書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○途方に暮れる。

2018年01月26日 23時58分13秒 | 意識論関連
配偶者選択(性淘汰)における「ハンディキャップ理論」などと称して「生存に不利な特徴を持っているから、より強い遺伝子を持っているはずだから、メスが選択をする。」といった屁理屈をこじつけるが

メスは先天的に好きな特徴を選択しているだけであって、遺伝子の良し悪しを考えて選択しているわけではない

たまたまメスが好む性質を持った個体への淘汰が起きた結果であるにも関わらず、そこに目的だの戦略といった概念をこじつけるのが生物学者達の悪い癖である

ヒトの女子がDV男を配偶者として選択して生活に困窮することには、進化生物学的な「説明」が可能であろうか。

より暴力的な男の方が、自然界においては有利だったという説明も可能であろうが。それならむしろ女子の配偶者選択には何の考えも介在しておらず、単に結果的に「自然界においては暴力的配偶者を選択することが生存に適していた。」という結果としてDV配偶者選択をする個体への淘汰された先天的行動習性の結果に過ぎないことの証明であり、「より優秀な遺伝子を選択」しているわけでも何でもないのである

もし、現代社会において生活に困窮することのないDV男を選択しない女性にヒトが進化するためには、DV男を配偶者選択する女性への強力な淘汰圧力によって絶滅する必要性がある

進化というものは、あくまで強力な淘汰圧力による膨大な屍の上に成り立つ過酷なものであって、目的や戦略などに基づいた合理的なものではないのである



生物進化というものが、常に何らかの意味があって起きるわけではなく。あくまで「死ななかった」ことによって生存に適した変異の結果が「進化」であって、変異や進化に意味がなくても構わないのである

進化生物学者達は変異や進化の全てに何らかの意味が存在するはずだという観念に囚われており、極めて非合理なこじつけをいつまでも繰り返す原因となっている

淘汰圧力によって、より何らか生存に適した特徴を獲得するわけだが。その獲得途中においては必ずしも生存に適した個体だけではなく、生存に適さない個体も存在することになる

現在の個体種が進化の過程ではないことを証明出来ない以上、現存種の性質の全てが生存にとって最適であることも証明できないし。現実に生存にとって不利な行動習性や特徴を持った生物やヒトは存在するのである



進化というものは、個体の意図的目的とは無関係なものであり。どんなに個体が「死にたくない。」とか「遺伝子を遺したい。」と願ったとしても、先天的に生存に有利な変異を持っていなければ淘汰対象となるのであり。そこに目的だの戦略といった概念が入り込む余地はない

もし変異や進化が努力だの目的だの戦略によって起きるというのであれば、先天性の疾患で繁殖不能な人は当人の努力や頭が悪いことが原因だという話になってしまうのである

こうした生物学における進化に対する異常なこじつけや観念を鵜呑みにしているからこそ、フランシス:ゴルトンの優生学に対する明確な論理的反証をも怠ってきたのであり。科学者として極めて社会的に無責任でもある

個体種として生存に適しているかどうかと、個人の人間性とは何の関係もなく。どんなに健康で繁殖能力が高いとしても、人間性が欠如していたのでは意味がないのである

先天的疾患や障害を一切持たない個体だけに淘汰され、健康で生存に適した個体だけに「進化」することは、別に人類の目的ではない

進化も生存も、これらは「結果」であって「目的」ではない

現代社会にとって負担が多い先天的疾患や障害があろうとも、それが短絡的に人間としての価値が低いことにはならない

相模原障害者施設やまゆり園における虐殺事件の犯人の主張は、あくまで個人の主観的に幸福か不幸かしか論じておらず、それゆえ「自分の子供に障害があれば殺すのか?」と問えば答に窮するのである

「助けたのに家族から感謝されなかった。」などという話も、結局は評価承認欲求中毒患者の妄想に過ぎない

他人を助けるのは人間として当然の行動であって、自分が助けられる場面もあるかも知れないからこそ、「助けて当然」という発想に至らないのは。思考が短絡的で薄っぺらだからである

利他的行動というのは、短絡的に感謝されたり評価してもらうために行うものではなく。人間として当然の行動なのである

行動のいちいちに感謝や評価を求める評価承認欲求中毒患者というのは、要するに思考が浅く、発想が幼稚なのである

環境依存的に行動が決定してしまう先天的行動習性からは、人間性を論じることは構造原理的に不可能なお伽話であり、松沢哲郎の妄想を鵜呑みにしている大衆マスコミもまた社会的に無責任なのである




もう生物学は間違いが多過ぎていちいち反証説明するにも途方に暮れるわ

しょうもない

そもそも「先天的習性や本能でしか行動が決定しない」という大衆の妄想観念が生物学に非科学的妄想錯覚を蔓延させる原因なのである

先天的習性や本能といった「無意識」に左右されず、自律的に社会的責任判断を下せるという本質的意識、人間としての意識があってこその人間性や倫理なのであり。そこに進化的説明は意味が全くない

