スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨晩の第62回ダイオライト記念 。
マイネルトゥランが押して先手を主張。このために発走後の向正面では一時的に2番手との差がかなり開きました。その時点で2番手にはマイネルバイカ。グレナディアーズとクリソライトが並んで3番手。ユーロビートが単独の5番手。キープインタッチとケイリンボスが並んで6番手。7番手がトーセンハルカゼで8番手にウマノジョー。1周目の正面に入ると先手を取り切ったマイネルトゥランがペースを落としました。ここで上昇したきたクリソライトが1馬身差で2番手に。また1馬身差でマイネルバイカが3番手。また1馬身差でグレナディアーズが4番手でこの4頭が先行集団。少し間を開けてユーロビートの隊列に。最初の1000mは63秒2で,昨晩の馬場状態からすると超ハイペース。
2周目の向正面に入るとクリソライトとマイネルバイカの差が開き始め,後ろから動いてきたグレナディアーズがマイネルバイカの外に。また少し離れてユーロビート,トーセンハルカゼ,キープインタッチ,ケイリンボス,クラージュドール,ウマノジョーという隊列に。3コーナーを回るとクリソライトがマイネルトゥランに並び掛け,マイネルトゥランは一杯。自然と4コーナーを先頭で回る形になったクリソライトがそのまま後続を寄せ付けずに圧勝。コーナーで捲り気味に進出してきたユーロビートが6馬身差で2着。向正面で後ろから動かれたときにはじっとして,溜めた脚を最後に使ったウマノジョーが直線では大外から伸びて5馬身差で3着。4着のグレナディアーズとも4馬身の差がつき,上位はばらばらでの入線になりました。
優勝したクリソライト は昨年9月に遠征した韓国のローカル重賞以来の勝利。重賞は昨年のダイオライト記念 以来で5勝目。第60回 も優勝していてこのレース三連覇。ここは実績からは負けられないような相手関係。ですから優勝は順当といえますが,このペースを先行して後続を千切りましたので強い内容であったといえます。よほど船橋のコースに適性があるのでしょう。それでもトップクラスとは差があるようです。父はゴールドアリュール 。母の父はエルコンドルパサー 。祖母がキャサリーンパー 。半妹に2016年のJRA賞 最優秀4歳以上牝馬のマリアライト 。半弟に2015年の神戸新聞杯を勝っている現役のリアファル 。Chrysoliteはペリドットの別名。
騎乗した武豊騎手 は第56回 ,60回,61回に続き三連覇となるダイオライト記念4勝目。管理している音無秀孝調教師は三連覇でダイオライト記念3勝目。
スピノザとスぺイク 一家との関係が良好であった点に注目すれば,スぺイクに集会への参加を誘われたスピノザが,それに応じてコルデスの説教を聞きにいく機会がまったくなかったとはいえないと思います。しかしスピノザは説教を必要とはしない人間であり,かつそれがスピノザの自己認識でもあったに違いないのですから,スピノザの方から望んでそれを聞きに行くというようなことはなかったと考えるのが妥当です。スピノザがスぺイクにコルデスの説教の内容を尋ねるということが日常会話の範疇の中ではあって不思議でないように,集会への参加というのも,日常生活上の人付き合いの範囲の中でならあっておかしくありません。スピノザはここで5年以上も暮らしたのですから,そういうことが何度かあったとしても奇妙であるとはいえないでしょう。ですが,スピノザがそれを積極的に行ったということ,他面からいえばスピノザのうちに,コルデスの説教を聞きたいという欲望cupiditasが現実的に存在したということは考えられません。また,スピノザのユトレヒト訪問 がこの時期にあった史実であるように,スピノザはそれほど時間に余裕がある人間だったとも思われません。これについては『ある哲学者の人生 Spinoza, A Life 』でも,スピノザはアムステルダムまで旅することがあったとされていますし,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizのように,スピノザを訪問してきた客人との面会も少なくなかった筈です。ですから,日常生活の範囲内でコルデスの説教を聞きにいったことがあった可能性については僕は否定しませんが,スぺイクがコレルス Johannes Colerusに証言したように,そういうことがしばしばあったということはあり得ないと僕は解します。したがってこの点については,コレルスがスピノザによい印象を抱くように仕向けるために,スぺイクはコレルスに偽りの証言をしたのではないでしょうか。
さらにもうひとつ,スピノザがコルデスの説教を聞きにいくことが事実としてあったのだとしても,そういうことがしばしばあったとは僕には考えられない別の理由があります。それはケッテルリンフへの助言 のエピソードとの整合性です。このふたつは,共に事実であることはできないと僕は考えるのです。
13日の第28期女流王位戦 挑戦者決定戦。対戦成績は本田小百合女流三段が1勝,伊藤沙恵女流二段が1勝。
振駒で本田三段の先手。伊藤二段のウソ矢倉に対して居角左美濃から急戦策 を用いました。先手でこの形にできるのなら有力な作戦になるのではないかと思います。後手が基本的に面倒をみる指し方を選択したので,先手が攻めきれるか後手が受けきって反撃に回れるかの勝負となりました。
後手が香車を取って角を成った局面。後手の攻め駒も迫りつつあるので先手もゆっくりとはしていられません。
☗3三金と打ち込んでいきました。後手は☖4四金と交わし☗5四桂にも☖5一銀と逃げました。先手が☗2三金と取ったとき☖8八歩成と反撃していくのもありましたが方針通りに☖5三歩。
先手はこの桂馬を取られてはいけませんから☗8三銀 と打ちました。ここは飛車の逃げ場所がなく,後手が窮したかに思えましたが☖6四歩☗同馬☖8三飛とする手がありました。ただし☗5三桂成と打った歩を取られて☖6一玉では銀は手にできても後手の方が損をしたように思います。
この局面は☗6三馬とすると後手は☖8二飛と引くほかなく,先手は5四の桂馬を王手で成って3六の龍を抜く筋がありました。しかし単に☗3七歩と銀取りを受け☖2六龍と引かせてから☗6三馬。もしかしたら先手はチャンスを逸したのかもしれませんが,これで負けにしたわけではありません。
後手は☖8二飛と引く一手。そこで☗3二金とただのところに入ったのは才能をみせた一手です。後手が☖7四銀と打ったときに構わず☗4二金と入っていればその好手が生きました。しかし☗4一馬と逃げてしまったので☖5四金と取られることに。
第2図から☗同成桂は仕方ありませんがこれは後手玉への詰めろが続かなくなり,後手の勝ちとなっています。
伊藤二段が挑戦者に 。五番勝負を第六局まで戦った2015年度の女流王座戦 以来となる2度目のタイトル戦出場。第一局は来月26日です。
コルデスに限定せず,説教師の説教をどのような人たちが必要としているのかとスピノザに問うなら,スピノザは,理性 ratioによって能動的には敬虔 pietasであることができない人にとって必要なのであると答えるでしょう。この答えは『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』の中に書かれているといって間違いではありません。
