スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典安田記念&円の観念

2020-06-07 19:15:24 | 中央競馬
 第70回安田記念
 クルーガーが立ち上がって1馬身の不利。外からダノンスマッシュがハナへ。2番手にミスターメロディ。3番手にダノンプレミアム,アドマイヤマーズ,セイウンコウセイの3頭。6番手にダノンキングリーとヴァンドギャルドでこの7頭は一団。2馬身差でグランアレグリア。1馬身差でインディチャンプ。1馬身差でアーモンドアイとペルシアンナイトでこの4頭も一団。2馬身差でノームコアとケイアイノーテック。3馬身差の最後尾にクルーガー。前半の800mは45秒7のミドルペース。
 直線の入口ではダノンスマッシュがまだ先頭。外の2番手にミスターメロディという隊列でしたが,早めに動いてその外に出てきたグランアレグリアの抜ける脚が早く,一気に先頭に立つとそのまま抜け出して快勝。2着は内を回ってグランアレグリアが抜け出た後でその外へ出てきたインディチャンプと,外目を追い上げたアーモンドアイ,そして後方から大外を強襲したノームコアの3頭の争い。中のアーモンドアイが競り合いを制して2馬身半差で2着。アーモンドアイに競り負けたインディチャンプが半馬身差の3着で大外のノームコアがクビ差で4着。
 優勝したグランアレグリアは阪神カップ以来の勝利。大レースは昨年の桜花賞以来の2勝目。桜花賞後のレースぶりからはスプリント戦の方がよいのではないかと思えたので,個人的には軽視していました。今日も抜け出たときの脚はスプリンターのそれだったと感じますが,2着以下を占めた力量上位の相手にこれだけの快勝をするのですから,この距離でも高い能力を有していたと考え直さなければなりません。完成しているわけではなく,まだ成長の途上であるようにも思えます。父はディープインパクト。Gran Alegriaはスペイン語で大喜び。
                                        
 管理している藤沢和雄調教師はスプリンターズステークス以来の大レース制覇。第47回,48回の連覇以来となる22年ぶりの安田記念3勝目。騎乗した池添謙一騎手はマイルチャンピオンシップ以来の大レース26勝目。安田記念は初勝利。

 第一部公理六では,観念の対象ideatumと一致する観念ideaが真の観念idea veraであるといわれています。スピノザによる円の定義Definitioによって知性intellectusが円を概念したとき,概念された円の観念は,この意味における真の観念なのでしょうか。もう少し正確にいえば,それは延長の属性Extensionis attributumの中に包容されている限りで存在する円と一致する観念なのでしょうか。
 僕は,延長の属性の中に包容される限りでの円が,スピノザの円の定義と同様の仕方で発生する可能性を,全面的に否定しているわけではありません。そこでもしそれが同様の仕方であるなら,円の観念が真の観念であることは当然です。なのでこの場合については考える必要がありません。ただ,直線はそれ自体で運動するわけではないということ,いい換えれば円の定義にあるような直線の運動motusは,直線の本性essentiaや特質proprietasではないのであって,それを概念するconcipere知性を十全な原因causa adaequataとした任意の思惟作用であることは事実なので,実際に延長の属性の中に包容される限りでの円が発生する場合と異なっている可能性も残るわけです。僕が考えたいのはこの場合です。
 この場合,円の観念を真の観念であるといい得るとも思えますし,いい得ないとも思えるのです。というのは,『エチカ』にはどちらにも解釈することができる余地があると僕には思えるからです。それぞれの場合を示していきましょう。
 第二部定理七で,観念といわれているのは真の観念のことであり,ものrerumといわれているのは観念されたものideatumのことです。スピノザはこの定理Propositioの証明Demonstratioでは,第一部公理四だけを援用しています。この公理Axiomaでいわれている認識cognitioというのを,真の観念と解してみましょう。第二部公理三は,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念であることを示していて,認識は思惟作用ですから,この解し方に無理はありません。すると,結果effectusの真の観念は原因causaの真の観念に依存するということになります。これを援用して第二部定理七が証明できるのは,観念されたものの原因と結果の秩序ordoと連結connexioに,観念の原因と結果の秩序と連結が一致しているからだということになるでしょう。実際にこの定理は平行論の基礎になるのですから,この解釈が正当であるのは間違いありません。
コメント
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