結果に過ぎない遺伝的進化に対して あたかも合理的に選択したかのような「戦略」を後からこじつける論法がそもそも科学的に支離滅裂なのであって
進化の過程の説明における論理的合理性と 進化の結果に対する必然性の区別がついていないバカが多すぎるのである
ある進化が生じた原因について合理的な説明ができたとしても その進化(結果)そのものが合理的な選択によってもたらされたものであることの論証には一切ならない
遺伝的進化というものは あくまで偶発的突然変異と環境による淘汰圧力の「結果」であって
環境要因の説明に合理性があったとしても それが合理的に選択された「目的」であることの論証には一切ならない
2000メートル先の10センチの的をライフルで狙撃して命中したとしても 二十億発の弾を撃てばまぐれで当たることもある
遺伝的進化というものは そういう無駄な変異のメクラ撃ち(差別用語になるのかな?)の結果に過ぎず 必ずしも命中(進化)する保証はない
地球上の生物の全ては 一つのルーツ(根)からなる系統樹によって形成されており 全ての生物は元々同じ単細胞生物から進化したものである
しかし 現在の生物相というのは中間種が全て淘汰され 特定環境に適応できた種だけが生き残っている状態であり 膨大な「失敗」の上に成り立つ「結果」以上の意味はない
遺伝子の変異には方向性はなく あらゆる生物への変異を起こしたはずなのに その大部分が現存しないのは それが全て死滅したからであり 過酷な自然環境下における苛烈な淘汰圧力(殺し合い生存競争)の結果が生物というものの実相である
それに対して文学的に「生きていることは素晴らしい」などと称して形容しても ヒト同士が殺し合い 騙し合い 喰い合っている現実から目をそらした「お花畑」妄想でしかない
自分の子供を焼き殺された母親や 女房子供を轢き殺された父親からすれば 生き続けることは地獄でしかなく 文学的形容詞という「個人の感想」なんぞに何の普遍性も倫理も伴うことはないのである
「ヒトがヒトを殺してはいけない理由はない」のと同時に 「ヒトが生き続けなければならない理由」も「ヒトがヒトを殺し合う社会で生き続けなければならない理由」もないのである
そもそもヒトはいつか必ず死ぬのであって かりそめにも生き続ける理由として「世の中が少しでも安全で持続可能な社会に近づくこと」という希望や理想以外に人間存在としての「意味」などない
個人が主観的にどんなに「生きていたい」と願おうが呪おうが それは全て「個人の感想」の範疇でしかなく その程度強度をどんなに多数抽出してきても 「ヒトは生きることが目的」であることの論証にはならない
あらゆる生物の生存というのは「結果」であって その先に何らかの「目的」をこじつけても 論理的には証明不可能である
結果に過ぎない遺伝的進化に対し その方向性をどんなに大量に抽出してきても 永久不変の絶対的「目的」が導き出せるわけではない
カール:ライムンド:ポパーの述べた「白いスワン」の喩えとは 「どんなに白いスワンを抽出してきても 全てのスワンは白いことの科学的論証にはならない」というものである
結果的に「生きて」いる生物をどんなに集めてきても 淘汰された大量の屍を無視して「生物の目的は生存」であることの論証は不可能である
「ヒト」という種の生物にも目的はない
だが 「人間」としての理想や希望には存在する
従って 遺伝的進化という「ヒトの結果」に人間性や合理性が伴うことはなく
あくまで個人が自律的に社会的責任判断選択に基づいて検証する理想や希望にのみ 人間としての合理的「目的」が存在するのである
フリードリヒ:ニーチェの超人幻想に大衆が酔いしれたのは それが主観的安心満足を与えたからであって
リチャード:ドーキンスのお伽話に基づいた松沢哲郎や山極寿一の非科学的妄想に酔いしれたのも同じ構造である
科学的に立証不可能な予測に5億もの研究費を非合法に注ぎ込んでおいて 何が「文化功労賞」なのか 茶番にも程がある
あくまで非合法に5億であって 脱法的にはそれ以上浪費しているのである しかも優生学に対する論理反証を無視したことは障害者虐殺の一因ともなったのであり A級戦犯としか言いようがない
ヒトという種の生物は 論理客観的根拠に基づいた真実よりも 主観的な安心満足の方が優先するという先天的で決定的な人間としての欠陥が存在しているのである
平たく言えば 「ヒトは先天的にバカになる習性がある」ということである
主観的感覚に錯覚などによる誤謬が混入する可能性を自覚していれば バカに陥ることを回避する「教訓」としてバカにならないようにもなることが可能である
そのためには 何が間違いで 何が真実なのかを区別認識していなければならない
「知識の量が多い=頭が良い」などという大衆観念に基づいた知能論を鵜呑みにしておいて バカにならないようにはできないのである
Ende;