スぺイク Hendrik van der Spyck一家の人たちのことを,おそらく理性的に敬虔であることが困難な人たちであるとスピノザは認識していました。ですからかれらにとっては説教師の説教は有用なものであるとスピノザは考えたと推測されます。とくに,コルデスが具体的にどんな内容の説教をしたのかは書かれていないものの,聖書の教えを実生活に応用することの的確さをスピノザは称賛したのだとされています。もしそれが事実であれば,どのような仕方で聖書を生かすことによって敬虔であることができるのかをコルデスは的確に教えることができた説教師であったと解することが可能ですから,その説教を聞き逃さないようにスピノザがスぺイクおよびその家族に勧めるということは大いにありそうなことだといえます。
しかしスピノザ自身はそうではありません。スピノザは事実として理性によって敬虔であることができた人物であったといえます。また,フェルトホイゼン Lambert van Velthuysenに対する反論の中で,もしも自分の生活態度をフェルトホイゼンが目撃したならば,フェルトホイゼンは自分のことを敬虔であるとみなす,他面からいえば無神論者 とはみなさないだろうと書いていることからして,スピノザ自身の精神mensのうちにもそうした自負があったと考えられます。つまりスぺイク一家の人たちとは異なり,スピノザはとくにコルデスの説教に限らずとも,説教師の説教を必要としない人だったのであり,またスピノザ自身も自分のことをそのような人間と考えていたと推定できます。そうであるなら,スピノザが自ら望んでコルデスの説教を聞きにいくようなことはきっとなかっただろうと考えられます。したがってこの逸話はスぺイクの創作である可能性が高いと僕は考えるのです。
スぺイクはコルデスにも心酔していたと思われ,集会にスピノザを誘うようなことはあったかもしれません。
第19回黒船賞 。
先手を奪ったのはニシケンモノノフ。2番手にグレイスフルリープ。外から追い上げてきたブラゾンドゥリスが3番手。この後ろにトウケイタイガーとディアマルコが併走。さらにエルウェーオージャとドリームバレンチノが併走で続き,その後ろにキングズガードで1コーナーを通過。向正面に入ると一時的にニシケンモノノフが2番手以降との差を広げていき,グレイスフルリープとブラゾンドゥリスとトウケイタイガーの3頭が集団でそれを追うという形になりました。ハイペース。
3コーナーにかけてまた差が詰まっていき,コーナーを回るとニシケンモノノフとグレイスフルリープはほぼ併走となりその外にブラゾンドゥリス。インを狙ったのがトウケイタイガーで大外を回したのがドリームバレンチノ。さらにその間にキングズガードが追い上げて6頭が圏内。直線に入るとニシケンモノノフを競り落としたグレイスフルリープが先頭に立つもその外からブラゾンドゥリスが交わして優勝。ニシケンモノノフとグレイスフルリープの間を割ったキングズガードが4分の3馬身差で2着。グレイスフルリープが1馬身半差の3着。
優勝したブラゾンドゥリス は重賞初勝利。昨年11月の武蔵野ステークスは大敗したもののそこは休み明け。その後オープンを4戦して,2着,3着,2着,1着と安定した成績を残していましたからここでもチャンスはあるとみていました。戦歴的にも着外がきわめて少ない馬ですので,これからも安定した成績を残していくことができるだろうと思います。ただし,トップクラスを相手にしても通用するのかはまだ何ともいえません。父は2001年にJBCスプリントを勝ったノボジャック 。2001年と2003年には黒船賞を優勝しているので父仔制覇。母の父はマヤノトップガン 。チップトップ 系スピードキヨフジ の分枝で3代母がロジータ 。母の半兄にレギュラーメンバー など。Blason de Lisはフランス語でユリの紋章ないしはその紋章がついた上着。
騎乗した内田博幸騎手と管理している尾形和幸調教師は黒船賞初勝利。
スピノザとコルデスの間に面識があったというのは事実であるというのが僕の見解です。そしてスピノザがスぺイク 一家の人たちに,コルデスの説教を聞き逃さないように勧めたということも事実であり得ると思います。これはケッテルリンフへの助言 に一致すると解せるからです。とくにこの一文は,スピノザがコルデスの聖書の教えの実生活への応用を称揚したということと重なっていて,それは『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』でスピノザが主張している内容に一致するといえます。他面からいえばスピノザは,スぺイク一家の人たちは,聖書への服従 obedientia,obsequium,obtemperantiaが必要な人たちであると認識していたのであって,コルデスがどのように聖書を応用すれば敬虔 pietasであることが可能であるのかということを的確に教える説教師であったら,スピノザはその説教を聞くように勧めるであろうと思われるのです。ただし,コルデスが具体的にどんな説教をしたのかということが何も書かれていませんから,絶対にそうであったと断言することは避けるべきでしょう。
一方,スピノザ自身がコルデスの説教を聞きにいくことがあったということに関しては,スぺイクの作り話である可能性も相当に高いのではないかと僕には思えます。つまり僕は,スピノザがコルデスの説教を聞きに行ったからふたりが知己の関係になったとは必ずしも考えません。それ以外の機会にふたりが知り合い,聖書ないしはキリスト教に関する何らかの会話をするということは十分に考えられることだからです。もっといえば,コルデスがどんな説教をするのかということは,スぺイクがスピノザに話したと考えられますから,ふたりの間でそういった方面の会話はなかったとしても,スピノザはコルデスの説教を賞賛するということが可能です。よって,スピノザがコルデスの説教を聞き逃さないように勧めたとすれば,それはスピノザがその内容をよく知っていたからに違いないと解さなければなりませんが,そのこと自体が,スピノザが自分の耳でコルデスの説教を聞くことがあったということの確証にはならないと僕は考えます。
スピノザがコルデスの説教を聞きにいったのは虚偽の可能性が高いという理由はふたつあります。
第三部定理五九備考 から理解できるように,スピノザが「精神の強さfortitudo」というとき,それは現実的に存在する人間の精神mens humanaの状態を直接的に意味するというわけではありません。確かにそこでスピノザは十全に認識する限りにおける精神に関する感情affectusから生じるすべての活動といっていて,それは何らかの活動状態を意味しているようにも解せます。ですがここでいわれている活動というのは能動 actioという意味であって,それに注意するなら,「精神の強さ」というのと精神の能動actio Mentisというのが同じ意味になってしまいます。その後の部分でスピノザが「精神の強さ」を勇気animositasと寛仁 generositasとに分かつとき,それらは共に欲望cupiditasであると規定されています。欲望はスピノザの哲学における基本感情 affectus primariiのひとつです。したがって「精神の強さ」というのもそういう欲望すなわち感情であると解するべきだと僕は考えます。僕たちは普通は「精神の強さ」というのを感情あるいは欲望とはみなしませんから,この点では注意が必要です。
ただし,「精神の強さ」が精神の能動と何ら関係を有さないというわけではありません。僕たちは様ざまな欲望を体験します。そのほとんどは受動的なものなのですが,第三部定理五九 から分かるように,僕たちの能動に関係する欲望というのも存在します。これらの欲望のうち,精神の能動によって発生する欲望が,「精神の強さ」といわれているのです。したがって「精神の強さ」は精神の状態を直接的には意味するわけではありませんが,間接的にはそれを含意していると解しておくのがよいと考えます。
