池上彰が「ISILはイスラム帝国を復活させようとしている。」ことを取り上げているけど、こんなもんを真に受けている時点で何の考えも成立していない。
暴走族が「世界征服」だとか、オウム真理教が「最終戦争」だとか述べているのと一緒で、言うなればキチガイの戯言でしかない。
文系観念者というのは、戦争だけを特別なものとして戦争だけを取り上げておけば原因が究明出来ると考えがちだが。危険学/失敗学的な観点からは、学生によるイジメやヘイトスピーチなどの小さな事象も「ヒヤリ、ハッと」事象として取り扱うべきであり、戦争などの重大事象だけを取り上げてヒトの暴力性を分析したつもりになっているのは傲慢である。
池上彰は所詮センセーショナルな内容を取り上げて大衆人気を得ることが目的で、戦争などのヒトの危険性について本気で考えるつもりは全くない。
ISILであろうと、川崎の学生殺人であろうと共通するヒトの暴力性というものが存在するのであって、暴力者の主張を鵜呑みにしていると言うのは、言うなれば殺人犯の観念を鵜呑みにしているのと同じことであり。全く意味がない。
殺人犯などの暴力者の主張というのは基本的に身勝手な観念であり、そんな話を鵜呑みにしていてマトモな考えなど成立するわけがない。
戦争というのはヒトという種の生物が持つ暴力性における重大事象であり。戦争という重大事象に至らないまでの中小の事象を見逃しているからこそ、戦争という重大事象の原因さえも見えなくなってしまうのである。
一般大衆の多くは、刑法懲罰の判決を「解決」であると勝手に勘違いしているが。懲罰という国家権力を用いた報復を解決であると見なす短絡性が一般大衆の多くにあることの証明でもある。
危険学/失敗学では、工学的立場からの対策に終始しがちだが。「ヒト」が引き起こすあらゆる「人災」において応用可能な合理的分析に基づく再発防止策を立てる上においては、刑法懲罰制度のような「悪者探し」は排除するのが常識である。
ところが重大ではない事故以外の犯罪においては、単なる「悪者探し」としての刑法懲罰の判決だけを「解決」と見なし、それ以上の原因究明もされなければ、当然再発防止策も立てられないのである。
ISILなどというのは、要するに通り魔事件とか銃乱射事件を起こすような奴らが自分勝手な行動をするための屁理屈の拠り所にしているだけであって、ISILの主張などというのは意味がない。 通り魔が「世間に復習してやる。」などと述べたところで、そんな話に意味があろうはずがないのと同様である。 それは暴走族の「世界征服」程度の妄想でしかないからだ。
川崎での学生殺害事件というのは、ISILから比べれば小さな事象に過ぎないであろうが。集団の空気に流されて「気が大きくなってしまった。」などという多数派同調性の暴走という点においては共通する部分は非常に多いのである。
多数派に同調し、「だってみんながやっているから大丈夫。」という合理的根拠のない行動バイアスに流されているという点においては。刑法懲罰制度などという不毛な国家権力による税金の無駄遣いに何の疑問も持たない一般大衆の頭の悪さにも共通する部分でもあるのだ。
池上彰というのは一般には知られていない情報をひけらかすことで、あたかも何かの解決策でも提示している風なキャッチーなタイトルで長時間番組を垂れ流しているが。 池上彰も所詮は文科系マスコミに過ぎず、合理的分析が出来ているわけではない。
まあ、こんなことをいちいち言わなければわからない大衆の頭の悪さこそが最も重大問題なのではあるが。
Ende;
暴走族が「世界征服」だとか、オウム真理教が「最終戦争」だとか述べているのと一緒で、言うなればキチガイの戯言でしかない。
文系観念者というのは、戦争だけを特別なものとして戦争だけを取り上げておけば原因が究明出来ると考えがちだが。危険学/失敗学的な観点からは、学生によるイジメやヘイトスピーチなどの小さな事象も「ヒヤリ、ハッと」事象として取り扱うべきであり、戦争などの重大事象だけを取り上げてヒトの暴力性を分析したつもりになっているのは傲慢である。
池上彰は所詮センセーショナルな内容を取り上げて大衆人気を得ることが目的で、戦争などのヒトの危険性について本気で考えるつもりは全くない。
ISILであろうと、川崎の学生殺人であろうと共通するヒトの暴力性というものが存在するのであって、暴力者の主張を鵜呑みにしていると言うのは、言うなれば殺人犯の観念を鵜呑みにしているのと同じことであり。全く意味がない。
殺人犯などの暴力者の主張というのは基本的に身勝手な観念であり、そんな話を鵜呑みにしていてマトモな考えなど成立するわけがない。
戦争というのはヒトという種の生物が持つ暴力性における重大事象であり。戦争という重大事象に至らないまでの中小の事象を見逃しているからこそ、戦争という重大事象の原因さえも見えなくなってしまうのである。
一般大衆の多くは、刑法懲罰の判決を「解決」であると勝手に勘違いしているが。懲罰という国家権力を用いた報復を解決であると見なす短絡性が一般大衆の多くにあることの証明でもある。
危険学/失敗学では、工学的立場からの対策に終始しがちだが。「ヒト」が引き起こすあらゆる「人災」において応用可能な合理的分析に基づく再発防止策を立てる上においては、刑法懲罰制度のような「悪者探し」は排除するのが常識である。
ところが重大ではない事故以外の犯罪においては、単なる「悪者探し」としての刑法懲罰の判決だけを「解決」と見なし、それ以上の原因究明もされなければ、当然再発防止策も立てられないのである。
ISILなどというのは、要するに通り魔事件とか銃乱射事件を起こすような奴らが自分勝手な行動をするための屁理屈の拠り所にしているだけであって、ISILの主張などというのは意味がない。 通り魔が「世間に復習してやる。」などと述べたところで、そんな話に意味があろうはずがないのと同様である。 それは暴走族の「世界征服」程度の妄想でしかないからだ。
川崎での学生殺害事件というのは、ISILから比べれば小さな事象に過ぎないであろうが。集団の空気に流されて「気が大きくなってしまった。」などという多数派同調性の暴走という点においては共通する部分は非常に多いのである。
多数派に同調し、「だってみんながやっているから大丈夫。」という合理的根拠のない行動バイアスに流されているという点においては。刑法懲罰制度などという不毛な国家権力による税金の無駄遣いに何の疑問も持たない一般大衆の頭の悪さにも共通する部分でもあるのだ。
池上彰というのは一般には知られていない情報をひけらかすことで、あたかも何かの解決策でも提示している風なキャッチーなタイトルで長時間番組を垂れ流しているが。 池上彰も所詮は文科系マスコミに過ぎず、合理的分析が出来ているわけではない。
まあ、こんなことをいちいち言わなければわからない大衆の頭の悪さこそが最も重大問題なのではあるが。
Ende;