14日に指された第30期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。対戦成績は羽生善治三冠が3勝,松尾歩八段が2勝。
振駒で羽生三冠の先手。松尾八段の横歩取り8五飛に。
後手が角を打った局面。前例は☖6四角と打っていて,これは松尾八段の新手。こちらに打っておくと後で先手が☗6五桂と跳ねられない分だけ得という判断だったようです。
新手を指されて先手は決断を求められる局面。飛車は逃げずに☗6二角成と切って☖同飛に☗4六銀と受けました。後手は☖6四角。
駒損して銀を打っているので先手は代償が必要。そこで☗3四歩と突いて桂馬を取りにいきました。ここは☖7五歩も有力だったそうですが☖4四歩と突きました。次は逃げられるので☗3三歩成はこの一手。そこで☖同金と取ったのがいい受け方だったようです。
ここから☗5六歩☖5四歩。この局面で☗5五歩と突いて2九の桂馬を使うのが本筋だったようです。実戦は☗7四歩と取って☖7二飛に☗4八金と固めました。後手は☖2四金。
この局面は先手の駒得ですが銀は打っていて,後手が受け止めることには成功しているようです。ただ,この対応自体は先手としても有力なのではないかと思います。将棋は決着がつく直前まで僅差の競り合いが続いていたものと思われますが,基本的に攻勢をとっていた先手が勝ちました。
羽生三冠が先勝。第二局は25日です。
なぜ現実性について理解するときに,持続とは無限定な存在の継続であるDuratio est indefinita existendi continuatioという第二部定義五だけを知っていても十分ではないのかといえば,最も簡潔にいえば,第一部公理四に関係します。この公理Axiomaによれば結果の認識は原因の認識を含んでいなければなりません。あるものが現実的存在としてあるいは現実的本性actualis essentiaを有するものとしてあるようになるときには,それは結果としてそうなるのです。したがってその認識はその原因の認識を含んでいなければなりません。いい換えればその原因の認識に依存していなければなりません。ところが存在は無限定な継続であるということは,たとえばあるものの現実的存在および現実的本性の原因ではあり得ません。というより,もっと一般的な意味で現実性の原因でもあり得ません。現実性の理解のためにはその原因の認識が不可欠なのであり,これだけでは不十分であることはここから明白でしょう。
このときに,一般に個物res singularisの本性と個物の現実的本性は異なっているということが重要なのです。それは異なったものなので,論理的には一方が原因であって他方が結果であるということができることになります。ところが,一般に個物の本性は個物の現実的本性の原因ではあり得ません。もちろん個物の現実的本性の方が個物の本性の原因ではあり得ないことは明白でしょう。しかるに,第一部公理三によれば,一定の原因が与えられると一定の結果が生じることになっています。つまり原因が同一であるなら結果も同一であることになります。逆に同一の結果が生じるときには,その原因は同一であるということになります。ところが個物の本性と個物の現実的本性は同一のものではなく異なったものなので,それらが同一の原因によって与えられるということはありません。したがって一般に個物の本性および存在の原因が何であるのかということを知っていたとしても,それで個物の現実的本性および現実的存在の原因を知っているということにはならないのです。なので個物の現実的存在および現実的本性について理解する場合には,それだけを抽出して,個物の本性および存在とは切り離して考えていかなければなりません。
振駒で羽生三冠の先手。松尾八段の横歩取り8五飛に。
後手が角を打った局面。前例は☖6四角と打っていて,これは松尾八段の新手。こちらに打っておくと後で先手が☗6五桂と跳ねられない分だけ得という判断だったようです。
新手を指されて先手は決断を求められる局面。飛車は逃げずに☗6二角成と切って☖同飛に☗4六銀と受けました。後手は☖6四角。
駒損して銀を打っているので先手は代償が必要。そこで☗3四歩と突いて桂馬を取りにいきました。ここは☖7五歩も有力だったそうですが☖4四歩と突きました。次は逃げられるので☗3三歩成はこの一手。そこで☖同金と取ったのがいい受け方だったようです。
ここから☗5六歩☖5四歩。この局面で☗5五歩と突いて2九の桂馬を使うのが本筋だったようです。実戦は☗7四歩と取って☖7二飛に☗4八金と固めました。後手は☖2四金。
この局面は先手の駒得ですが銀は打っていて,後手が受け止めることには成功しているようです。ただ,この対応自体は先手としても有力なのではないかと思います。将棋は決着がつく直前まで僅差の競り合いが続いていたものと思われますが,基本的に攻勢をとっていた先手が勝ちました。
羽生三冠が先勝。第二局は25日です。
なぜ現実性について理解するときに,持続とは無限定な存在の継続であるDuratio est indefinita existendi continuatioという第二部定義五だけを知っていても十分ではないのかといえば,最も簡潔にいえば,第一部公理四に関係します。この公理Axiomaによれば結果の認識は原因の認識を含んでいなければなりません。あるものが現実的存在としてあるいは現実的本性actualis essentiaを有するものとしてあるようになるときには,それは結果としてそうなるのです。したがってその認識はその原因の認識を含んでいなければなりません。いい換えればその原因の認識に依存していなければなりません。ところが存在は無限定な継続であるということは,たとえばあるものの現実的存在および現実的本性の原因ではあり得ません。というより,もっと一般的な意味で現実性の原因でもあり得ません。現実性の理解のためにはその原因の認識が不可欠なのであり,これだけでは不十分であることはここから明白でしょう。
このときに,一般に個物res singularisの本性と個物の現実的本性は異なっているということが重要なのです。それは異なったものなので,論理的には一方が原因であって他方が結果であるということができることになります。ところが,一般に個物の本性は個物の現実的本性の原因ではあり得ません。もちろん個物の現実的本性の方が個物の本性の原因ではあり得ないことは明白でしょう。しかるに,第一部公理三によれば,一定の原因が与えられると一定の結果が生じることになっています。つまり原因が同一であるなら結果も同一であることになります。逆に同一の結果が生じるときには,その原因は同一であるということになります。ところが個物の本性と個物の現実的本性は同一のものではなく異なったものなので,それらが同一の原因によって与えられるということはありません。したがって一般に個物の本性および存在の原因が何であるのかということを知っていたとしても,それで個物の現実的本性および現実的存在の原因を知っているということにはならないのです。なので個物の現実的存在および現実的本性について理解する場合には,それだけを抽出して,個物の本性および存在とは切り離して考えていかなければなりません。
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