『破門の哲学 』では,「精神の強さ」ではなく,「精神の逞しさ」という訳が与えられています。しかし「精神の強さ」といおうと「精神の逞しさ」といおうと,一般的にいえばそれがある欲望を意味するという印象を持つことはないでしょう。なので僕は「精神の強さ」という訳の方を選択しますが,これが精神の能動によって生じる欲望であるという意味であるという点には,常に注意しておいてほしいと思います。
コレルス Johannes Colerusの伝記のうちにみられるコルデスの評価が,コレルス自身によるものなのかスぺイク の証言に基づいたものであるかは不明です。ただ,たとえそれがコレルス自身による評価であったと仮定しても,スぺイクもまたコルデスを高く評価していたであろうことは間違いないと思います。このことから,スぺイクの精神mensのうちにあるスピノザの観念ideaが,コルデスを尊敬しまた賞賛するような人物の観念であるということは,自然なことであるといえるでしょう。もしもスぺイクが,スピノザがコルデスを,あるいは逆にコルデスはスピノザを,嫌っているというように表象した場合には,第三部定理三一 にあるような心情の動揺 animi fluctuatioをスぺイクは感じることになります。しかしスぺイクの証言を基にしたこの部分の記述の中には,そうしたことを疑わせる内容は含まれていません。実際にはこの部分には,コルデスがスピノザをどのように評価していたのかということは何も書かれていないのですが,スピノザがコルデスに対して示していた態度を事実であるとした場合には,コルデスもまたスピノザのことを嫌ってはいなかったということを前提にしないと成立しない部分が多く含まれていると僕には思えます。実際にはその種の証言もスぺイクはしたのであって,しかしルター派の説教師で自身の前任者であったコルデスがスピノザを評価していたとすればそれは都合がよくないので,コレルスは意図的にその証言は記述しなかったという可能性もないとはいいきれないでしょう。
いずれにしても,スぺイクの目からはスピノザがコルデスを尊敬しているようにみえていたのであって,このことに関してそれを意図的に強調することはあったとしても,スぺイクが虚偽の証言をしたわけではないだろうと僕は判断します。そしてスピノザとの間でコルデスに関する話題になることがあって,スピノザはコルデスのことを賞賛しているという文脈でスぺイクはスピノザのことばを解しそうですから,賞賛していたというのも,スぺイクの目からは虚偽ではないと思います。ただしそれは,スピノザが実際にそうだったということではないので,スピノザについての信憑性ではありません。
被災地支援競輪として実施された大垣記念の決勝 。並びは新山‐小松崎‐成田の北日本,竹内‐柴崎‐山内の中部,稲垣に田中で河端は単騎。
スタートは成田が取りました。外から稲垣が上がってきましたが,成田が譲らなかったので新山の前受けに。成田の後ろを確保していた竹内が4番手。引かされた稲垣が7番手で最後尾から河端の周回に。残り3周のバックから稲垣が上昇開始。ここに河端も続きました。しかしバックの出口から新山が突っ張り,稲垣は4番手の外で竹内と併走する形に。この隊列のまま打鐘を迎えて新山の突っ張り先行に。ここでも稲垣は前に行こうとしたように見えましたが,結局は4番手を竹内と取り合う形に。競り合いは続きましたが,稲垣の方が4番手は取りました。バックから単騎の河端が発進。しかし後方をよく見ていた小松崎がバックの出口前から合わせて発進。そのまま小松崎が後続を振り切って優勝。小松崎マークから外を踏んだ成田と,直線で新山と小松崎の間に進路を選んだ稲垣の4分の3車身差での2着争いは接戦。写真判定に持ち込まれたもの同着となりました。
優勝した福島の小松崎大地選手は記念競輪初優勝。頭角を顕し始めたのは2013年頃で,その後も記念競輪の決勝には何度か進出していましたが,優勝争いに絡むというところまではいけなかった選手。このレースは新山と竹内の間で先行争いがあるのかどうか,またあった場合はそれがどの程度まで長引くのかというのが焦点ではないかと考えていました。しかし周回中の並びの関係もあり,竹内と稲垣が中団を取り合うという展開に。このために新山がすんなりと先手を奪えるレースになったので,恵まれることになりました。自力を使う選手ですが,年齢的な面からは,徐々に追い込みタイプへとシフトしていくことになるのではないかと思います。
スピノザがコルデスを尊敬し賞賛するための絶対的な条件としてあげられることは,スピノザとコルデスが知り合いであったことです。僕はこの点については確実視してよいと思っています。コルデスがどのような生活を送っていたか分かりませんが,同じハーグに住んでいた以上,知り合う可能性はあると考えられるからです。また,コレルス Johannes Colerusはウェルフェの家に住むようになったからスピノザに興味を抱いたと思われますが,スピノザがその後でスぺイク の家に住むようになったことを知っていたかどうか分かりません。もしかしたら自分の説教の聴衆のひとりであったスぺイクからそれを教えられた可能性もあるでしょう。つまりスぺイクは自分の方からスピノザのことを話すという可能性があるわけで,そのことは対象がコレルスであろうとコルデスであろうと変わりありません。なのでスぺイクからスピノザのことを聞き及んだコルデスが,スピノザに対して興味をもつという可能性も否定できないわけで,スピノザは間違いなくスぺイクからコルデスのことを聞かされていたでしょうから,スぺイクを仲介すれば,スピノザとコルデスが個人的に知り合う可能性はそれだけ高くなるといえます。もちろんこれは僕の推測であって,確実視できるわけではありませんから,その証言自体を疑い得るという点に関しては僕も認めます。
それから,この記述で大事なのは,賞賛していたということはともかく,尊敬していたという点に関しては,実際にスピノザが尊敬していたかどうかよりも,スぺイクからみてスピノザがコルデスにどういう印象を抱いているようにみえていたかということの方が,その信憑性の判別には重要であるということです。僕は実際にスピノザはコルデスのことを尊敬していただろうし,賞賛することもあったと判断しますが,スぺイクからそのようにみえていたという点についてはなおのことそうであろうと思います。第二部定理一六系二 から分かるように,スぺイクの精神 mensのうちにあるスピノザの観念ideaは,スピノザの本性essentiaよりもスぺイクの現実的本性actualis essentiaをより多く含んでいるからです。つまりそこにはスぺイクのコルデス観が大いに反映されるのです。
⑬-1 の第2図で後手の相場は☖7三銀なのではないかと思います。ですがこの将棋では☖4六歩と突きました。これは手筋ですがこの局面で指されるのは珍しいのではないでしょうか。
先手としても後で香車が取れるとはいえと金を作らせるわけにもいきません。☗同歩は一方的な利かされですから☗同角はこの一手であったと思います。
ここでも後手は☖7三銀とは上がらずに☗7五歩と突きました。
この局面での最善手は☗9一角成かもしれません。ただそれは後手の猛攻を受けることになり,それを受けきった上で勝つということになります。銀河戦のように持ち時間の短い将棋だとそういう勝ち方をするのは困難なので先手は自重して受けに回りました。その判断自体は間違ったものではなかったと思われます。
受けに回るならたぶん☗7八金と上がっておくのがよかったでしょう。ところが☗同歩と取ってしまったので,☖5四銀と上がられました。
ここでも☗9一角成が最善手なのかもしれませんが,☖4七飛成が金取りとなってしまいますので,それは当初の方針と異なります。もし☗7八金が入っていれば成り込まれても金取りではないので,☗9一角成と指せたのではないでしょうか。
