スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京ダービー&実在的

2020-06-04 19:16:10 | 地方競馬
 昨晩の第66回東京ダービー。ブラヴールが右の後ろ脚の蹄の底の内出血のため競走除外。リヴェールブリスは馬場入場後に左の前脚の痛みで歩行のバランスを欠いたため競走除外となり14頭。
 かなり押してファルコンウィングが先手を奪いきりました。リードは2馬身。2番手にウタマロ。発馬がよく先手も奪えそうだったエメリミットは控え,ボンモマンと並んで3番手。5番手のコバルトウィングまでの4頭は一団。4馬身差でティーズダンクとアマルインジャズ。1馬身差でマンガンとゴールドホイヤー。1馬身差でチョウライリン。1馬身差でモンゲートラオとマンジュシャカ。1馬身差でブリッグオドーン。1馬身差の最後尾にデスティネでこの9頭も一団。前半の1000mは62秒1のハイペース。
 3コーナーを回るとコバルトウィングがウタマロの外に並び掛けていき,単独の3番手に。大外から勢いよく捲り上げてきたのがティーズダンク。直線に入るとコーナーでは内を回っていたエメリミットが伸び,中を割ってきたマンガン,捲ってきたティーズダンク,さらに後方から追い込んできたブリッグオドーンの4頭の争い。このうち抜け出したのはエメリミットとマンガンで,最後は2頭の競り合い。先んじていたエメリミットが凌いで優勝。マンガンがクビ差で2着。ティーズダンクが2馬身差の3着でブリッグオドーンがクビ差で4着。
 優勝したエメリミットはこれが6勝目で南関東重賞初制覇。クラウンカップは4着,東京湾カップは2着でしたが,内容的には強い競馬でしたので,力があることは分かっていました。ただ,雲取賞や京浜盃,羽田盃を使っていた馬たちとは差があるとみていたので,この結果は個人的には意外でした。2着馬とはいい勝負を続けていたので,自身の力量を出しての結果だったのではないかと思います。距離が伸びたことが,主力路線の馬たちよりプラスに作用したのかもしれませんし,あるいは別路線組の方が能力的に上だったという可能性もあるでしょう。数多くのレースを使っていますので,この後の成長力については少しばかりの不安も残ります。父はシンボリクリスエス。母の父はキングカメハメハ。馬名の表記はAime Limite。イタリア語でLimiteが限界。
 騎乗した船橋の山口達弥騎手はデビューから16年2ヶ月で南関東重賞初制覇。管理している船橋の林正人調教師は第59回以来7年ぶりの東京ダービー2勝目。

 ここで注意しておかなければならないのは,スピノザの哲学の場合は,現実的に存在する事物が考察の対象にならないということと,実在的なものが考察の対象にならないということは,別のことであるということです。もし実在的な事物が考察の対象とならない何らかの学知scientiaが存在するとすれば,その学知は非実在的なものを対象とすることになります。事物は実在的realiterであるか非実在的であるかのどちらかでしかないのですから,これはきわめて当然のことといえるでしょう。したがって,現実的に存在する事物が考察の対象とならないということが,スピノザの哲学においては,直ちに非実在的なものが考察の対象となるということを意味するわけではないのです。
                                        
 これはスピノザが,事物が実在するということを二様の仕方で解しているからです。これを最もよく表しているのは第二部定理八系です。すなわち事物は,Deusの属性attributumの中に包容されている限りで存在するといわれる場合と,時間的に持続するdurareといわれる限りで存在する場合の,ふたつの仕方で存在することが可能なのです。そして当然ながらどちらの場合も存在するのですから,どちらも実在的であるといわれなければならないことになります。このうち,事物が現実的に存在するといわれるのは,時間的に持続するといわれる限りで存在する場合に該当します。したがって,ある学知が時間的に持続するといわれる限りで存在するものを対象となしなくても,神の属性の中に包容されている限りで存在するものを対象とする場合があり得るのであって,その場合には,この学知の対象は実在的なものであるということになります。
 スピノザは第五部定理二九備考において,これらの実在を,持続するものと永遠の相species aeternitatisの下に認識されるものとに分類しています。つまり,持続duratioのうちに実在するものと,永遠aeterunusから永遠にわたって実在するものに分類しています。よって,持続するものが学知の対象とはなり得なくても,永遠に存在するものが同じ学知の対象となるということはあり得るわけで,ここからも,現実的に存在するものが学知の対象でなくても,実在的なものが対象である場合があるということが分かります。
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