スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

新人王戦&修正案

2019-11-13 19:20:55 | 将棋
 10月28日に指された第50回新人王戦決勝三番勝負第三局。
 新聞赤旗の編集局長による振駒で増田康宏六段の先手となり雁木。後手の高野智史四段は矢倉。先手は右玉に構えることになりました。勝敗の分岐は早い段階にあったようです。
                                        
 後手が8筋の歩を交換した局面。先手は歩を入手したので☗2四歩☖同歩☗2五歩の継ぎ歩攻めに出て☖同歩に☗同桂と取りました。角取りですから☖2四角。
 ここでの先手の狙い筋は☗4五歩で,そう指しておけば先手よしの変化があったようです。実戦は☗8七歩☖8五飛としてから☗4五歩と突いていきましたがこれは最悪のタイミング。飛車が5段目にいるのが後手の強みになりました。とはいえここで先に☗9七桂と跳ねても☖8三飛で実戦と同じ展開になりそうですから,☗8七歩☖8五飛の交換がよくなかったことになるでしょう。
 後手は☖2八歩☗同飛と先手の飛車の位置を変えてから☖5五銀と出ました。
                                        
 これは☗同銀と取れなければいけない筈ですが,☖6五飛と回られる筋があって後手がやれるようです。ここで後手がリードを握り,最後まで押し切る将棋となりました。
 2勝1敗で高野四段が優勝。棋戦初優勝でした。

 第二部定理四三およびその備考Scholiumでスピノザがいっていることから分かる通り,スピノザの哲学では,真の観念idea veraと確実性certitudoは等置されなければなりません。より正確にいえば,ある人間の精神mens humanaのうちに真の観念があるということと,その人間がその観念の対象ideatumについて確実性を有しているということは等置されなければなりません。したがって『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の七八節でいわれていることは,単に三五節および七四節でいわれていることと矛盾しているというだけでなく,スピノザの哲学の中で誤りerrorであるといわれなければなりません。
 これがこの矛盾についての修正案で,これは僕の考え方と『スピノザ 力の存在論と生の哲学』での見解が一致しています。ですが僕のこの考察は,ただ修正案を示すということだけを目的とはしません。ここまでの説明から分かるように,『知性改善論』における矛盾が両立し得ないということ,したがってどちらかは誤りであって,それは七八節の方にあるということは,わりと簡単に理解できることだといえるからです。僕が考察してみたいのは,こうも簡単に理解できることなのに,なぜ七八節では,人間の精神のうちにひとつの観念しかないなら,その人間はそれについて疑惑dubitatioを有することはないということを示すことを目的としているとはいえ,同時にその場合には確実性を有することもできないということもスピノザが記述してしまったのかということです。真の観念が確実性と等置されなければならないということを,スピノザが簡単に見落としてしまうのは実に不思議なことだと思えるのです。
 秋保は,『知性改善論』は重層的な書物であるという見方をしています。重層的というのは,要するに前に書かれた部分に修正されている部分が含まれているという意味です。『知性改善論』は未完成で,スピノザはその完成を目指していたと解することは無理なことではありません。そして完成を目指すために,それまでに書いた部分を書き直すということはあり得るでしょう。ですから,『知性改善論』が重層的な書物であるという可能性に関しては,僕は否定しません。そして秋保はこの部分の矛盾もその修正に絡めて説明しています。

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