コルデスが何について博識で,どう誠実であったか具体的に記述されていない以上,スピノザが尊敬の念をもち,賞賛したことも,事実でなかったと断定することは避けなければなりません。ある種の博識とか何らかの誠実さは,コルデスがルター派の説教師であったことと無関係に,スピノザにそういった思いを抱かせる十分な理由となり得るからです。
スピノザは書簡四十三ではフェルトホイゼン Lambert van Velthuysenのことを過小評価しています。書簡四十二 の内容は,僕が読んでも『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』の要約として完成度が高いと考えられるにも関わらず,スピノザはそれを読むのに相応しくない人物という評価しか与えていないからです。しかし後にユトレヒト滞在中 にフェルトホイゼンと面会する機会を得たスピノザは,認識を改めました。フェルトホイゼンが誠実であったかは分かりませんが,博識であったことは間違いなく,会話を繰り返すうちにスピノザはそのことに気付いたからです。それによってスピノザがフェルトホイゼンに対して,尊敬の念と表現してよい思いを抱くに至ったことは,書簡六十九の内容から明白といえます。
しかしフェルトホイゼンはデカルト主義者であり,またキリスト教への信仰fidesを抱いていたのですから,スピノザの思想を全面的に受け入れるということはあり得ませんでしたし,実際にそうでした。つまりふたりは会話を繰り返しても,思想的な一致をみることはなかったのです。そして両者の思想が食い違っているということをスピノザがはっきりと理解していたということもまた,書簡六十九から明らかだといえます。それでもスピノザはフェルトホイゼンに尊敬といっていい気持ちを有するに至ったのですから,同じようなことがコルデスに対して生じることがあったとしてもおかしくありません。極端なことをいえば,コルデスの博識というのがデカルト哲学に対する博識であったなら,スピノザはやはりコルデスのことも尊敬したでしょうし,その気持ちを表明すること,つまり賞賛することもあったかもしれません。少なくともコルデスが説教師であったということは,スピノザから尊敬も賞賛もされない絶対的な原因とはならない筈です。
その試合までの過程 から,三沢がジャンボ・鶴田 に勝つのが望ましかった,馬場にとっても望ましかったという点では,僕は柳澤の解釈 に異議を唱えません。そして,単に三沢が勝てばいいというものではなく,その後に三沢と鶴田の抗争が継続するように,そしてそれまでの鶴田の経歴が尊重されるように,あまり鶴田に傷がつかないような方法で三沢が勝つのがベストな選択であったと僕は考えます。『1964年のジャイアント馬場 』でもその点は踏まえられていると僕は解します。
僕はこの試合を現地である日本武道館で観戦していましたし,その後のテレビ放送も見ました。そしてこの試合は,鶴田がかなり優勢に試合を進めていたのだけれども,最後にフィニッシュホールドであるバックドロップを放ったとき,三沢が空中で身体を反転させることによって鶴田を押さえ込むような体勢にもっていき,そのままスリーカウントが入って三沢が勝ったというように解しています。つまり試合内容は鶴田の勝ちだったのだけれども,最後の最後で三沢に逆転を許したというように解しているのです。つまり鶴田には何らの傷もつかないままに三沢が勝ったのであり,ベストといえる選択がなされたのだと解しています。
僕の感覚でいうと,このときのカウントは少し早かったようにも思えます。もしかしたら試合を捌いていた和田京平が,この場面で三沢にスリーカウントを入れれば最良の結果が得られると判断して機転を利かせたのかもしれないとすら思っています。当然ながら和田もまた,馬場の意向を汲んだ上でレフェリングしていたに違いないからです。
前にもいったかもしれませんが,プロレスの試合の解釈というのは人それぞれに任されます。ですからこれは僕の解釈なのであって,この解釈が正しいというつもりはありませんし,それを他者に強要する気もありません。柳澤はこれとは別の解釈をしていますが,それは柳澤の勝手であり,それには僕は文句はつけません。
スピノザがコルデスを尊敬し,賞賛していたという点についても,スぺイク によるフィルターが入っている可能性があるでしょう。ただしこのこと自体は事実であっても不自然ではないです。というのもこの文脈では,スピノザがコルデスを尊敬しまた賞賛した理由が,コルデスは博識で誠実な人間であったとなっているからです。
文章を読解する際に注意しなければならないのは,ここではコレルス Johannes Colerusが,自分の前任者であるコルデスは博学で誠実であったといっているのですが,コルデスとコレルスが会ったことがあるかどうかは分からないという点です。もしルター派の説教師が,派遣された土地だけで説教をしているなら,コレルスはコルデスが死んだ後,後任としてハーグにやってきたのですから,ふたりが会ったという事実はなかったとする方が妥当でしょう。しかしたとえば説教師による全体会合といったものがあったら,ふたりは同時期にオランダで説教師をしていたのですから,会ったことがある可能性の方が高くなります。したがって,コレルスによるコルデスの評価は,自身による評価である可能性もありますし,スぺイクの証言に基づいた評価であった可能性も残ります。他面からいえば,コルデスのことを博学で誠実であると認識していたのは,コレルスであった可能性もありますが,実際にはスぺイクであった可能性も残るということです。ただし,コレルスだけがコルデスをそのように認識し,スぺイクがそうは認識していなかった可能性は低いと思われます。というのはその後に記述されている,スピノザがコルデスの説教を聞きにいくことがあったということはスぺイクだけが知っていて,コレルスは知らなかった筈ですが,その理由もまた,コルデスの博識が根拠とされているからです。
このとき,スピノザが説教を聞きにいったという点については,聖書の解釈に対する博識に限定されているのですが,スピノザがコルデスを尊敬しまた賞賛したという文脈においては,単に博学といわれていて,それが具体的にどのような点に関するものかが触れられていません。また,誠実であるということについても,具体例が記述されていないのです。
『悪霊 』の作品内作者 である記者が,登場人物 のひとりであるリーザに好意をもち,恋している可能性もあると指摘していたのは,亀山郁夫 の『謎とき『悪霊』』でした。ドストエフスキー の長編小説に関する一連の「謎ときシリーズ 」は江川卓が書いているのですが,この『悪霊』だけは亀山の著作となっています。
江川による「謎ときシリーズ」は純粋なテクストの読解です。そこに作者であるドストエフスキーがどのような意味を込めようとしているのかを多角的な観点から分析するという意図があるので,作家論と作品論 とを僕がしているような仕方で分節したとき,純粋な作品論であるとはいえません。しかしドストエフスキーの意向をテクストを解読することによって解明しようという営みですから,どちらかというなら作品論の色合いが濃いとはいえると思います。それに対比していえば,この本もテクストを基礎とした読解ではあるものの,もう少し作家論の色合いが濃くなっているといえます。ドストエフスキー自身の人生体験に絡めた読解の要素が,江川のものよりも強く出ているからです。実際にこの本の中には,テクストの読解だけでなく,ドストエフスキー自身の伝記がいくつか紹介されています。それは読解に対して必要であるから挿入されているわけですから,その分だけ作家論的要素が強くなっているというのはお分かりいただけるものと思います。
