書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

教養産業

2021年02月04日 11時14分06秒 | 意識論関連
プロレスラーの木村花さんが自殺した原因となったSNS上の誹謗中傷の中で

「いつ死ぬの」的なことを書き込んだ子が書類送検されたことがあって その子のコメントに対して加藤浩次が攻撃しておったことがある

そもそもSNS上などで特定個人を攻撃して追い詰めたことが自殺の原因になっているのに テレビ番組で芸人が個人攻撃して追い詰めるってどうなんだって思うんだよな

それ 個人攻撃のスパイラルじゃねぇのかと ハゲジジイは思うんだよな

何らかの集団において統率協調的に誰かを攻撃して追い詰めるという偏った「正義」を感覚的に感じ 個人攻撃に便乗することに快楽を感じるからこそ 個人攻撃が暴走状態になってしまう

集団攻撃に対する中毒的快楽がヒトという種の生物にはあって 誰かが特定個人や団体を攻撃している状態に便乗して一緒に攻撃することへの行動バイアスが先天的に組み込まれている

だからイジメというのは自然発生するのであって イジメはヒトの本能習性に因るものである

ヒトは統率協調的に行動することに対して安心満足感(快楽)を得られる先天的構造 いわゆる「集団心理」が働くことによって 暴力的な行動や言動も赦されてしまうような錯覚に陥り 集団組織的に攻撃しておけば何かが解決したかのような感覚(快楽であり また錯覚でもある)によって歯止めが効かなくなることになる

主観的感情が行動に直結しているからこそ 脳が幼稚な奴ほど集団組織的協調攻撃に便乗して満足しようとする

これがイジメやISILに見られる集団暴力における共通の心理構造である

「死ねば良いのに」とは 私も思うことはある

むしろ 年中そう「思う」ことばっかりである

養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのといった論理的根拠のないデマやオカルトを散々垂れ流していたマスコミにも殺意しかわかないし

デマやオカルトに誰も気づかない大多数の大衆の頭の悪さや無責任さにもウンザリさせられる

とはいえ テロや通り魔的に無差別攻撃でもすれば何かの解決になるわけでもない

殺意は主観であって 何の役にも立たない

ただの先天的行動バイアスに過ぎず 動物的行動習性でしかないからだ

従って 個人的殺意に同調していただくつもりもないし 同調したからといっても所詮は「そいつの個人的主観」以上の意味もない

重要なのはバカげたスパイラルや連鎖を断ち切るための論理客観的な合理性ある対策である

教育系ユーチューバーに対して「教育を汚すな」などと言い出すバカにとっては 主観的には「教育系ユーチューバーは死ね」とでも思っているのであろう

「教育が汚された」と思っているのであろう

どんなに強く「思って」も それはただの主観であって 論理客観的な根拠が伴わなければ 「個人の感想」の域を出ることはない

それなら「教育系ユーチューバーが教育を汚している」ことの論理的根拠があるかと言えば

ない

むしろ 教養産業や受験産業による学歴偏重主義が「学問を汚している」と言えるのであって 金儲けのために学力成績という基準を利用しているデマに他ならない

何度も述べているが 学力成績というものは人間としての本質的知能の論証には全くならない

現状の認知科学的には「本質的知能は存在しないかも知れない」などというバカみたいな見解も出ているが それは自分では何も気づくことのできない頭の悪さを正当化するための屁理屈に過ぎない

どんなに大量の知識を「知って」いても 「知って」いる内容の間違いに気づくことができなければバカとしか言いようがないのだが

大衆の多くは知識の「量」さえひけらかし 気分的安心満足さえ提供してやれば「この人は頭が良い人だ」という主観的感覚によって盲目的に信用するようになるのである

読書猿は「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえれば」などという意味不明な話を持ち出し 古典を知っていればデマや嘘には「騙されなくなるかも知れません」などという これまた根拠のないデマの上塗りをしているのである

恐ろしいことに大衆の大半もマスコミも これが根拠のないデマに過ぎないことにも気づくことができないのである

古典漢文に精通している人がデマや嘘を見抜ける能力が高いという統計的根拠はない

そもそも「知識のエコシステム」って何だよ

だいたい「生態系のピラミッド」ってのは進化の過程における弱肉強食の「喰い合い」による結果的な環境調和に過ぎず こんな過酷な理屈を人間社会に持ち込んでしまえば 「障害者は殺そう」という発想にしか陥ることはない

生態系のピラミッドっていうのは あくまで結果的に環境調和できた生態系への淘汰の結果であって そこに目的や合理性が存在する理屈は存在しないのである

遺伝的な進化というものの結果だけを見ていれば ヒトの多くはあたかも遺伝的進化というものには合理的な目的のようなものが存在するかのような錯覚を感じるのかも知れないが どんなに多数の錯覚を集めてきても 錯覚が錯覚ではないことの論理的証明になるわけではない

遺伝的進化というものは あくまで「死なずに生き残った」という結果による必然的な結果であって そこに何らかの合理的目的のようなものが介在する理屈はどこにもないのである

人間社会において必要なのは 遺伝的進化を促すような淘汰や「生態系のピラミッド」のような順位序列や「身分」による「生存優位性」の競争ではなく 変異による多様性をどう活用するかといった合理性にこそ人間性が伴うのである

ヒトという種の生物は 結果に過ぎない淘汰圧力による遺伝的進化から逃れ 弱者であっても取り残さない平等で公平な社会を求めてこその「人間性」である

養老孟司だの読書猿だの それを鵜呑みにしているバカな大衆という「知的弱者」を大量虐殺すれば 知的進化が促されるわけではない

何が本当の知能であるのかを識別することができるようになれば 騙されることもなくなる 脳の構造自体は誰もさしたる違いなどないのである

教養や知識というものは 他人と比べて「俺の方が優位に立った」かのような身勝手な自己満足を得るためのものではなく

あくまで人間としての倫理 社会安全性や持続可能性を高めるためにはどうしたら良いのかを追求するための知性や教養である

それができずに「俺は頭が良いんじゃぁ!」などと怒鳴り散らしても到底人間性とは言えないのである

「誰も俺をリスペクトしてくれねぇ」などと称して多数評価ばかりを求めても 逆にどんなに多数からの評価人気を得たとしても それは所詮大衆迎合と承認欲求の幻に過ぎない

真理は多数決で決まるわけではなく 論理客観的根拠に基づき見極められる必要性がある

「何が本当に社会安全性に必要なのか」という「真理」が見極められなければ 社会の暴走や崩壊を食い止めることはできない

むしろ暴走破綻に加担してしまうことになるのである



Ende;
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