キヨフジ記念の第63回エンプレス杯。
ブランシェクールは出負け。まず先頭に立ったのはリンダリンダ。この後ろにポッドガゼール,ヴィータアレグリア,ワンミリオンス,タイニーダンサーの4頭が並んでいましたが,ここからポッドガゼールとタイニーダンサーが抜けて2頭で2番手を併走。控えたワンミリオンスが単独の4番手でさらに控えたヴィータアレグリアは内のタマノブリュネット,外のトーセンマリオンと3頭でその後ろを追走という形に。正面に入るとヴィータアレグリアが外から進出。リンダリンダのハナを叩いて先頭に。ワンミリオンスもリンダリンダの外に並んでこの2頭が2番手を併走するという隊列に変化。超スローペースでした。
3コーナーを回ってワンミリオンスがヴィータアレグリアを捕まえにいきました。このときワンミリオンスは手が動いていたのに対しヴィータアレグリアは楽な感じだったのですが,直線の入口で並んで競り合いになると,意外なほどヴィータアレグリアは粘れず,先頭に立ったワンミリオンスがそのままフィニッシュまで押し切って優勝。3番手から追ったリンダリンダもヴィータアレグリアを捕まえて2馬身差の2着。最後は一杯になってしまったヴィータアレグリアは4分の3馬身差で3着。
優勝したワンミリオンスは前走のTCK女王盃に続いて重賞連勝。相手関係は前回より楽になっていましたので,優勝候補の筆頭と考えていました。それ以前は短い距離ばかりを走っていたので,さらに距離が伸びるのは懸念材料でしたが,能力の差でそれを克服した形。その点では超スローペースになったのは幸いしたかもしれません。底は見せていないので,さらに強い相手でも連勝を続けられる可能性があると思います。父はゴールドアリュール。母の半弟に2009年のジャパンダートダービーと2012年のフェブラリーステークスを勝ったテスタマッタ。One Millionthは百万分の一。
騎乗した戸崎圭太騎手と管理している小崎憲調教師はエンプレス杯初勝利。
あるエピソードは,スピノザの具体的な行為が,直接的にキリスト教と関連付けられた記述です。こうした記述が,コレルスJohannes Colerusの伝記にはみられるけれどリュカスJean Maximilien Lucasの伝記にはみられないものの代表例として挙げられます。ただし,このエピソードに関しては,創作ではなく,脚色も加えられていない可能性が大であると僕は考えています。その理由はふたつあります。
この出来事は,スぺイクの夫人であるイダ・マルガレータ・ケッテルリンフとスピノザの間で交わされたものです。ケッテルリンフがスピノザに対して,自分の宗教,これはキリスト教プロテスタントのルター派への信仰fidesを具体的には意味すると推測されますが,その宗教への信仰を続けてもよいだろうかと尋ねたところ,スピノザはその宗教は立派なものであるから信仰し続けることによって幸福になれると答えたというのがその概要です。
『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,このスピノザのアドバイスは,十中八九はスぺイク一家に対する敬譲から出たものであろうとされています。僕もそういう可能性があることは否定しませんが,必ずしもそのように解する必要はないものと考えます。なぜなら,このスピノザの解答というのは,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』でスピノザが示している結論と齟齬を来すどころか,むしろ一致するものであるからです。すなわちスピノザは,新約聖書の教えによって神Deusに服従obedientia,obsequium,obtemperantiaすることによって,人は能動的にではなく受動的にではあるけれども敬虔pietasであることができると主張しています。ですからケッテルリンフが信仰,すなわち聖書への服従を続ける限り,ケッテルリンフは敬虔であることができるというのがスピノザの考え方になるのであって,敬虔であるということを幸福であるという意味と同一であると解する限り,このアドバイスはスピノザの思想に合致するものであったといえるからです。もしも仮に,ケッテルリンフが能動的に,すなわち理性ratioに従うことによって敬虔であることができる人であるとスピノザがみなしたなら,別の答え方もあったと思いますが,スピノザがケッテルリンフをそういう人とみなしていた可能性は薄いと思います。これはスぺイクに対しても同様です。