全体は三部構成となっていて,第二部は2節あります。第一部が4章,第二部1節が4章,2節が3章,第三部は5章で計16章です。そしてこれらはすべてテクスト読解に費やされていて,第一部の直前と直後,第二部の直後,第三部の直後の4箇所に伝記が挿入されるという構成です。
『悪霊』という小説は,分量という観点を別にすると,ドストエフスキーの小説の中で読むのが最も大変な作品だと僕は思っています。他面からいえば読んでも何だか分からない部分が最も多い作品だと思います。その不明な部分を読者なりに解釈する一助になる評論だと思います。
スぺイク Hendrik van der Spyckの一家がコルデスの説教を聞いて帰宅した後,スピノザがその説教から何を得たかしばしば尋ねたということについては,事実というには疑問とする面があると僕は判断します。
まず,コルデスはコレルス Johannes Colerusの前任者でした。なのでコルデスとスピノザが良好な関係にあったことをコレルスに証言することは,スぺイクにとって大きな意味があったと考えられます。というのも,もしスピノザが生きていたら,スピノザとコレルスの間の関係がどのようなものになったか推測させる内容を有することになるからです。スぺイクはコレルスにスピノザに対して好印象を抱いてほしいと思っていたと僕は解していますから,スぺイクがコルデスについて証言する場合には,そうしたスぺイクの意図を無視するのは危険だと僕は考えるのです。
次に,スピノザがキリスト教への信仰fidesを抱いていなかったのは間違いない事実と断定してよいでしょう。したがって,コルデスがどのような宗教的な説教をしようと,スピノザがそれに興味を抱くということはなかったと僕は推測します。そうであるならスピノザが積極的に説教の内容を教えてもらおうとするとは僕には思えないのです。
ただし,スピノザとスぺイク一家との関係が良好であったということは事実です。したがってスぺイクとスピノザの間では,多くの日常的な会話もなされていたと解するのが自然です。そうした日常会話の中で,コルデスの説教の内容に関係する話があったとしてもそれは不思議ではありません。たとえば説教から帰ってきたスぺイクに対して,スピノザがどんな話があったのかを尋ね,コルデスがそれに答えるというようなことは,スピノザの信仰心とは無関係に,日常会話として成立し得るでしょう。また逆に,スぺイクの方から説教の内容についてスピノザに話すということなら,もっと大きな可能性としてありそうです。そういうことが日常的に繰り返されていたとしたら,スぺイクはスピノザがその内容を知りたがっていると認識したとしておかしくないように思えます。
なのでスぺイクが意図的に噓の証言をしたとはいいません。でも事実でなかった可能性もあると思います。
第8回フジノウェーブ記念 。モンサンカノープスが右後ろ足の挫跖で出走取消となり15頭。
コンドルダンスはほかの馬より少しだけ遅れるような発馬。すっと先頭に立ったのはゴーディー。外からソルテが追い掛けていきほとんど並ぶような2番手。3番手は内のサトノタイガーで4番手が外のケイアイレオーネ。この後ろはオウマタイムとサクラレグナムの併走。発走直後は前にいたものの控えたブラックレッグとタイムズアローが並んで追走。この直後にミヤジマッキーがいて,それ以外の馬はここから離されての追走となりました。最初の600mは35秒9のハイペース。
3コーナーを回るとゴーディーを外から交わしたソルテが先頭に。ケイアイレオーネがさらに外から楽な感じで追い掛け,その内からサクラレグナムも追撃。直線に入るとソルテは一杯になり,ケイアイレオーネが先頭に。サクラレグナムは直線ではケイアイレオーネの外に出し,その外から伸びてきたタイムズアローとの併せ馬で追い掛け,フィニッシュが近づくにつれてその差は詰まっていきましたが,2頭とも届かず,優勝はケイアイレオーネ。外のタイムズアローが競り勝って4分の3馬身差の2着。サクラレグナムがクビ差で3着。
優勝したケイアイレオーネ は報知オールスターカップ 以来の勝利で南関東重賞は3勝目。重賞を2勝している馬ですから能力は確かでここも優勝候補の1頭。昨年以降は長距離戦ばかりに出走していたので,この距離に対応できるのかが最大の鍵でしたが,楽に先行集団に加わることができました。気の難しさがある馬なので,外の方からすんなりと前にいけたというのがよかったということもあったでしょうが,むしろ集中して走ることができる分だけ,こういう距離の方が適性は高いという可能性もあるのではないかと思います。従姉の子に2014年のエーデルワイス賞 を勝っている現役のウィッシュハピネス 。Leoneはイタリア語で獅子座。
騎乗した大井の的場文男騎手は報知オールスターカップ以来の南関東重賞制覇。フジノウェーブ記念は初勝利。管理している大井の佐宗応和調教師もフジノウェーブ記念は初勝利。
第三部定理三二備考 で示されているようなスピノザの子ども観に着目した論考として,浅野俊哉の『スピノザと〈成熟〉の主題』があります。ただしこれはスピノザの哲学に限定されたものではなく,ドゥルーズGille Deleuzeとガタリが『千のプラトー』で,子どもになることを賞賛し,同時にそれをスピノザの哲学と関連させていることを主題としたものです。現代思想の1996年11月臨時増刊の総特集スピノザに収録されています。また,浅野には『スピノザ 共同性のポリティクス』という著書があり,そちらでも読むことが可能です。ただしそちらでは「〈成熟)の主題」というタイトルになっています。
著書といいましたが論文集ですので,ひとつの主題が最初から最後まで通して示されているわけではありません。第9章までありますので,9本の論文によって構成されているものです。各々の章に簡単な副題があり,第5章の「〈成熟〉の主題」のそれは強度です。ここでは力 potentiaの問題が展開されているのでこうした副題となっています。
内容を紹介するためには副題を紹介するのが手早いでしょう。第1章は現代性で,これはそのままです。ただし書かれたのは1990年ですから,その時点での現代性です。
第2章は倫理です。ここではニーチェの『善悪の彼岸』がとりあげられています。
第3章は理性です。これはそれ以上の説明を要さないでしょう。
第4章は組織化です。ここでは自然権jus naturaleなども扱われます。
第6章は環境です。これはディープ・エコロジー派といわれる環境主義者とスピノザ哲学との関係性が吟味されます。実は環境主義者の中にはスピノザの哲学を理論的な支柱とする考え方があるらしく,そうした見解opinioの妥当性が探求されるというのが,スピノザ哲学の側からみた場合のこの章の主題ということになるでしょう。僕は環境哲学には詳しくないのでそういう読み方しかできません。
第7章は民主主義です。これについても詳しい説明は不要かと思います。
第8章が抵抗で,第9章はマルチチュードです。これらは現代政治論と関係する論考です。基本的に浅野はこの方面の関心が強いように僕には思えました。
5日に新潟市で指された第42期棋王戦 五番勝負第三局。
千田翔太六段の先手で渡辺明棋王 のごきげん中飛車 。⑤から①-Bの変化に合流。先手がかなり早い段階で仕掛けていく将棋となり,後手の対応が拙かったようで中盤でははっきりと先手が優位に。そのまま終盤戦に突入しましたが,ちょっとした波乱が待ち受けていました。
後手が桂馬を打ったところですが,この局面は先手玉は絶対に詰まないので攻めていくことになります。☗5二金☖5九桂成☗6一金☖同銀☗4二飛が最善の手順。しかし単に☗4二飛と打ち☖5九桂成という手順に進みました。
この局面では☗7一銀が浮かびますが☗6三金と打ちました。後手は☖7一金打と抵抗。このときに6一にいる駒が銀であれば☗同馬があって成立しないので,先に☗5二金と打っておいた方がよかったことになります。
