スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&尿と身体

2010-04-06 19:07:58 | 将棋
 施行時期が繰り上がって第21期女流王位戦は今日が挑戦者決定戦。対戦成績は紅組優勝の石橋幸緒女流四段が5勝,白組優勝の甲斐智美女流二段が4勝。
 振駒で甲斐二段の先手で角道を止めてからの三間飛車。序盤から中盤に入るところで千日手が懸念されましたが先手が打開して第1図。
               
 ここで後手は△3三銀として▲6五歩からの角交換を拒否。こう指したからには先手の飛車角を抑え込みにいくのが自然ですが実戦の進行は▲8六歩△8二飛▲3八銀に自ら△8六歩と取り,▲同飛△同飛▲同角(第2図)であっという間に飛車交換。確かに△8七飛と先着できますが,少しちぐはぐだったかもしれません。
               
 結果的にいえばこのように角を使いにくい形で決戦にしてしまったのが失敗だったよう。この後の先手の指し回しはほぼ完璧といってよく,途中からはかなり一方的な内容となってしまい,先手の快勝。後手としてはやや悔やまれる内容の将棋だったのではないでしょうか。
 挑戦中のマイナビ女子オープンに続きここも充実ぶりを感じさせる将棋で甲斐二段が挑戦権を獲得。清水市代女流王位との五番勝負は来月13日からです。

 第二部定理一九に訴えるのだとしても,尿意という知覚がどのような知覚であるのかということについてはいろいろな考え方ができるように思えます。たとえばこれは,自分自身の身体の中に溜まった尿の知覚であるということも可能ですし,あるいは尿が溜まった自分の身体についての知覚であるということも可能でしょう。ただここでは,これがどのような種類の知覚であるのかということを確定することは必要ありませんので,この点についてはこれ以上の考察は避けるということにします。
 しかし,スピノザの哲学では混乱した観念の意志というのを考えることができるということになっています。したがって,尿意が知覚であるとしても,第二部定理四九の,とくに証明の内容からして,そこには意志があると考えなければなりません。ところで個々の意志作用は個々の観念に応じますので,もし観念の内容が異なるのであれば,それが異なっている分だけ意志作用の内容というのも異なってくるということになります。よって,尿意という知覚がどのような知覚であるかによって,その意志作用もまた異なってきてしまうわけです。ですから,尿意という知覚がどのような知覚であるのか,すなわち前述のふたつの例でいうなら,尿に関する知覚であるのか,それとも自分の身体に関する知覚であるのかということは,考察自体において確定する必要はないのですが,意志作用との関係を考える上では,決めておいた方がはなはだ便利です。
 そこでここではこれを,尿が溜まった自分の身体に関する知覚と考えることにします。これは今後の説明のために選択しているだけであって,仮に身体に溜まった尿に関する観念であると考えても,これ以後の説明をそのまま適用するということはできませんが,説明方法を変更することで同様に対応できるということになります。したがってこの規定もまた,この考察における約束事のひとつですので,このこと自体に対しての反論は受け付けないことにします。

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