サイコパス(精神病質性)というのは、概ね大脳辺縁系の活動と関連性を持っている。
大脳辺縁系というのは、いわゆる動物的行動を促すメカニズムであるから、人間性を欠いた精神病質性の源でもあるのだ。
サイコパス性が高いと世間的な成功につながりやすいという研究結果があるが、世間的成功というものは現在の社会における個人的成功を述べているに過ぎず。個人が成功することが社会の持続性や安全性につながるかと言えば、むしろ貧富格差を拡大したり、持続性のない目先の利益追求にしかならないのは、本来言うまでもないことである。
ケヴィン:ダットンは、「世間的成功」などという、目先の利益をエサに大衆にサイコパス性の正当性を主張しているが。それこそが大衆迎合であり、社会全体の持続可能性や安全性を意識から逸らす屁理屈であって。このように現状社会における世間的成功を目的とした話というのは、社会にとって有益な話ではなく。要するにサイコパス性を事後正当化して大衆のご機嫌取りをしているに過ぎない。
サイコパス度を測るテストの中には「ジェットコースターが好き」という項目と、「嘘をついても平気」という項目が同じスコアで扱われており、明らかにバランスを欠いたおかしな基準である。
「トロッコ問題」を挙げている点においても、死んだ人数を短絡的に倫理であるとする短絡性を無視したバカの倫理であって、こんなものは倫理の本質から乖離した言葉遊びにしかなっていない。
◇
サイコパス性というのは、大部分が大脳辺縁系の活動量との相関が見られるので。連続殺人型か衝動殺人型かの分類と同様スペクトルであり、先天的にサイコパス性が高い場合もあり、また、一概に先天的悪人であることの証明には全くならず。犯罪や暴力性との相関も必ずしも明確にあるわけではない。
サイコパス性というのは、目先の感情や欲望に流され易い傾向性を述べたものであると言える。
目先の感情や欲望に行動が支配されていれば、自ずと社会持続性や安全性といったものへの配慮や、それに伴う自律的な社会的責任判断能力も欠如しがちである。
サイコパス性の程度がどうあれ、気分感情と行動が直結していなければ人間としての社会性は保つことが出来るが。逆にサイコパス度が低い場合においても、権威服従性を発揮してただ従順なだけでも自律的な社会的責任判断にはつながらないので、サイコパス性というのは人間としての社会性とはあまり相関がない。
そもそも衝動殺人型はサイコパス性が低いのである。
結局は、先天的サイコパス性がどうのという話よりも、人間としての社会性にとって重要なのは自律的な論理検証性(思慮の深さ)であって、目先の感情気分に流されない理性が最も重要なのであり。気分的行動バイアスという「先天的結果」だけで決まるようなものではない。
Ende;
大脳辺縁系というのは、いわゆる動物的行動を促すメカニズムであるから、人間性を欠いた精神病質性の源でもあるのだ。
サイコパス性が高いと世間的な成功につながりやすいという研究結果があるが、世間的成功というものは現在の社会における個人的成功を述べているに過ぎず。個人が成功することが社会の持続性や安全性につながるかと言えば、むしろ貧富格差を拡大したり、持続性のない目先の利益追求にしかならないのは、本来言うまでもないことである。
「サイコパス度を上げることで自信がついたり社会的成功に近付くことが出来るかも知れません。」ケヴィン:ダットン
ケヴィン:ダットンは、「世間的成功」などという、目先の利益をエサに大衆にサイコパス性の正当性を主張しているが。それこそが大衆迎合であり、社会全体の持続可能性や安全性を意識から逸らす屁理屈であって。このように現状社会における世間的成功を目的とした話というのは、社会にとって有益な話ではなく。要するにサイコパス性を事後正当化して大衆のご機嫌取りをしているに過ぎない。
サイコパス度を測るテストの中には「ジェットコースターが好き」という項目と、「嘘をついても平気」という項目が同じスコアで扱われており、明らかにバランスを欠いたおかしな基準である。
「トロッコ問題」を挙げている点においても、死んだ人数を短絡的に倫理であるとする短絡性を無視したバカの倫理であって、こんなものは倫理の本質から乖離した言葉遊びにしかなっていない。
◇
サイコパス性というのは、大部分が大脳辺縁系の活動量との相関が見られるので。連続殺人型か衝動殺人型かの分類と同様スペクトルであり、先天的にサイコパス性が高い場合もあり、また、一概に先天的悪人であることの証明には全くならず。犯罪や暴力性との相関も必ずしも明確にあるわけではない。
サイコパス性というのは、目先の感情や欲望に流され易い傾向性を述べたものであると言える。
目先の感情や欲望に行動が支配されていれば、自ずと社会持続性や安全性といったものへの配慮や、それに伴う自律的な社会的責任判断能力も欠如しがちである。
サイコパス性の程度がどうあれ、気分感情と行動が直結していなければ人間としての社会性は保つことが出来るが。逆にサイコパス度が低い場合においても、権威服従性を発揮してただ従順なだけでも自律的な社会的責任判断にはつながらないので、サイコパス性というのは人間としての社会性とはあまり相関がない。
そもそも衝動殺人型はサイコパス性が低いのである。
結局は、先天的サイコパス性がどうのという話よりも、人間としての社会性にとって重要なのは自律的な論理検証性(思慮の深さ)であって、目先の感情気分に流されない理性が最も重要なのであり。気分的行動バイアスという「先天的結果」だけで決まるようなものではない。
Ende;