この後で医師は,鎮痛剤については点滴に変更するということを告げました。医療的処置の決定は医師がするもので,薬剤師がするものではありません。ただ事前に薬剤師が言っていた通りの変更でしたから,相談はあったと推測します。