イジメとか差別とか殺人事件とか戦争で生き残った個体には人間性が伴うと言えるでしょうか
ナチス政権下で殺されるという淘汰圧力によって生き残った個体には人間性があると言えるでしょうか
暴力的な奴が統率する独裁的な集団組織において 生き残ったことで人間性が高まるとでも言うんでしょうか
例えばですよ 日大アメフト部員達が暴力者である監督に服従することで人間性が高まるんでしょうかね
逆でしょ 反則行為をするようになったでしょうが
軍隊だって同じことですよ アブグレイブ軍事刑務所での虐待を見ればわかるでしょ 軍隊なんてのは組織内部にとって利益になりそうなら人を殺してでも評価を得ようとする集団ですからね
ヒトという種の生物に組み込まれている先天的な「社会性」というのは 個人の自律的な社会的責任を不具にさせて統率的服従による協調的行動を促すことが出来る習性です
こうした統率的協調性というのは イヌやサルが捕食するのに有利で 生存価にとって有利に働いた結果として遺された習性だとは言えますが
あくまで先天的本能習性であるために 合理的目的行動選択が介在する余地はなく あくまで特定の指導者に盲目的に服従する行動バイアスとして無意識に生じる「習性」でしかありません
ですから子供達だけで放置しておくと勝手にイジメを始めるようになるわけです
米国で行われた監獄実験においても 別に「虐待しろ」と命じられてもいないのに勝手に虐待を始めたのも 先天的習性だからに他なりません
特定の指導者の個人的好き嫌いだけが「正義」にされて 独裁状態が発生する原因というのは 特定指導者の感情的誘導に無為に服従迎合してしまう多数の服従者の存在が必要なわけです
独裁というと 独裁者こそが原因だと大衆観念的には錯覚されているようですが 実際には独裁を支えるのは独裁者に服従する多数の服従者なくして独裁など成立するわきゃないんですよ
日大アメフト部だってそうでしょ 複数のコーチが監督に盲目的に服従することによって独裁状態が作られた
こうしたメカニズム構造はオウム真理教などのカルト宗教などにおいても同じであって 軍隊式の体育会系組織というのはヒトという種の生物が先天的に持っている盲目的服従性を無意識に利用しているに過ぎないわけです
バカげたことに 大衆観念的には盲目的服従性であるにも関わらず 単なる対戦成績などの結果だけに基づいて「素晴らしい」だのという極めて主観的感想だけで正当化されてしまうことが非常に多い
無謀で不毛な戦争においても 特攻隊が命懸けだったというだけで「英霊」などと正当化されてしまうのも同じことだと言えるでしょう
「特攻隊が命懸けで戦ったから、今の平和がある。」などという話も時折出てきますけど それ平和と関係ないですからね
そもそも無謀で不毛だった戦争に加担して特攻したからといって それがどうして「今の平和」につながるんでしょうかね
むしろ戦争そのものに反対して政治犯として収容された人達の方が平和に貢献したと言えるんじゃないですかね
でも 政治犯は「英霊」とは扱われないですよね
おかしくないですか?
「命懸け」だったことだけを根拠に事後正当化しているだけでしょ それもまた認知的不協和の解消でしかないでしょ
そもそも勝ち目がない不毛な戦争を続けることが間違いなのに 何でその間違いを指摘した人は認めずに 間違った戦争を続けた軍部に無為に盲目的に服従した特攻隊ばっかり「英霊」などと祭り上げるんですかね
まあ 良いや どうせネトウヨには通じないだろうから
盲目的に服従することで統率的協調性を発揮し それがスポーツの成績にとって有利に働くことがあるからといって これを短絡的に「素晴らしい」などという極めて主観的感想に基づいて正当化するのはおかしな話です
個人が主観的に「素晴らしい」と思うことが 社会的にどれだけ意味や価値があると言うのでしょうか 「素晴らしい」と思っている主体である自己が絶対的なものであるとでも言うんでしょうか?