先手は☗5九銀と取って☖2四角 と打たせました。これは☗7一馬から後手玉は詰んでいて,その手順に進めば好手だったということになるでしょう。ところが先手の読みは違っていて☗7四桂☖同歩☗6四馬と進めました。
第2図は局面としては難解で☖7三桂打とすれば,後で絶妙手があって後手有望の変化だったようです。しかし☖9二王と逃げました。これでも難しそうなのですが☗9五歩と突いたのが妙手。これが詰めろで先手が辛くも逃げ切っています。大抵の将棋は対局者の読みが正しいものですが,この将棋は控室の検討の方が正確だったという珍しいケースでした。そうなったのは控室では先手が勝ちを読み切っているという前提で検討しているのに対し,対局者はそうではなかったからだと推測されます。
千田六段が勝って 2勝1敗。第四局は20日です。
スピノザがスぺイク の家の子どもたちに,両親のいいつけに従って,公の礼拝に参列するように諭したというエピソードのうち,両親のいうことを守るようにという部分についてはここでは考察の対象から除外します。これはキリスト教の教えと無関係にいわれ得ることだからです。実際にスピノザがそのように言ったことがあるという可能性は高いと僕は思うということことだけ表明しておきます。ただ,スぺイクの子どもはスピノザが死んだ時点で最高齢が9歳でした。まさかその意味も分からない子どもに対してスピノザが何か諭したということはないでしょう。それはこれから説明する,礼拝への参列を促す発言の場合にも同様です。
スピノザが子どもに対して礼拝への参列を促すというのは,スピノザ自身の見解と大いに調和するものであると僕は考えます。というのも,スピノザは基本的に,きわめて受動的な現実的本性 actualis essentiaを有する子どもが,より多く能動的であることが可能になる大人へと成長するという類の人間観を有しているふしが窺えるからです。代表的な例として第三部定理三二備考があります。
「小児はその身体がいわば絶えざる動揺状態にあるがゆえに,他の人々の笑いあるいは泣くのを見ただけで笑いあるいは泣くのを我々は経験している。さらにまた小児は他の人々がなすのを見て何でもすぐに模倣したがるし,最後にまた他の人々が楽しんでいると表象するすべてのことを自分に欲求する 」。
要するに子どもは感情の模倣 affectum imitatio,imitatio affectuumをしがちである,それだけ受動的な存在であるとスピノザはこの部分で述べているのです。それが子ども観として正しいかどうかはここでは追求しません。スピノザが基本的に子どもをそのようにきわめて受動的な存在であると認識していたということが分かれば十分です。
このために,子どもが敬虔 pietasであるためには,能動的にすなわち理性 ratioに従って敬虔になるということはきわめて困難で,服従 obedientia,obsequium,obtemperantiaによって敬虔であることしかできないとスピノザが判断するのは自然なことです。つまり神Deusへの服従を促すこと,いい換えれば礼拝への参列を促すのも,自然なことです。なのでこれは事実であっておかしくありません。
被災地支援競輪として実施された昨日の玉野記念の決勝 。並びは吉田‐神山の関東,村上‐金子の近畿中部,原田‐堤‐岩津の四国中国で早坂と石井は単騎。
石井がスタートを取って前受け。2番手に村上,4番手に原田,7番手に早坂,8番手に吉田という周回に。吉田から動いていきましたが,残り2周のホームからバックにかけてかなり原田を牽制していきました。バックに入ってから吉田が踏み込むと,村上が合わせるように出ていき,打鐘で先行態勢に入った吉田ラインの3番手を取りました。ずっと蓋をされていた原田は前が開くと発進。ホームで吉田に襲い掛かりましたが吉田が応戦したのでここからバックまで先行争いに。8番手まで引いていた早坂がバックから発進すると,原田ラインの3番手を追走していた岩津がそれに合わせて自力で発進。この捲り争いは岩津の方が制して直線では先頭に。流れ上ずっとインで詰まっていた村上は岩津が自力に転じたことでこれを追い掛けることができ,コーナーでは早坂のさらに外に。さらに外を捲ってきた石井を弾くとそのまま直線も外から伸びて岩津を捕えて優勝。岩津が4分の3車身差で2着。村上マークの金子が4分の3車輪差で3着。
優勝した京都の村上義弘選手 はKEIRINグランプリ2016 以来の優勝。記念競輪は昨年4月の高知記念 以来の通算32勝目。玉野記念は2013年 以来4年ぶりの2勝目。僕はこのレースは先行は吉田で,3番手を取った選手が有利になると思っていて,先行争いは想定していませんでした。ただ,吉田の走り方からすると原田との先行争いは十分に推測していたように思えますので,とんだ見当違いであったことになります。吉田の3番手を取ったのはうまかったのですが,先行争いが長引いたためインで不発という展開になりそうでピンチに陥ったかにみえました。しかし早坂の駆けたタイミングで地元の岩津が出ていくことになり,進路ができました。結果オーライではありますが,3番手を狙った作戦がよかったということにはなるでしょう。
運命とは何であるかを考えることは意味がないと僕は思っています。ただ,スピノザの時代において神学と哲学との関連では,運命がことば自体として特別の意味を有していました。スピノザの思想に対する批判のひとつに,スピノザは神Deusを運命に従属させているといういい回しがみられるからです。そこでこの点について簡単に僕の見解を表明しておきます。
神を運命に従属させているといういい回しがスピノザに対する批判であり得たことから分かるように,運命という語は,少なくとも神との関係においては否定的な意味をもっていました。いい換えれば神は運命に従属することはないと認識されていたということです。そしてこの点については,スピノザの認識も同一であったとみなしてよいと思います。典型的な例をあげれば,第一部定理三三備考二 で,意志と善意 を比較して,神の本性に意志voluntasを認めることは神の本性に善意を認めることより真理veritasに近い,真理ではないけれど真理に近いとスピノザがいうとき,神の本性に善意を帰することは神を運命に従属させることにほかならないといういい回しでそれを批判しているからです。
『知の教科書 スピノザ 』では,神の本性に意志を認めるのはデカルトの考え方で,神の本性に善意を認めるのがライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの考え方であると書かれています。これは正しい主張であると僕は考えます。ただ,スピノザはデカルトの哲学については詳しく知っていましたが,ライプニッツの哲学を同じように知っていたということはあり得ません。したがってスピノザがここでデカルトの方がライプニッツよりましであるという意味のことを主張したということはない筈です。
スピノザが神を運命に従属させたと批判されたのは,神の本性に意志を認めなかったことが大きな原因となっていると思います。しかしすべてが神の本性の必然性necessitasによって生じる,神も神自身の本性の必然性によって生じるということは,スピノザにとっては神を運命に従属させるどころか,神の完全性perfectioを最高にするために必須でした。なのでその必然性から生じること自体を運命という語で表現することを,スピノザはしなかったろうと僕は思います。
日本時間で昨夜にドバイのメイダン競馬場で行われたドバイワールドカップデーの前哨戦 の2レースに日本馬の遠征がありました。
