埼玉栄冠賞を勝ったクレイアートビュンの父がトーホウエンペラーなのですが,この馬の母系は,フロリースカップやアストニシメント,フラストレートなどの一族と同じように,明治時代に日本に輸入され,長く日本で育まれてきたものです。
1897年,イギリス産まれのプロポンチスが日本での母系祖先。この時代から残る多くの母系と同じように,小岩井農場の輸入。ファミリーナンバーは4-dで,スカーレットインクやタイキシャトルと同じです。
プロポンチスの直仔からみますと主に3系統が残っていて,その中で最大のものはおそらく第二プロポンチス~パシフィックという馬を経由するもので,このうちハマイサミの分枝からは,少し古くなるのかもしれませんが1993年のジャパンカップを勝ったレガシーワールド,もう少し最近では重賞で2勝,2002年のクラシックで5着,4着,3着と好走したメガスターダムなどが出ています。
トーホウエンペラーは第二プロポンチスの子孫ですが,パシフィックは経由していません。分枝の基点となっているのはスズブエないしはその仔のイーデンブルースで,レインボー○○という馬を中心に繁栄しました。トーホーエンペラーの母もレインボーブルーですし,このレインボーブルーの兄には1989年の弥生賞を勝ち,菊花賞でも2着になったレインボーアンバーがいます。
明日はジャパンカップダートです。サクセスブロッケン◎,ヴァーミリアン○,カジノドライヴ▲。ほかにも勝つチャンスがあると思える馬もいますが,この3頭で。
『エチカ』の第二部定理二六というのは次のようになっています。
「人間精神は自己の身体の変状〔刺激状態〕の観念によってのみ外部の物体を現実に存在するものとして知覚する」。
これでみますと,僕が注意点として指摘していることと,齟齬を来しているかのようにも考えられると思いますので,この点について弁明しておくことにします。
僕が考えるに,この齟齬について十分に考えるためには,ふたつの問題,それもテーマとして設定して考えるべきであるようなふたつの大きな問題を解決する必要があります。しかしこれは現在の考察とは直接的に関係するというわけではありませんから,僕が考えるふたつの問題と,それを現在の時点ではどのように理解しておくべきなのか,あるいは僕自身がどのように考えているのかということだけ,明らかにしておくことにします。
最初のものは,個物の本性に,個物が持続するものであるということ自体が含まれるのかどうか,あるいはもっと正確にいいますと,ある個物Aが現実的に存在するというとき,このAの本性のうちには,それがいつからいつまでということは別ですが,Aがある一定の持続のうちに存在するものであるということが含まれるのかどうかということです。
僕はこれについては,そうした事柄がAの本性のうちには含まれるのではないかと考えていますし,スピノザもそのように考えているのではないかと思っています。僕がそのように考える根拠は,第二部定理四四系二のスピノザの証明の仕方にあるのですが,このことには反論の余地もありそうだとは思っています。ただ,僕はそのように考えていますので,第二部定理二六を考える際にも,そうした観点に立つことになります。
1897年,イギリス産まれのプロポンチスが日本での母系祖先。この時代から残る多くの母系と同じように,小岩井農場の輸入。ファミリーナンバーは4-dで,スカーレットインクやタイキシャトルと同じです。
プロポンチスの直仔からみますと主に3系統が残っていて,その中で最大のものはおそらく第二プロポンチス~パシフィックという馬を経由するもので,このうちハマイサミの分枝からは,少し古くなるのかもしれませんが1993年のジャパンカップを勝ったレガシーワールド,もう少し最近では重賞で2勝,2002年のクラシックで5着,4着,3着と好走したメガスターダムなどが出ています。
トーホウエンペラーは第二プロポンチスの子孫ですが,パシフィックは経由していません。分枝の基点となっているのはスズブエないしはその仔のイーデンブルースで,レインボー○○という馬を中心に繁栄しました。トーホーエンペラーの母もレインボーブルーですし,このレインボーブルーの兄には1989年の弥生賞を勝ち,菊花賞でも2着になったレインボーアンバーがいます。
明日はジャパンカップダートです。サクセスブロッケン◎,ヴァーミリアン○,カジノドライヴ▲。ほかにも勝つチャンスがあると思える馬もいますが,この3頭で。
『エチカ』の第二部定理二六というのは次のようになっています。
「人間精神は自己の身体の変状〔刺激状態〕の観念によってのみ外部の物体を現実に存在するものとして知覚する」。
これでみますと,僕が注意点として指摘していることと,齟齬を来しているかのようにも考えられると思いますので,この点について弁明しておくことにします。
僕が考えるに,この齟齬について十分に考えるためには,ふたつの問題,それもテーマとして設定して考えるべきであるようなふたつの大きな問題を解決する必要があります。しかしこれは現在の考察とは直接的に関係するというわけではありませんから,僕が考えるふたつの問題と,それを現在の時点ではどのように理解しておくべきなのか,あるいは僕自身がどのように考えているのかということだけ,明らかにしておくことにします。
最初のものは,個物の本性に,個物が持続するものであるということ自体が含まれるのかどうか,あるいはもっと正確にいいますと,ある個物Aが現実的に存在するというとき,このAの本性のうちには,それがいつからいつまでということは別ですが,Aがある一定の持続のうちに存在するものであるということが含まれるのかどうかということです。
僕はこれについては,そうした事柄がAの本性のうちには含まれるのではないかと考えていますし,スピノザもそのように考えているのではないかと思っています。僕がそのように考える根拠は,第二部定理四四系二のスピノザの証明の仕方にあるのですが,このことには反論の余地もありそうだとは思っています。ただ,僕はそのように考えていますので,第二部定理二六を考える際にも,そうした観点に立つことになります。
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