どんなに強く「思って」も それは主観的感想以上に意味はないのに これを合理的な意味(考え)があるかのように錯覚しているから軍隊式体育会系組織への盲目的信頼が生じてしまうことになる
感覚的な「思い」の強度程度を意識の本質だと錯覚しているから 合理的目的行動選択としての自発的な論理検証が働かなくなってしまい 結果的に盲目性を受け入れてしまうようになる
ヒトという種の生物には 先天的に服従迎合することによって協調的に社会を形成する行動習性バイアスがあるために どうしても盲目性を発揮して権威や多数派に服従迎合していた方が安心で満足感が得られるわけです
だから京大学長などの生物学権威には誰も逆らわずに 立証不可能な仮説であってもマスコミは平気で垂れ流しを行うことが出来る
こうした頭の悪さ 自律的論理検証性の欠落を認識していないからこそ 何が正しいのかすらわからなくなってしまう
犯罪被害者や遺族の方の中には時折「自分達のような悲しい思いをする人が出ないように、再発防止を優先して欲しい。」と要望する人達がいますが 実際の刑事司法裁判では罰を決めるだけで合理的再発防止策など一切出てきません
制度として罰を決定することだけが「解決」であることを前提として決められているため それ以上何も分析されることはなく 彼らの要望はウヤムヤにされて終わりになるのです
そうして再犯率48%の懲役刑に税金が無駄に注ぎ込まれ続けるだけで 飲酒運転も通り魔も無為に繰り返すことになる
「それで良い。」というなら オラ知らねぇわ
面倒看きれねぇし
Ende;
ナチス政権下で殺されるという淘汰圧力によって生き残った個体には人間性があると言えるでしょうか
暴力的な奴が統率する独裁的な集団組織において 生き残ったことで人間性が高まるとでも言うんでしょうか
例えばですよ 日大アメフト部員達が暴力者である監督に服従することで人間性が高まるんでしょうかね
逆でしょ 反則行為をするようになったでしょうが
軍隊だって同じことですよ アブグレイブ軍事刑務所での虐待を見ればわかるでしょ 軍隊なんてのは組織内部にとって利益になりそうなら人を殺してでも評価を得ようとする集団ですからね
ヒトという種の生物に組み込まれている先天的な「社会性」というのは 個人の自律的な社会的責任を不具にさせて統率的服従による協調的行動を促すことが出来る習性です
こうした統率的協調性というのは イヌやサルが捕食するのに有利で 生存価にとって有利に働いた結果として遺された習性だとは言えますが
あくまで先天的本能習性であるために 合理的目的行動選択が介在する余地はなく あくまで特定の指導者に盲目的に服従する行動バイアスとして無意識に生じる「習性」でしかありません
ですから子供達だけで放置しておくと勝手にイジメを始めるようになるわけです
米国で行われた監獄実験においても 別に「虐待しろ」と命じられてもいないのに勝手に虐待を始めたのも 先天的習性だからに他なりません
特定の指導者の個人的好き嫌いだけが「正義」にされて 独裁状態が発生する原因というのは 特定指導者の感情的誘導に無為に服従迎合してしまう多数の服従者の存在が必要なわけです
独裁というと 独裁者こそが原因だと大衆観念的には錯覚されているようですが 実際には独裁を支えるのは独裁者に服従する多数の服従者なくして独裁など成立するわきゃないんですよ
日大アメフト部だってそうでしょ 複数のコーチが監督に盲目的に服従することによって独裁状態が作られた
こうしたメカニズム構造はオウム真理教などのカルト宗教などにおいても同じであって 軍隊式の体育会系組織というのはヒトという種の生物が先天的に持っている盲目的服従性を無意識に利用しているに過ぎないわけです
バカげたことに 大衆観念的には盲目的服従性であるにも関わらず 単なる対戦成績などの結果だけに基づいて「素晴らしい」だのという極めて主観的感想だけで正当化されてしまうことが非常に多い
無謀で不毛な戦争においても 特攻隊が命懸けだったというだけで「英霊」などと正当化されてしまうのも同じことだと言えるでしょう
「特攻隊が命懸けで戦ったから、今の平和がある。」などという話も時折出てきますけど それ平和と関係ないですからね
そもそも無謀で不毛だった戦争に加担して特攻したからといって それがどうして「今の平和」につながるんでしょうかね
むしろ戦争そのものに反対して政治犯として収容された人達の方が平和に貢献したと言えるんじゃないですかね
でも 政治犯は「英霊」とは扱われないですよね
おかしくないですか?
「命懸け」だったことだけを根拠に事後正当化しているだけでしょ それもまた認知的不協和の解消でしかないでしょ
そもそも勝ち目がない不毛な戦争を続けることが間違いなのに 何でその間違いを指摘した人は認めずに 間違った戦争を続けた軍部に無為に盲目的に服従した特攻隊ばっかり「英霊」などと祭り上げるんですかね
まあ 良いや どうせネトウヨには通じないだろうから
盲目的に服従することで統率的協調性を発揮し それがスポーツの成績にとって有利に働くことがあるからといって これを短絡的に「素晴らしい」などという極めて主観的感想に基づいて正当化するのはおかしな話です
個人が主観的に「素晴らしい」と思うことが 社会的にどれだけ意味や価値があると言うのでしょうか 「素晴らしい」と思っている主体である自己が絶対的なものであるとでも言うんでしょうか?
どんなに強く「思って」も それは主観的感想以上に意味はないのに これを合理的な意味(考え)があるかのように錯覚しているから軍隊式体育会系組織への盲目的信頼が生じてしまうことになる
感覚的な「思い」の強度程度を意識の本質だと錯覚しているから 合理的目的行動選択としての自発的な論理検証が働かなくなってしまい 結果的に盲目性を受け入れてしまうようになる
ヒトという種の生物には 先天的に服従迎合することによって協調的に社会を形成する行動習性バイアスがあるために どうしても盲目性を発揮して権威や多数派に服従迎合していた方が安心で満足感が得られるわけです
だから京大学長などの生物学権威には誰も逆らわずに 立証不可能な仮説であってもマスコミは平気で垂れ流しを行うことが出来る
こうした頭の悪さ 自律的論理検証性の欠落を認識していないからこそ 何が正しいのかすらわからなくなってしまう
犯罪被害者や遺族の方の中には時折「自分達のような悲しい思いをする人が出ないように、再発防止を優先して欲しい。」と要望する人達がいますが 実際の刑事司法裁判では罰を決めるだけで合理的再発防止策など一切出てきません
制度として罰を決定することだけが「解決」であることを前提として決められているため それ以上何も分析されることはなく 彼らの要望はウヤムヤにされて終わりになるのです
そうして再犯率48%の懲役刑に税金が無駄に注ぎ込まれ続けるだけで 飲酒運転も通り魔も無為に繰り返すことになる
「それで良い。」というなら オラ知らねぇわ
面倒看きれねぇし
Ende;