マハブアルシマールGⅢダート1200mに出走したディオスコリダーは大外枠からやや外に逃げる感じの発馬。3番手の外を追走していきましたが,3コーナーを回ってから騎手の手が動き出すと前を追走できなくなり,勝ち馬からおよそ3馬身4分の3差の7着でした。
この時期の3歳馬が古馬を相手にレースをするというだけで大変なこと。まして海外でのレースとなればなおさらでしょう。前半のペースがさほど速くならなかったからということもあったでしょうが,レースの前半はついていかれたわけですから,十分な内容であったといってもいいように思います。
アルマクトゥームチャレンジラウンド3GⅠダート2000mに出走したラニはほかの馬よりやや遅れ気味の発馬。騎手がずっと手を動かしていましたが,前の集団に取りつくこともなかなかできませんでした。3コーナーを回ってから1頭,直線でも1頭は交わして勝ち馬からおよそ6馬身半差の6着でしたが,レースに参加したとはいえないような内容でした。
このレースも前半はスローペースであったと思われます。それでいてこの内容というのは,馬自身の気持ちの問題もあったでしょうが,スピード不足という印象が否めません。活躍の舞台は長距離戦ということになっていくのではないでしょうか。
伝記の第九節のコレルス Johannes Colerusの記述が,どこまで信用に値するかを探求していきます。ただし,以下に示すのはあくまでも僕の見解です。なのでそれが真実であったと解さないようにしてください。少なくとも,記述に疑念をもち得ることは間違いなく,そのことは証言者としてのスぺイク の信用性に疑義を唱えているフロイデンタール Jacob Freudenthalの見方を補強することになると思います。
まず,スピノザが病床についた人たちに,その運命が神Deusによって課せられたのであるからじっと辛抱するように諭したということについては,事実であったとしてもおかしくはありません。ただし,このときにいわれている神というのは,キリスト教における神という意味では,少なくともスピノザの精神のうちではあり得ないことになります。すでに説明したように,スピノザがキリスト教を信仰していたということはないからです。それでもこれが事実であっておかしくないといえるのは,第一部公理三 により,一定の原因 が与えられれば必然的に結果が生じるということからして,現実的に存在するある人間が病気になるというのは,病気になる原因から生じる必然的な結果であるからです。そしてこのとき,第一部定理一六系三 により,神が絶対的に第一の原因であるので,その病気に罹患する原因は神であるということになるでしょう。これをキリスト教徒に通じるようなことばとして変換したとき,その病気は神から課せられた運命であるということになるのです。したがってこの神は,スピノザの精神のうちにおいては第一部定義六 でいわれているような神でなければならないのですが,スピノザがこのように発言することは,スピノザ自身の哲学に著しく反するということはありません。一方,スぺイクはキリスト教徒としてこの発言を聞くでしょうから,そこでいわれている神というのを,自分が信仰している神という意味に解することになります。いい換えればスぺイクはこの発言を,キリスト教の教えと調和的なものと解することになります。だからこういうことは事実としてあっても不自然ではありません。
ただ,スピノザが運命ということばを用いるかは微妙だと僕には思えます。
第四部定理五六備考 にあるように,自卑abjectioは高慢superbiaよりは容易に矯正され得ます。それは自卑が悲しみtristitiaの一種であり,高慢が喜びlaetitiaの一種であるという点に注意するなら,第四部定理一八 から帰結させることができます。ではその第四部定理一八はどのようにして証明されるのでしょうか。
まず第一に,第四部定理四 は,人間が現実的に存在するという場合にのみ妥当するのでした。したがって第三部諸感情の定義一 でいわれている人間の本性humana naturaは,人間の現実的本性 actualis essentiaであることになります。第四部定理一八は,そこで定義されている欲望cupiditasについて言及されているのですから,この定理Propositioでいわれている事柄も,人間が現実的に存在している場合にのみ妥当するということを踏まえておかなければなりません。
次に,人間の現実的本性は,第三部定理七 にあるように,自己保存 の傾向conatusに合致します。そして,第三部諸感情の定義二 により,喜びとはより小なる完全性perfectioへの移行transitioであり,第三部諸感情の定義三 により悲しみはより大なる完全性からより小なる完全性への移行です。このとき,第二部定義六 に示されているように,完全性とは実在性 realitasのことであり,スピノザの哲学における実在性とは力 potentiaという観点からみられる限りでの本性であることに注意すれば,喜びは人間の現実的本性に合致し,悲しみは人間の現実的本性に相反するということが理解できます。
したがって,人間が何らかの喜びを感じ,その喜びによって欲望を感じるなら,それはその喜びの感情自体によって促進されることができます。しかし悲しみを感じることによって欲望を感じた場合には,逆に悲しみの感情によってその欲望は阻害されてしまうことになります。ごく単純にえば,人間は喜びは維持しようと欲望しますが,悲しみを維持しようとは欲望しません。これは経験的にも明白だといえるでしょう。
よって悲しみからある欲望が生じるなら,その大きさはそれを感じる人間の現実的本性だけで規定されます。しかし喜びから生じる欲望の大きさは,それに加えて,欲望を促進させる外部の原因からも規定されます。なので条件が同一なら,喜びから生じる欲望は悲しみから生じる欲望より大きいということになるのです・
スピノザのケッテルリンフへの助言 は,コレルス Johannes Colerusの伝記の第九節に記されています。そしてこの節の中の,助言のエピソードの直前の部分は,スピノザの言動がキリスト教の教えに反するものではなかったということで占められています。証言者としてのスぺイク がどの程度まで信頼に値するかということを調べるためには,そうした記述の信憑性を考察してみなければなりません。ですからそこに書かれていることを示しておきます。
まず,スピノザは家の夫人,すなわちケッテルリンフや近所の人が産褥についたり病気になったりしたときには,必ず話しかけて慰めたとあります。そのときスピノザは,そうした運命が神Deusによって課せられたのであるから,じっと辛抱するように諭したとされています。
次に,スピノザはスぺイクの子どもたちに対しては,両親のいうことには従って,公の礼拝には参加するよう諭したとあります。
さらに,スぺイクの一家が集会,というのは説教師による説教のことですが,そこから帰ってきたときに,信仰fidesを固くするためにその説教から何を得たのかをしばしば尋ねたとされています。
そしてこのときの説教師であったコルデス,これはコレルスの前任者に該当する説教師ですが,このコルデスという人が博学で誠実であったから,スピノザはとてもコルデスのことを尊敬し,賞賛することもあったと書かれています。
最後に,スピノザはコルデスのことを尊敬していたから,スピノザ自身もときにコルデスの説教を聞きにいくことがあったとされています。そしてその説教を聞き,博学な聖書に対する知識と,その聖書の教えを実生活に生かす方法の的確さを大いに称揚したとあり,スぺイクの一家にも,コルデスの説教を聞き逃さないように勧めたとされています。