ブランシェクールは出負け。まず先頭に立ったのはリンダリンダ。この後ろにポッドガゼール,ヴィータアレグリア,ワンミリオンス,タイニーダンサーの4頭が並んでいましたが,ここからポッドガゼールとタイニーダンサーが抜けて2頭で2番手を併走。控えたワンミリオンスが単独の4番手でさらに控えたヴィータアレグリアは内のタマノブリュネット,外のトーセンマリオンと3頭でその後ろを追走という形に。正面に入るとヴィータアレグリアが外から進出。リンダリンダのハナを叩いて先頭に。ワンミリオンスもリンダリンダの外に並んでこの2頭が2番手を併走するという隊列に変化。超スローペースでした。
3コーナーを回ってワンミリオンスがヴィータアレグリアを捕まえにいきました。このときワンミリオンスは手が動いていたのに対しヴィータアレグリアは楽な感じだったのですが,直線の入口で並んで競り合いになると,意外なほどヴィータアレグリアは粘れず,先頭に立ったワンミリオンスがそのままフィニッシュまで押し切って優勝。3番手から追ったリンダリンダもヴィータアレグリアを捕まえて2馬身差の2着。最後は一杯になってしまったヴィータアレグリアは4分の3馬身差で3着。
優勝したワンミリオンスは前走のTCK女王盃に続いて重賞連勝。相手関係は前回より楽になっていましたので,優勝候補の筆頭と考えていました。それ以前は短い距離ばかりを走っていたので,さらに距離が伸びるのは懸念材料でしたが,能力の差でそれを克服した形。その点では超スローペースになったのは幸いしたかもしれません。底は見せていないので,さらに強い相手でも連勝を続けられる可能性があると思います。父はゴールドアリュール。母の半弟に2009年のジャパンダートダービーと2012年のフェブラリーステークスを勝ったテスタマッタ。One Millionthは百万分の一。
騎乗した戸崎圭太騎手と管理している小崎憲調教師はエンプレス杯初勝利。
あるエピソードは,スピノザの具体的な行為が,直接的にキリスト教と関連付けられた記述です。こうした記述が,コレルスJohannes Colerusの伝記にはみられるけれどリュカスJean Maximilien Lucasの伝記にはみられないものの代表例として挙げられます。ただし,このエピソードに関しては,創作ではなく,脚色も加えられていない可能性が大であると僕は考えています。その理由はふたつあります。
この出来事は,スぺイクの夫人であるイダ・マルガレータ・ケッテルリンフとスピノザの間で交わされたものです。ケッテルリンフがスピノザに対して,自分の宗教,これはキリスト教プロテスタントのルター派への信仰fidesを具体的には意味すると推測されますが,その宗教への信仰を続けてもよいだろうかと尋ねたところ,スピノザはその宗教は立派なものであるから信仰し続けることによって幸福になれると答えたというのがその概要です。
『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,このスピノザのアドバイスは,十中八九はスぺイク一家に対する敬譲から出たものであろうとされています。僕もそういう可能性があることは否定しませんが,必ずしもそのように解する必要はないものと考えます。なぜなら,このスピノザの解答というのは,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』でスピノザが示している結論と齟齬を来すどころか,むしろ一致するものであるからです。すなわちスピノザは,新約聖書の教えによって神Deusに服従obedientia,obsequium,obtemperantiaすることによって,人は能動的にではなく受動的にではあるけれども敬虔pietasであることができると主張しています。ですからケッテルリンフが信仰,すなわち聖書への服従を続ける限り,ケッテルリンフは敬虔であることができるというのがスピノザの考え方になるのであって,敬虔であるということを幸福であるという意味と同一であると解する限り,このアドバイスはスピノザの思想に合致するものであったといえるからです。もしも仮に,ケッテルリンフが能動的に,すなわち理性ratioに従うことによって敬虔であることができる人であるとスピノザがみなしたなら,別の答え方もあったと思いますが,スピノザがケッテルリンフをそういう人とみなしていた可能性は薄いと思います。これはスぺイクに対しても同様です。