こんな単純な話がどうして理解できないのかね

もしかして大学の単位とか評価が得られなければ認識できなくて、自律的には何も判断できないバカしかおらんのが原因なのかしら






Ende;
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○凍結防止。

2018年01月26日 15時05分50秒 | 日記
庭先に水道の蛇口があって

凍結防止のために発泡ウレタンとかプチプチとかの緩衝材のストックをありったけ巻き付けたけど

足りなくて地面近くにまで巻くことができなかったのね

で 何か保温になるものないかなと探したら

目の前に雪がたんまりあるじゃん

雪で凍結防止になるのかわからんのだけれど

少なくとも雪の下には霜柱は出来ないとこみると効果はあんじゃねぇかと思うのだ

で 試しにペットボトルに水入れて雪の中に埋めてみた

明朝凍っているか見てみようと思う



Ende;
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○自動運転車。

2018年01月26日 11時39分50秒 | 日記
自動運転の車の話で思ったんだけど

ヒトと同じことをAIにやらせるんじゃなくて、例えば既に街中にある監視カメラ映像や、他の車のカメラの映像からも状況把握をさせることによって、ヒト以上の安全運転も可能になるんじゃなかろか

例えば、路上駐車などによって生ずる死角を、対向車のカメラや駐車中の車からの映像によってなくすとか

既存の監視カメラ以外にも、事故の大半を占める交差点には複数のカメラを設置しておいて、あらゆる死角をなくしてしまうことも出来るようになるじゃん



あと、自動車だけじゃなくて、鉄道でも踏切にカメラ設置しといて運転士が見られるようモニターできれば事故は減ると思う

他にもアイデアって本当は腐る程あるんだと思うんだけど

気付かないんだろうなぁ




Ende;
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○糠に釘。

2018年01月26日 11時26分30秒 | 意識論関連
「一人殺すか、百人殺すかを選択しなければならない。」状況では、人間性や倫理を論じたことには一切ならない

そもそもトロッコ問題のように限定された条件以外何も考えてはならないこと自体が思考を束縛されており、哲学から逸脱しているのである

トロッコ問題を持ち出した時点で、既に哲学者としてはクズなのである

人間としての倫理というのは、「個人的利益や感情と社会的責任を秤にかける」ような条件において発揮されるものであって。死んだ人数は関係がない

場合によって誰も死んでいなくても、無責任な行動はしてはならないのである

福島第一原発事故においても、「放射能の直接的影響で死んだ人の証明は出来ない。」のであって。これを根拠に原発事故が正当化することなど一切出来ない

誰かに危害が及ぶ可能性がある場合、これが予測可能であるにも関わらず放置することが倫理的に誤りなのであり

「結果的に誰も死んでないから、倫理的に問題ないじゃねぇか。」などという言い分が通るわけがあるまい

バカなの?

バカだったら何を知っても無駄なんだろうね

Ende;
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○メディア リテラシー。

2018年01月26日 11時08分20秒 | 意識論関連
生物の遺伝的進化においては目的とか戦略といった概念は論理的/科学的には成立しておらず

全ては「死ななかった」という結果的生存でしかないのに

マスコミなどの文科系大衆迎合メディアは一切耳を貸さずに「○○のために進化した。」という進化生物学者の話を鵜呑みにして垂れ流し続ける

生物学の権威が責任とってくれるとでも思って鵜呑みにしているんだとしたら、東京電力福島第一原発で津波に対する危険性についても取締役が責任とってくれると思い込んで放置したのと構造的には変わりがないのだが

マスコミは大多数の生物学者の意見を鵜呑みにして進化に目的だの戦略が存在していることにしてしまっている

東電内部の多数決によって、気分的に安心して津波に対する危険性を放置したのと同様

大衆マスコミは生物学者の多数決によって、気分的に安心満足して生物学者達の非科学的大嘘を垂れ流している

こうした誤りに共通するものは、「個人が自律的に社会的責任を負う」という人間性の根源の欠如によるものである

ヒトという種の生物は、大多数が間違えている場合に、間違いの責任は大多数によって薄まったような錯覚を抱き、気分的に安心して間違った判断を続ける性質がある

NHK Eテレがモーガン・フリーマンやジャレド・ダイアモンドの非科学的オカルト番組を垂れ流す理由は、「海外で人気がある」という大衆迎合であって、科学的に正しいかどうかを一切検証していない

NHKはオカルト番組について責任を一切負うつもりはないらしい

「メディア リテラシー」という概念があるが、視聴者の自律的判断には委ねても、放送する側には自律が必要ないとでも思っているのだろうか

非科学的オカルトじみた話の方が、論理的思考の成立しない一般大衆には人気があるのだが、これを公共放送で垂れ流して何の検証もしないというのは、ただの無責任である

人気番組を放送すること自体は別に構わないとは思うのだが、内容の非科学性についての解説についても放送する義務があるはずである

NHKの解説委員の中には「人類は絶滅する。(室山 哲也)」と断言するようなキチガイが未だにいるので、NHKであってもマスコミとしての「自律的な社会的責任」は一切負うつもりはないようである

人類が絶滅する危険性は充分にある、しかし、その原因は非科学的オカルトを鵜呑みにしている頭の悪さに起因するものであって、NHKは何が何でも人類をバカのままにしておきたいのかも知れない

そうすれば室山の論理的根拠のない「予言」が的中することになるからだ



「心の時代」などの科学的思考を無視した文科系大衆観念に迎合しただけの番組にも問題がある

そもそも「心」とは何かについての論理的定義があやふやなまま論じていることが、哲学界全体の無責任であり

「気分感情=心」であるかのように論ずるのは、「気分感情が行動と直結している。」という、個人の自律の欠落を前提とした話であり。これでは人間としての「心」を論じたことには一切ならない






Ende;
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