すでにいったように,コレルスによる伝記は,スぺイクの家に間借りしていた当時のスピノザが,まるでキリスト教徒となったかのような通念を産み出すことになったと『ある哲学者の人生 Spinoza, A Life 』には書かれていました。ナドラーSteven Nadlerがいう,そういう通念を産出した要素というのは,これらの部分にそのすべてが含まれていたと解していいと思います。
一昨日から昨日にかけて佐渡島で指された第66期王将戦 七番勝負第五局。
郷田真隆王将の先手で久保利明九段のごきげん中飛車 。①-Bの変化から先手がかなり積極的に仕掛けていく将棋に。ただ後手がうまく対応して,一時的には指しやすくなっていたように思います。ですがその後の中盤の指し方に問題があって苦しくしたということだったのではないでしょうか。
先手がと金を作った局面。ここで☖3七歩と垂らしましたが,これがよくなかったのかもしれません。代替案としては☖3六銀と出る手と☖5六歩と中央を攻める手のふたつが考えられるでしょう。
先手は☗2六飛と取りました。後手はすぐに☖3八歩成と成り捨てて☗同金に☖3四歩ですが,銀は取れても大きな得にはなっていなかったようです。
ここから☗3七桂☖4四銀☗2二歩☖3五歩☗2一歩成☖3六歩☗同飛まで必然的な応酬だったように思うのですが,ここでは先手の飛車が直通しているのですぐに☖2一金と取れず☖3五銀と打たなければなりませんでした。
☗1六飛はたぶんこう逃げるところで後手は☖2一金と取りました。そこで先手は☗3六歩と打ち☖4四銀の撤退に☗2六飛。
第2図まで進んでは先手の方が指しやすそうです。後手は☖4四銀と引かずに☖2六銀と出てしまい,☗2七歩なら☖3七銀成☗同金と駒損になりますが飛車を使いにくくさせた方がまだよかったかもしれません。
この後,先手が飛車の成り込みに成功したあたりでは後手は粘るだけになってしまうのではないかと思いましたが,終盤は思いのほか後手が追い込みました。ただ逆転には至っていなかったのではないでしょうか。
郷田王将が勝って 2勝3敗。第六局は14日と15日です。
スぺイク がスピノザによるケッテルリンフへの助言 をコレルス Johannes Colerusに証言したとき,スピノザがキリスト教への信仰fidesを有していなかったということがこの逸話の暗黙の前提となっていることに気付いていなかった可能性はあると思います。スピノザのことを敬愛していたスぺイクには,コレルスにもスピノザに対していい印象を抱いてほしいと思い,それに沿って証言する動機があったと考えられますが,スピノザはキリスト教を信仰していなかったという事実は,むしろコレルスのスピノザに対する印象を悪くするであろうからです。
しかしスぺイクがその前提に気付いていなかったなら,それはむしろその逸話が事実であったという可能性を高めるのではないかと思います。なぜならもしこれがスぺイクによる創作であったとするなら,その場合にはスぺイクがその前提に気が付かないという方が不自然であるからです。僕のように完全な第三者の立場にある人間が,この部分の記述を読めばスピノザはキリスト教を信仰していなかったということが分かるのですから,この話がスぺイクの創作による物語であったなら,その物語の作者であるスぺイクがも当然そのことに気付く筈だからです。よってこの物語はコレルスに話すには相応しくないとスぺイクは判断することになるでしょう。しかし実際はスぺイクはそれを証言したのですから,これは物語ではなく事実であったと判断するのが妥当であると僕は考えます。
したがって,この逸話の暗黙の前提になっている事柄を,スぺイクが気付いていたとしてもいなかったとしても,多少の脚色は含まれているかもしれませんが,逸話の大筋は事実であったと解してよいでしょう。つまりケッテルリンフは事実としてスピノザに相談したのだし,スピノザは記述されているような内容の解答をしたのです。スピノザがキリスト教を信仰していないということがこの逸話に含まれていることを,スぺイクが気付かなかったのなら,それはスぺイクの創作ではあり得ません。もし気付いていたのなら,創作ではなかったから証言したのだというように解せるからです。
この前提が,ほかの部分の読解に影響すると僕は考えています。
一昨日の第10期マイナビ女子オープン 挑戦者決定戦。対戦成績は里見香奈女流名人が14勝,上田初美女流三段 が4勝。
振駒 で先手になった里見名人の三間飛車石田流に後手の上田三段が銀冠 で対抗。ただこの将棋は後手の序盤戦術が拙かったために先手にリードを許し,そのまま終盤戦まで進むことになりました。勝ちきれば先手の快勝譜だったのですが,寄せに入ってからミスを連発したために逆転を許すことに。
後手の馬が8七にいた時点で☖4四歩と突いて馬筋を通したのに対し,先手が☗6五歩☖同馬☗6六歩と打って飛車の直通を遮断し,また後手が8七に馬を逃げたという局面。
飛車の成り込みが消えているのでここで☗3二金と取っていれば後手は☖同銀だと☗2四馬と引かれて5七のと金まで取られそうなので☖同馬と応ずるよりなく,そこで☗4一銀と打てば先手の勝ちでした。ところが☗5五金☖7四飛☗6五金と馬の利きを遮断することを優先。このために☖7九飛成とされて俄かに先手玉も危なくなりました。先手はそれから☗3二金と取って☖同玉。
先手はここで☗4三銀☖同玉と捨てて☗5二と と攻めたのですがこれが敗着。上部を押さえていた金を☖6五馬と取られて逆転しました。第2図では☗4二銀と打っておけば,きわどいながらも先手が残していたようです。
上田三段が挑戦者に 。マイナビ女子オープンの五番勝負は第8期 以来2年ぶり5度目の出場。第一局は来月11日です。
あるエピソード として紹介したスピノザのケッテルリンフへの助言 は,スぺイク による創造であるどころか脚色すら加えられてない事実であると僕が考えるもうひとつの理由は,なぜンケッテルリンフがこの質問をスピノザに対してしたのかという点にあります。
僕はスピノザに対してスぺイクは敬愛の情を抱いていたし,尊敬の念も有していたと考えています。その理由はスピノザの日常生活が著しく敬虔 pietasであったからと考えます。他面からいえば,スぺイクからはスピノザの日常生活がそうみえていたからと考えます。そうであるなら,スぺイクの妻としてスぺイクと同じようにスピノザの日常生活の目撃者であったケッテルリンフも,スピノザの生活をそうみていただろうと考えることができます。
このとき,スピノザがキリスト教に対する信仰心を有していたならば,厳密にいうとこれはルター派に対する信仰fidesを有していたならばという方がよいかもしれませんが,ケッテルリンフはスピノザはそのゆえに敬虔であり,幸福な生活を送っているのだと判断できた筈です。ですから自分の将来の幸福に対する不安 metusというのを感じずにすんだことでしょう。ところが事実はそうでなく,信仰を有していないようにみえたスピノザが,敬虔かつ幸福な暮らしを送っているようにケッテルリンフにはみえたのです。そのゆえにケッテルリンフは信仰を有している自分の将来の幸福に対して疑問を感じ,このままルター派への信仰を続けていてよいものだろうかとスピノザに相談したのです。要するにケッテルリンフは,信仰をもたないスピノザの生活ぶりを目撃することによって,自分の信仰に対する疑問を抱くことになったのです。
したがってこのエピソードがスピノザとキリスト教との間の関係について何を示しているのかといえば,スピノザはキリスト教に対する信仰を有していなかったのだということなのです。そしてそれは事実です。スピノザはオルデンブルク Heinrich Ordenburgに宛てた書簡七十八において,イエスの復活についてはそれを比喩的に解するといっていて,それを字義通りに解さないのなら,キリスト教を真の意味で信仰していることにはならないであろうからです。