話だ
飽くまでも仮の話だ
あなたはとある電力会社で原発の安全担当者だとしよう
あなたが入社した時点で既にGEとの契約などの理由で非常用電源装置が地下に設置されていて
もし津波に襲われたら原発の安全性に重大な問題が発生する可能性が高いとする
そのことを提言した同僚は上司からこう言われた
「いつ起こるかわからぬ津波に対する脆弱性を考慮に入れたら、日本のどこにも原発など造れない。」と
それでも同僚は何度も上司に津波対策の必要性を訴え続けた結果
上司から嫌がられ会社に居づらくなり辞めて遠い土地で農業に就いた
その後入社してきた同僚も辞めた同僚と同じように津波対策を提言するが
上司は無視するばかりか感情的に怒りだし嫌がるようになったため
社内では津波に対する脆弱性は禁忌であるかのようになり
津波対策については誰も上司に提言する者がいなくなったとする
君ならどうする?
あなたには既に女房子供がいて
会社を辞めてしまえば生活が著しく不安定になる可能性が高い
それでもあなたは原発の津波に対する脆弱性について上司に訴えることができるだろうか
ヒトは悩ましい問題を提起されると
悩んだことを考えたことと勘違い錯覚する習性がある
この区別が出来ない時点で既に哲学でも何でもないのだが
ヒトの多くは気分的に悩んだことと論理的に考えたことの区別が出来ずに
「かわいそう」だの「仕方ない」だの「会社の空気が悪い」だのと言い出し
個人の自律的な社会的責任判断選択については「なかったこと」にしようとする
自律的な社会的責任判断選択なしに人間性も正義もへったくれもないのだが
自分が置かれた状況や環境の処為にすることで自律を考慮の外にしたまま正義や哲学だと勝手に思い込むのである
一人死ぬか 十人死ぬかを選択しなければならない命題を提起しておいて「哲学」だとか「正義」だとかほざいている米国の大学教授の話を聴いて
多くのバカはこれを哲学だと本気で信じ込み
その「悩ましい」命題で悩んだことを あたかも自分自身で自律的に論理検証したかのように錯覚したことを
まるで「何かを考えた」かのように妄想し
その妄想に基づき「自分は頭を使ったから、自分の頭は良くなった。」などと勝手に思い込む習性がある
単に気分的に「悩んだ」ことは 論理的に物事を検証したことにはならないのだが
ヒトの多く
文科系大衆の多くは これを「考え」か何かだと勝手に勘違いするのである
そうやってヒトは思考停止に陥り
何も考えなくなるのである
洗脳の基本は思考停止である
ヒトの脳は先天に思考停止に陥るメカニズムがあるため
ヒトの多くは簡単に思考停止に陥り
マイケル:サンデルの講義を聴いて「自分は頭が良くなった。」などと妄想することで
サンデルなどのオカルト野郎を盲目的に信奉するようになるのである
サンデルの講義は人気がある
そして誰もサンデルがオカルト野郎だとは思ってもいないし
誰も疑うことなく哲学だと信じ込んでいる
それでもサンデルの言っている内容が哲学でも正義でも何でもないことを
主張することができるであろうか
君ならどうする?
くだらない漫画を哲学だと勘違い錯覚妄想するのは簡単だが
哲学というのはそんな安易で簡単なものではないのである
先ずは自らの頭の悪さを認識することから始めるべきであろう
Ende;
飽くまでも仮の話だ
あなたはとある電力会社で原発の安全担当者だとしよう
あなたが入社した時点で既にGEとの契約などの理由で非常用電源装置が地下に設置されていて
もし津波に襲われたら原発の安全性に重大な問題が発生する可能性が高いとする
そのことを提言した同僚は上司からこう言われた
「いつ起こるかわからぬ津波に対する脆弱性を考慮に入れたら、日本のどこにも原発など造れない。」と
それでも同僚は何度も上司に津波対策の必要性を訴え続けた結果
上司から嫌がられ会社に居づらくなり辞めて遠い土地で農業に就いた
その後入社してきた同僚も辞めた同僚と同じように津波対策を提言するが
上司は無視するばかりか感情的に怒りだし嫌がるようになったため
社内では津波に対する脆弱性は禁忌であるかのようになり
津波対策については誰も上司に提言する者がいなくなったとする
君ならどうする?
あなたには既に女房子供がいて
会社を辞めてしまえば生活が著しく不安定になる可能性が高い
それでもあなたは原発の津波に対する脆弱性について上司に訴えることができるだろうか
ヒトは悩ましい問題を提起されると
悩んだことを考えたことと勘違い錯覚する習性がある
この区別が出来ない時点で既に哲学でも何でもないのだが
ヒトの多くは気分的に悩んだことと論理的に考えたことの区別が出来ずに
「かわいそう」だの「仕方ない」だの「会社の空気が悪い」だのと言い出し
個人の自律的な社会的責任判断選択については「なかったこと」にしようとする
自律的な社会的責任判断選択なしに人間性も正義もへったくれもないのだが
自分が置かれた状況や環境の処為にすることで自律を考慮の外にしたまま正義や哲学だと勝手に思い込むのである
一人死ぬか 十人死ぬかを選択しなければならない命題を提起しておいて「哲学」だとか「正義」だとかほざいている米国の大学教授の話を聴いて
多くのバカはこれを哲学だと本気で信じ込み
その「悩ましい」命題で悩んだことを あたかも自分自身で自律的に論理検証したかのように錯覚したことを
まるで「何かを考えた」かのように妄想し
その妄想に基づき「自分は頭を使ったから、自分の頭は良くなった。」などと勝手に思い込む習性がある
単に気分的に「悩んだ」ことは 論理的に物事を検証したことにはならないのだが
ヒトの多く
文科系大衆の多くは これを「考え」か何かだと勝手に勘違いするのである
そうやってヒトは思考停止に陥り
何も考えなくなるのである
洗脳の基本は思考停止である
ヒトの脳は先天に思考停止に陥るメカニズムがあるため
ヒトの多くは簡単に思考停止に陥り
マイケル:サンデルの講義を聴いて「自分は頭が良くなった。」などと妄想することで
サンデルなどのオカルト野郎を盲目的に信奉するようになるのである
サンデルの講義は人気がある
そして誰もサンデルがオカルト野郎だとは思ってもいないし
誰も疑うことなく哲学だと信じ込んでいる
それでもサンデルの言っている内容が哲学でも正義でも何でもないことを
主張することができるであろうか
君ならどうする?
くだらない漫画を哲学だと勘違い錯覚妄想するのは簡単だが
哲学というのはそんな安易で簡単なものではないのである
先ずは自らの頭の悪さを認識することから始めるべきであろう
Ende;